「レオン、聖剣の主様は瘴気を浴びることが多いんだから、ちゃんと神殿に行って浄めてもらうのよ?」
聖剣の主に選ばれたあのとき、俺に会いに来てくれたエルゼはそう言っていた。だけど俺は一度も浄めてもらったことなんてない。
なにせ俺には聖剣がある。聖剣の守りの力は強いのだし、瘴気なんて平気なはずだ。実際に八年のあいだ魔物と戦い続けてるけど、俺の見た目に変化はない。
……きっと、黒く染まるなんていう話自体が嘘だったんだ。神殿の連中はそうやって人を脅し、金を巻き上げてるんだな。なんて汚いんだ。
そう。神聖術をかけてもらうには金がいるんだ。神殿の思惑に乗りたくない俺はできるだけ世話にならないようにしているけど、残念ながらどうしても金を払わなくてはいけないことはある。
神聖術が籠められた品の購入だ。
特に薬は絶対に欠かせない。神聖術が籠められた薬には傷を即座に治す効果がある。それに加えて魔物から受ける瘴気混じりの傷は、神聖術か、あるいは神聖術が籠められた薬でないと治らない。
そんなわけで俺は町や村の神殿には仕方なく立ち寄ることはあったが、大神殿にだけ絶対に行かなかった。
そしてもう一か所、俺自身の故郷の村にも。
だから俺はずっと気が付かなかったんだ。
俺の幼馴染、赤い髪と瞳を持つエルゼが、神官になることなく大神殿から去っていたことに。
その話が分かったのは本当に偶然だった。薬を買うため立ち寄った神殿に、たまたまエルゼと同期の女性神官がいたからだ。
俺と彼女に面識はない。だけどそのときは腰に巻いた布が緩んでいたせいで中の聖剣が見えていた。今、聖剣を持つ若い男は俺だけだから、それですぐに分かったのだと彼女は言う。
「エルゼは元気ですか」
問われて俺は首をかしげた。
エルゼは十歳で大神殿に行った。神官の修行は八年だから、エルゼは今から五年も前に神官になっている。もしどこかの集落で赤い髪の女性神官を見かけたときはすぐに逃げようと俺は心に決めていたけれど、もちろんそんなことを言うわけにはいかない。
「エルゼがどの神殿に行ったのかは知らないから、元気かどうか分からない」
とだけ答えると、神官の彼女は驚いた。
「ご存知ではなかったのですか? エルゼは神官になっていません。そのまま故郷の村へ戻りました」
今度は俺が驚く番だった。
どうしてエルゼが神官になっていないのか。理由を問い詰めると、彼女は人目をはばかるように辺りを見回した。そうして神殿の小部屋へ俺を案内し、重い口を開く。
「エルゼは八年のあいだずっと、同期の中で一番の成績でした。それを良く思わなかった貴族のお嬢様が、エルゼを陥れたんです」
貴族のお嬢様とやらは「エルゼが自分の首飾りを盗んだ」と訴えた。
上役の神官たちがエルゼの部屋を捜索すると、確かに荷物の中から首飾りが見つかった。それで
「エルゼは否定しました。私たちも抗議したんです。……でも、無駄でした」
結論ありきの裁判の結果、エルゼは罰として大神殿を追われた。神官になるまであと数か月という時期の出来事だったそうだ。
彼女の話を聞く俺の手は小刻みに震えていた。必死に自分を抑えていなければ、俺は辺りのものをすべて破壊していたに違いない。
だってこんな酷い話があるか?
神官になるのはエルゼの夢だったんだ。魔物に両親を殺されたエルゼは、子どもの頃から「大事な人を魔物から守りたい。村を魔物から守りたい」と言い続けてた。だから十歳になってすぐ村を出て、大神殿を目指した。
叶う直前だった夢を潰されて、エルゼはどれほど悲しんだのだろう。
考えるだけで気が狂いそうだ。
許さない。
絶対に許さない。
俺は神官の彼女から貴族の名前を聞きだすと、約八年ぶりに王都へ足を向けた。行先はもちろん例の貴族の屋敷だ。
最初はその娘を殺してやろうと思った。
だけどもっといい方法を思いついたんだ。
貴族の屋敷にはあまり苦労せず入り込めた。当主もすぐに見つかったが、奴は俺の要求を断った。神官の娘に禁忌を犯させるわけにはいかないとか言ってたが、だから何だ?
