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18話 禁忌

 ローゼとフェリシアの話が終わったと見て、ジェラルドが、


「いやあ、丸く収まって良かった良かった」


 と破顔する。


「良くありませんわ。わたくしの事情に関しては折を見てお話しようと思ってましたのに、お兄様のせいで予定が台無しですわよ」


 すかさずフェリシアが苦情を言うが、ジェラルドは、


「結果として上手く行ったんだからいいじゃねえか」


 と取り合わない。


「どうしてお兄様はそう、大雑把でいらっしゃるのかしら」

「どうしてかねぇ。多分生まれつきだろうなぁ」


 肩をすくめたジェラルドは、雲ひとつない青い空を見上げる。


「そういや、アイツにもよく『大雑把がすぎる』って文句言われたっけ」

「アイツ?」

「澄ました顔の、グラス村の神官さ」

「アーヴィンですか」

「そーそー。奴と俺は寮で同じ部屋だったもんでな」

「えっ、初耳です」


 神官を目指すのならば、王都の大神殿で学ぶ必要がある。それは神殿騎士も同様だ。


 大神殿での修行開始年齢の下限は十歳、上は特に制限がなく、修了までの期間は基本的に八年。そして大神殿の学舎では出身地や身分に関係なく全員が寮に入って生活する。寮は二人部屋で、大きな問題がない限りはずっと同じ人物と一緒だ。


「ジェラルドさんは神殿騎士ですよね。神官と神殿騎士が同じ部屋になることもあるんですか?」

「基本的にはないんだけど、俺、最初は神官見習いだったんだよ。でも落第ギリギリだったもんでさ、こりゃ頭より体使う方がいいだろうって考えて、途中から神殿騎士志望へ切り替えたわけ」

「志望の変更もできるんですね。よくあることなんですか?」

「たまーに、くらいかな」


 神官と神殿騎士は別の寮だが、途中で変更した場合は同じ部屋のままなのだという。

 知らない景色を見るのはとても興味深いが、こうして知らない話が聞けるのもとても興味深い。


「アーヴィンと一緒の生活ってどうでした?」

「ん? そうだなあ……」


 言いかけたジェラルドはふと表情を硬くして口を閉じる。その様子は悩んでいるようでもあり、何かを確認しているようでもあった。それを見てローゼは、まただ、と思う。


 これまでもジェラルドは自分の知るアーヴィンの話を聞かせてくれることがあった。しかしその途中で必ずと言って良いほど黙り込んでしまう。そんなときにローゼはいつも「黙っているはずでしたね、ジェラルド!」と制するアーヴィンの大きな声を思い出すのだ。


(でもきっと、深い意味なんてないわ。……そう、あたしがアーヴィンとそんなに親しいわけじゃないからよ。それでジェラルドさんも、あたしに話していい内容かどうかを悩むの)


 ローゼが自分に言い聞かせ終わる頃にはジェラルドの顔も笑顔に戻り、再び機嫌よく話し始めた。


「割と衝突は多かったぜ。一緒に行動することも少なかったし。例えば――俺たちの部屋からは神木が見えたんで、俺は登ってみたくてしょうがなかったんだけど、どんなに誘ってもアイツは来なくてなあ。じゃあいいやって夜中にひとりで行ったら、アイツ、見回りの神官に言いつけやがった。おかげで俺は大目玉くらっちまったよ」

「当たり前ですわ。神木に登るなんて、お兄様ったら罰当たりな」


 横で聞いていたフェリシアが心底嫌そうに眉をひそめる。

 確か大神殿には神木と呼ばれる大きな木があるとは本で読んだ。だけどローゼが知るのはその程度だ。


「神木っていうと、大神殿にある大きな木ですよね。木登りできるくらい丈夫なんですか?」

「丈夫も丈夫さ。なんせ十人の大人が手を繋いでも囲めないくらい太い幹なんだぜ」

「十人が? すごいですね」

「だろ? その割に高さはそこまでじゃなくて、一番下の枝なら人が背伸びすれば届く程度なんだ。だから俺の所属する部隊にはひとつ習わしがあってな、新しく配属された奴は神木の下で跳ぶんだ。ほかの皆は、そいつがどの高さの枝に触れるかを賭け――」

