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《鏡の中のウメ》

「さあ、ぼやぼやしてるヒマはないぞ。とっておきのかくれ場所があるからちょっくらついてこい」

 亀八かめはちはぼん太の手を引いて、急な坂道を一気にかけ上がります。

 そして山の中腹あたりまで来ると、用心深くあたりを見回し、足元にあるこんもりとしたかれ草をはらいのけました。


「ほら、穴があるだろ。この奥に何があると思う?」

「さあ、いきなり言われてもオイラにはさっぱり」

 すると亀八はニヤッとして言いました。

「聞いておどろくな。何と大広間の天井裏だ」

「何だって!」


 おどろくなって言われたってムリな話です。

 まさかあの大広間と地獄じごくとが、こんなに近いところでつながっていたとは、お釈迦しゃかさまだってビックリするはずです。


「じゃあ閻魔えんま大王のすぐ頭の上ってことかい?」

「そうだ。天井裏にはいくつかちっちゃい穴が開いててな、そっからのぞきこめば何から何まで丸見えってわけよ」

「なるほど。だからおとっつぁんはオイラを見つけ出して助けに来てくれたんだな」とここで、ぼん太は何かひらめいたようです。「……ってことは、おっかさんも?」

「おう。もしも閻魔大王の目が節穴で、ウメを地獄へ送り出そうもんなら、何としても助け出してやるんだ」

「よし!」


 それから二人は人ひとり通るのもやっとというほどの穴を、たて一列の四つんばいになって進んでいきました。

 しばらくすると、頭の方から、くぐもった声が聞こえてきます。

 だれの声かはすぐにわかりました。

 あのダミ声は、忘れようったって忘れられやしませんからね。

──閻魔大王だ!

 そのあとには地獄行きを告げられ、恐ろしさのあまりおいおい泣きじゃくる、亡者たちのさけび声も聞こえてきます。

 いよいよ大広間もすぐそこです。


 亀八がどんづまりにある大岩を少しずつ動かしていくと、下からほの明かりが差しこんでいる、大広間の天井裏が現れました。

 亀八はそのまま中ほどまで進み、ぼん太を手まねきして呼び寄せます。

「この穴からのぞけば亡者もうじゃたちの顔がよく見える。そして向こうの穴からのぞけばかがみの中がよく見えるってわけだ。いいか、今から二手に分かれてウメを待ちかまえるぞ」

「わかった」


 それからどのくらい経ったでしょうか。

 何せ二人とも死んでるもんですから、腹もへらなきゃねむくもなりません。

 その上、亡者たちの生き様がどんな芝居しばいをみるよりおもしろく、いくら見たって見あきることなどないんです。

 あっという間に二、三年ぐらいは経っていたことでしょうね。


──さてと、次はどんな亡者かな。

 そう思いながらぼん太がゴロンと腹ばいになったところで、反対側にいた亀八がボソッとつぶやきました。

「ウメだ!」


 ぼん太があわててそちらへ移動すると、ちょうど白装束しろしょうぞくに身を包んだウメが、鏡のあるあたりまでしずしずと歩いて来るところが見えました。

 その姿は見違えるほど若々しく、死んだというのに生きてたころよりよっぽど生き生きとして見えます。


「そんじゃまあ、最後までしっかり見ろよ」

 鬼たちにうながされ、ウメはゆっくりと鏡に目を向けました。

 するとそこには玉のように美しい赤ん坊が、幸せそうに微笑ほほえんでる様子が映し出されました。

 この子がウメだということは、両方のかわいらしいエクボを見れば明らかです。


 でも、その不安ひとつない満面の笑みが歳をとるにつれ、周りを悲しませぬための作り笑いに変わっていくのが、何とも気の毒でありました。

 いつまでも顔色ひとつ変えず、おだやかな表情で鏡をのそきこむウメ。

 反対に天井裏の二人は涙と鼻水をこらえるのにひと苦労しています。

 それほどまでに、ウメの一生はむごたらしく悲しい場面ばかりが続いたのです。


 最後、すきま風の吹きすさぶおんぼろ小屋で一人、眠るように息を引き取ったウメ。

 と同時に、あのダミ声がひびき渡りました。

「あっぱれ。よくグチひとついわずに見事、生きぬいたもんじゃ!」

 閻魔大王がめずらしく、亡者のことをほめたたえています。

 ぼん太はうれしさのあまり、飛び上がりそうになりましたが、すんでのところで何とかこらえました。


「やい鬼ども。このバアさんは極楽ごくらく行きじゃ。しっかり送り届けてやれよ」

「ガッテン!」

 鬼たちもただ亡者をいびるばかりが能ではありません。

 極楽行きの者が現れると、うれしそうに足をふみ鳴らしながら、わがことのように喜びます。

「バアさん、良かったなあ」

「あっち行ったら、のんびりしろよ」


 亀八とぼん太もこれでもうひと安心とばかりに、無言でうなずきあいました。

 ところが、ここでとんでもないことが起こります。

 あろうことか、ウメがこんなことを言い出したのです。


「あれま大王様、そりゃ困りますだ。どうか私を地獄へ送ってくだせえ」

「なんじゃと!」

 閻魔大王はめんくらったような声を上げます。

「地獄にゃウチの人とせがれが先に行っとります。二人とも私のせいで悪いことに手を染めにゃならんかったんです。その二人のおかげで生きながらえた私だって、地獄へ行かにゃおかしいですだ」


 自分から地獄へ行きたがる者など前代未聞ぜんだいみもん

 閻魔大王はただただ目を丸くするばかりでしたが、やがて大声を上げて笑い出しました。

「ガッハッハ。さてはお前さん、本当の地獄ってもんを知らんから、そんな呑気のんきなことを言っとるんじゃろ。それならこれを見るが良いわ、ほれ!」


 閻魔大王のひと声で、鏡にはたちまちおどろおどろしい地獄の光景が映し出されました。


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