「それが嫌なら一族全員の命で償わせてやる。誰に助けを求めても無駄だ。どれだけの年数をかけても、どんな手段を使ってでも、俺は必ずやり遂げてみせる」
俺が言うと、泣き崩れた当主はついに要求を受け入れ、刻限として指定した日に約束の物を持って現れた。
神官になるというエルゼの夢は叶えられなかったが、これなら代わりとして役に立つはずだ。
――故郷の村へ向かう途中、ある貴族が地位を剥奪されたらしいとの噂話が耳に入ったけど、俺にとってはどうでもいいことだった。
* * *
今日は出発してからもローゼの頭からは見た夢の内容が離れなかった。
(レオンが出てくるあの夢は、あたしの妄想だと思ってたけど……もしかして違うの?)
ローゼの身に重要なことが起きたり、あるいは印象深いことを見たり聞いたりしたときにレオンの夢を見ているような気がする。まるでレオンがローゼを
ローゼは十一振目の聖剣の、二番目の主になる。
一方で夢の中のレオンは十一振目の聖剣を初めて持つ人物だった。
だとすればレオンというのは、聖剣を手にしたあとに八年と少しで世を去ったという
ローゼはセラータの手綱を握りしめる。
夢はどんどん時が進んでいる。だけどレオンには幸せな未来が待っているように見えない。先を知りたくない気持ちは、先を知りたい気持ちと同じくらい大きい。
「ローゼちゃん、どうした? ぼんやりして」
ジェラルドから声を掛けられてローゼはハッと顔を上げる。夢のことを考えていたせいで黙り込んでいたらしい。
今日もローゼの右側を歩くのはジェラルド、左側を歩くのはフェリシアだ。他の神殿騎士たちはいつもと同じように周囲を取り巻きながらも他人行儀な空気を漂わせている。
「すみません、なんでもないんです。ちょっと考え事をしてました」
「そっか。俺はてっきり、フェリシアちゃんのイビキがうるさくて寝不足なのかと思ったよ」
「まあ酷い! わたくしはお兄様と違ってイビキなんてかきませんわ! ねえ、ローゼ様?」
「うん。そうだね」
「ほら、お兄様。聞きまして?」
「へいへい、聞いた聞いた」
深く気にした様子のないジェラルドと、頬を膨らませるフェリシアと。右と左に頭を巡らせてから、ローゼは思い切って口を開く。
「あのう。お尋ねしてもいい? ジェラルドさんとフェリシアは
ジェラルドの姓はリウス、フェリシアの姓はエクランド。苗字は違うが妙に仲が良さそうではあるし、この旅の途中でフェリシアはジェラルドのことをいつも「お兄様」と呼んでいる。
気になるけれど、これは尋ねてよいものなのか。悩んで悩んでようやく問いかけたローゼに対し、ジェラルドは軽い調子で「違う違う」と言いながら顔の前で手を振る。
「兄妹じゃなくて
「なるほど、それで親しい感じなんですね」
「そ。しかも神殿騎士と神殿騎士見習いだろ? おかげでいっつも俺が面倒見てんだ」
ジェラルドは大仰にため息を吐く。
「今回もフェリシアちゃんが『自分も連れて行け』ってワガママ言うからさ、俺、苦労したんだぜ? あちこち根回しして、なんとか訓練生を連れて行くよう手はずを整えて、だけど申請は偽名を使って、あとでこっそり合流もできるようにしてな。俺の仲間たちが協力してくれたから何とかなったけど、今回の代表がアレン大神官じゃなかったらおそらく上手くいかなかったぜ」
「どうしてアレン大神官なら上手くいったんですか?」
「そりゃ、奴の人望のおかげさ」