「神木は元々ただの木だったそうです。それが人々の祈りと神の力によって変容したのだと伝わっておりますわ」


 横からフェリシアがさらりと口を挟む。


「神官や神殿騎士にとって重要な木ですけれど、それだけではありませんわ。神木があるおかげで、王都には絶対に魔物が出ませんの。実際に有史以来、王都は魔物に一度も襲われておりません」


 各集落には結界の役目を果たす壁がある。これによって神殿の神の力を留めておけるので、内部の魔物出現率は外に比べて格段に低い。しかし絶対に出ないわけではないのだ。グラス村でも「小鬼」と呼ばれる弱い魔物は数年に一度の割合で姿を見せるし、何百年か前には「食人鬼」と呼ばれる大きな魔物が出て壊滅状態になったことがある。だけど、王都に住めばそんな脅威とは無縁になるということか。


 しかし居住権を得るためには条件がある上に、王都は税もかなり高いらしい。


「いいなあ……だったら神木があちこちの町や村にあれば安心なのに。接木とかできないのかな」


 ローゼが呟くと、フェリシアとジェラルドが顔を見合わせて困った笑みを浮かべる。


「……それはできませんのよ」

「だな」


 どうやら神木にも何かまだ秘密があるようだ。



   *   *   *



 俺は八年ぶりに故郷の村へ戻った。

 二十六歳になった俺を出迎えたのは、二十三歳になったエルゼだった。玄関から出てきたエルゼは目を見開き、唇を震わせ、絞り出すように言う。


「……レオン、なの……?」


 最後に彼女と会ったのは、この村の、この家だ。俺が聖剣の主として選ばれて、エルゼが里帰りをしてくれた。

 あのときは幸せだったな。十五歳のエルゼは神官になるという夢を抱いたままだったし、十八歳の俺はエルゼのくれた「平民だからこそ選ばれた聖剣の主」という言葉を無邪気に信じていられた。……ああ、今の俺たちはなんて遠くまで来てしまったんだろう。