ジェラルドがにやりと笑い、彼の話が聞こえたらしい周囲からは忍び笑いが漏れる。どうやら『人望』は良い方向の話ではないようだ。考えてみれば古の聖窟へ向かうこの道中もアレン大神官は馬車の外にほぼ姿を見せないし、周囲の神官や神殿騎士に気を使うそぶりも見せない。そういった手前勝手な性格も含め、あまり好かれる人柄ではなさそうだ。
「久々に頭を使ったから最後は頭痛がひどかったんだぞー」
「だって、わたくし……」
「『新たな聖剣の主様に、どうしてもお会いしたいのです』だろ? そのお言葉は何度も聞きましたよ、お姫様」
「そのような
「本当のことだからしょうがないだろ、お姫様」
「止めてくださいませったら!」
フェリシアは本気で嫌がっているが、「お姫様」という表現は彼女にぴったりだ。
ローゼがつい頷くと、ジェラルドはなんだか嬉しそうな顔になる。
「お、ローゼちゃん。もう聞いてたんだな」
「何をですか?」
「フェリシアちゃんがお姫様だって話」
今までで一番鋭い声でフェリシアが「お兄様!」と叫ぶ。しかしジェラルドに気にした様子は見られない。
「そっかー、もう少し後で明かすのかと思ったけど、割と早かったなー」
「すみません。言ってることが良く分からないのですけど」
「だからほら、フェリシアちゃんがお姫様――王女様だって話だよ」
「……え?」
ローゼが反射的にフェリシアの方を向くと、彼女の顔は強張っている。
「王女様? フェリシアが?」
返事は反対側からあった。
「ありゃ、まだ言ってなかったのか」
「……言ってませんわ。ですから、止めてくださいって申しましたのに」
「ごめんごめん。悪かった」
ジェラルドの謝罪は軽い。
「だけどいつかは分かることだから許してくれや。――てことでローゼちゃん。フェリシアちゃんはこの国の王女様なんだよ」
「……本当に?」
「本当、ですわ」
強張った顔に笑みを張り付け、フェリシアはこくりとうなずく。
「わたくしはアストラン王国第六王女、フェリシアです」
思わずあんぐりと口を開いたローゼの方へ身を乗り出し、フェリシアは矢継ぎ早に告げる。
「で、でも、わたくしのお母様は下級貴族出身の第三王妃ですし、わたくしの王位継承権だって高くはありませんし、今のわたくしはただの神殿騎士見習いですし、ですから、その、ローゼ様もわたくしを王女とは思わず、普通に接していただきたいのです!」
「う……」
さすがに即答は出来ずにローゼは口籠る。
フェリシアには優雅で高貴な雰囲気があると最初から思っていた。貴族の娘かもしれないとは考えていたが、まさか王女だったとは。
(あたし……どうしよう)
頭の大半は意外なことを聞いて混乱しているが、その中にある冷静な部分が「腑に落ちた」と呟く。
初めてフェリシアと会った日、ローゼの部屋で彼女が「大神官様もわたくしの存在を把握しておりませんわ」と言ったことに引っかかりを覚えたが、フェリシアの出自分かった今なら納得がいく。あのアレン大神官だ。王女が一緒に来ていると知ったなら、彼女を下にも置かない扱いをしていたに違いない。
(あと……出発の日に名前を呼んだときだって)
あのとき頬を伝ったフェリシアの涙を思い出しながらひとつ頷き、ローゼはにっこりと笑った。
「うん、ありがとう。これからも仲良くできたら、あたしも嬉しい」
途端に愛らしい顔がぱっと輝く。
「本当ですわね? これからも『フェリシア』と呼んでくださいます?」
「うん」
「隣でご飯を食べてもよろしいかしら」
「もちろん」
「良かった! 夜も一緒に寝ましょうね!」
「え? えーと、そうね、分かった」
生まれがどうであれ、目の前にいるのはローゼの友人になってくれたフェリシアだ。彼女もそう望んでいるのだから、互いの関係はそれでいい。