「久しぶり、エルゼ」

「……ええ、久しぶり。ねえ、レオン……」

「ごめんな。俺、大神殿でのことを知らなかったんだ。お前と同期だったっていうあの子……なんてったっけな、とにかく偶然会った彼女に聞いて初めて知ったんだ」

「それはいいのよ。大神殿の話だって五年も前のことだもの。それより、レオン」

「でさ、俺」

「レオン!」


 気が付くとエルゼは、顔をくしゃくしゃにして泣いている。

 近寄ってきた彼女の手に顔を挟まれて俺はちょっと動揺した。


「なんで? なんでなの? あなたの髪はそんなに黒くなかったはずよ? 瞳は綺麗な水色だったのに、どうして紺色になってるの!」


 エルゼは泣きながら俺の目を覗き込んで、次いで俺の髪を手に取ってさらに泣いた。


 俺は自分の髪を見る。神殿の関係者は伸ばさなくてはいけないのだと聞いて、昔は短かった髪も今は胸くらいまで伸ばしている。

 いつもと変わりのない焦げ茶色の髪なのに、エルゼは何を言っているんだろう。


「思い違いじゃないか? 色なんてそう簡単に変わるもんじゃないだろ」

「変わるのよ、レオン! あなた、神殿で浄化は――」

「うるさい!」


 俺はエルゼの手首をつかんで引き離す。


「何が浄化だ! 私利私欲で人を陥れるような奴らに、何を浄められるって言うんだ!」


 身分で人を判断して馬鹿にしたり、罪を捏造したりする。あいつらこそ浄化が必要な対象じゃないか。そうだ。次に王都へ行ったら俺が奴らを浄化してやるのも悪くない。


 思わず笑みをもらす俺を見ながら、エルゼはさらに泣いた。うっかり力を入れすぎたことに気づいて俺は両手を広げた。


「ごめん。痛かったよな。――そうだ。俺、お土産を持ってきたんだよ。エルゼの夢には足らないけど、せめてこれくらいはと思って」


 喜ぶだろうと思って差し出した小さな包みをエルゼは受け取らなかった。むしろ愕然とした表情を浮かべ、後ずさりまでする。


「エルゼ?」

「なんでそれが、ここに……」

「どうしたんだ?」

「レオン、あなたなんていうことをしたの。それは、禁忌よ……!」


 禁忌。その言葉と共に、例の貴族が頭に浮かぶ。約束の時間にこれを持って現れたあいつは血の気のない真っ白な顔をしてたな。あれは愉快だった。


「これを取って来たのは俺じゃない」

「では……では、誰が」

「別に誰だっていいじゃないか」

「良くないわ。レオン、これは駄目よ。駄目なものよ」


 エルゼは拒否するように手を後ろに回し、必死に首を横に振っている。

 俺はよく理解できなかった。とにかくエルゼに渡したくて近寄るが、彼女は頑として手を出さず、きっぱりと言い切った。


「いらない。受け取れないわ」


 その言葉がようやく飲み込めて、俺の心の奥からはじわじわと怒りが湧いて来た。


「……なんでだよ……」

「レオン」

「なんでなんだ!」

「レオン、聞いて」

「お前はずっと言ってたじゃないか! 村を魔物から守りたい、そのために神官になりたいって!」

「言ったわ、でも」

「これがあれば村を守れる! お前の夢の代わりになれるんだろ!」

「いいえ。ならない。村は消えてしまうもの」

「……何?」


 青い顔で、でもしっかりとした意思を持って赤い瞳が俺を見る。続いて俺の手にあるものを。

 俺たちの間で薄い黄金色に輝いているのは小さな神木の枝だ。折り取ってから一か月近く経っているのに、一枚だけついた葉も含めてまだ瑞々しい。


 この枝を地面にさせば、すぐに根付く。

 そして根はあっという間に広がり、その範囲だけ魔物を寄せ付けない。


「地上に見えている部分は小さくても、根はかなり広がる。あの辺鄙な村なら、この程度の枝でも十分まかなえるだろうなあ」


 手のひらほどの小枝を持ってそう揶揄した神官の言葉を俺は忘れてなかった。


「レオン、聞いて。大神殿以外に植えられた神木は、禁忌の木と呼ばれるの。大神殿は禁忌の木を絶対に放置しない。地上部分を焼くのはもちろんだけど、根だって一片も残さないの。もしも村に植えたら、地中を掘り起こすために家も畑もすべて壊すわ!」


 俺は言葉を失って手の中の枝に視線を落とす。一歩近寄るエルゼの足元が見えた。


「神官様もあなたを心配してらしたのよ、レオン。これから一緒に神殿へ行って浄化をしていただきましょう。そのあとに大神殿へ戻って、この枝を神木の根元に返すの。……ね、レオン。私、ずっと考えていたんだけど」

「そうか、分かったぞ。大神殿の連中は恩恵を独り占めしたいんだな。だから他の場所にある神木を徹底的に消すんだ」

「違う、違うのよ、聞いて、神木が大神殿にしかないのは――」

「もういい」


 エルゼが取りすがろうとするのを振りほどく。はずみで、枝についていた一枚だけの葉が落ちた。

 地面に倒れこんだエルゼが哀しげな瞳で見上げてくるけど、もう俺にはどうでもよかった。結局はエルゼも神殿側の人間だった、それだけの話だ。


 俺は黙ってエルゼに背を向ける。


「待って、レオン! お願いだから私の話を聞いて!」


 悲鳴じみたエルゼの声が辺りに響く。俺の足が動きだす。


「レオン、レオン……!」


 エルゼの声が遠ざかっていく。

 なんて最悪な帰郷だろう。こんなことなら戻らなければ良かった。


 村の外まで走って、森の中まで来て、息が切れて、そこらの木を背にして座り込む。

 しばらくそのままの体勢でいたが、呼吸が落ち着いてから右手を見ると、握りしめたままの枝があった。一枚だけついていた葉が落ちてしまった枝。

 たった一枚だけでも、彩りがあるのとないのとでは印象が全然違うんだな。さっきまでは瑞々しい枝に見えたのに、今じゃまるで枯れてるみたいじゃないか。


 なんだか自分を見ているみたいで忌々しくなって、俺は神木の枝を乱暴に腰の物入れへ突っ込んだ。


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