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16話 旅の途中

 アレン大神官と一緒にグラス村へ来たのは、神官が五十名と神殿騎士六十名だった。


 この中でまず、三十名の神殿騎士が先頭を行く。その後ろを大神官の乗る馬車と五十名の神官たちが進み、さらに後ろは残り三十名の神殿騎士が続く形だった。

 ローゼが入れてもらうことになったのは、後ろ側の神殿騎士三十名の中だ。


 日中は食事と休憩以外は基本的に先を進み、夕刻近くに集落があればそこが宿泊地になる。

 大神官は町の中に泊まることが多く、その他の人物は皆、集落近くの開けた場所で天幕を張って休んだ。

 食事も朝や昼は携帯食ばかり。夜は簡易的に設えたカマドで簡単な煮込みは作られるが、大して美味しいものではない。ジェラルド曰く、「まともな食事」をしたのは、グラス村付近に滞在していた数日くらいだという話だった。


「まあ、アレン大神官はちゃんとしたものを食ってるんだろうけどよ」

「そうですか……」


 ローゼは少し残念に思う。

 たくさんの人と一緒に干し肉や硬いパンをかじるのも初めてなので興味深くはあるが、できれば見かけた町や村の食事もとってみたかった。駄目ならば、せめて建物を見てみたかった。


 今しがた通りかかった集落の壁を未練がましく振り返っていると、ローゼの右横で馬を並べて進むジェラルドが笑いまじりの声で言う。


「よっぽど気になるみたいだな、ローゼちゃん」

「ええと……はい」


 周りから自分がどう見えているのか分かって、ローゼは照れ笑いを浮かべながらセラータに座り直す。


「ローゼ様は村を出たのが初めてでいらっしゃいますのよね。仕方ありませんわ」


 左側にいるフェリシアが慰めるようにそう言ってくれるが、ローゼが村を出たのは厳密に言えば今回が初めてではない。


 最初に他の集落へ行ったのはまだ子どもの頃。行先は、祖母の故郷でもある隣の村だった。祖母が何かの折りに帰省することになった際「初孫を親戚に披露したい」という理由でローゼを連れて行ったのだったと思う。それでその日、ローゼはグラス村の家で朝食を摂ってから馬車に揺られ、少し遅い昼食を祖母の実家でごちそうになった。

 隣村は海に面していて、漁で生計をたてていた。農業中心のグラス村とは違うことが多くて、とても驚いたことをローゼは覚えている。


 ならばもっと遠くへ行ったのならどれほど景色は違うだろう。人々はどのような建物の中に住んで、どのようなものを食べているのだろうかと、ローゼはずっと気になっていたのだ。


「でしたら集落が少しも見られないのはガッカリですわよね」

「そうなの。だけど景色だけだって意外と楽しめるなあ、とは思うのよね」


 見たことのない山や川などは興味深いし、例え村で見た木や花であっても並びや生え方が違うだけでずいぶん印象が変わる。これだけでも旅の気分が味わえるものだと言うと、フェリシアはほんのりと笑った。そこには経験を持つ者特有の余裕が垣間見えて、ローゼはなんだか羨ましくなる。


「フェリシアはいろんな景色を見たことがあるんだね」

「はい。と、申し上げたいところですけれど、実際には、いいえ、ですわ。訓練で王都周辺を巡ったことはありますけれど、こんなに遠くに来たのは初めてですもの」

「そっかあ」


 考えてみるとローゼは神殿騎士についてさほど知っているわけではない。もちろん本や記録では読んだので神殿騎士たちの活躍や苦労は知っているが、それだけだ。

 周りを囲む白い鎧の人々を見ながら、ローゼはこっそりと左側に体を傾ける。


「ね、フェリシア。神殿騎士って普段はどこにいるの? 神官とは違って決まった拠点にしかいないんでしょ?」

「ええ。神殿騎士の部隊は王都の大神殿と、アストラン国内の五つの都市に駐留しております。もしも魔物が出た時は大神殿の要請に従って他の地域にも討伐へ向かいますわよ」

「じゃあフェリシアもいつかは神殿騎士になって、魔物と戦うんだね」

「ふふふ」


 ローゼの言葉を聞いたフェリシアは意味深な笑みをもらす。


「わたくしが神殿騎士になれるのはあと二年後ですけれど、魔物とは既に戦ったことがございますわよ」


 そう言ってフェリシアは黒い馬の背で胸を張った。小さな声だったのは、周りにいるのが魔物との戦闘経験を持つ神殿騎士ばかりだからだろう。それが分かってローゼも小さく笑った。


 この辺りまではローゼに物見遊山の気持ちがあったことは否定しない。それがいかに甘い気持ちだったかと思い知ったのは翌日のことだ。


 昼を目前とした頃、後方で騒ぎが起きた。ローゼの右横を進むジェラルドがさっと表情を引き締め、周囲の神殿騎士たちの気配が一斉に緊張を帯びる。


「……なに?」


 ローゼが戸惑いの声を上げる頃になると、神殿騎士たちは掛け声を合図に隊列を組み、後方へ馬を走らせていた。

 前方の神官たちが列を止めて「何事か!」と叫ぶ。ひとりの神殿騎士が「魔物だ」と言い、続けて別のひとりが「だが問題ない、小鬼だ」とさらにつけ加えた。


 小鬼とは大して強くない魔物たちの総称だ。よく姿を見る代わりに、神に仕える者でなくとも倒せる程度の力しか持っていない。神殿騎士たちの敵ではないと頭では分かっているものの、こうして間近に醜悪な小さい顔を見てしまうと、体が震えてしまう。


 それでもローゼは聖剣の主として選ばれた者だ。汗ばむ右手を腰へ移動させ、冷たい剣の柄を握ったとき、横のフェリシアがやんわり手を重ねてきた。


「出たのは小鬼ですし、周囲にいるのは手練れの神殿騎士たちばかりですわ。ご心配に及びません」

「……うん」


 それでほっと肩の力を抜いたローゼは、代わりに戦闘風景を目に焼き付ける。


 今回の小鬼はとても素早い種類のようで、神殿騎士の刃は幾度も空を切る。

 しかし誰かが聖なる言葉を唱え終わった途端に小鬼の動きが鈍った。その機を逃さず別の神殿騎士が刃を叩きつける。鋭い爪の一部が手から離れて宙に舞った。次の神殿騎士がさらに足へ切りつけ、よろめく小鬼へ複数の神殿騎士が切りかかる。こうして小鬼はついに塵となって消えた。鮮やかな連携だった。


 戦い終えて戻ってきた神殿騎士たちの方へ神官の一団から数人が走り寄る。神殿騎士たちが立ち止まると、手をかざした神官は聖句を唱えているようだ。

 その様子を見ながらローゼはぽつりと呟く。


「すごいなあ」


 村人たちが小鬼を相手にした場合はもっと時間がかかる。神殿騎士たちの手にかかるとこんなにも見事に倒せるのかと思うと、改めて「魔物と戦い続ける」ということの凄さを感じる。


(あたしもこれからは魔物とあんなふうに戦うんだ)


 考えてローゼは首を横に振る。


(ううん。違う。あたしに仲間はいない。あたしは聖剣を持って、ひとりで魔物と戦わなきゃならない……)



   *   *   *



「ローゼ様、どうかなさいまして?」


 声を掛けられてローゼはハッと顔を上げる。神殿騎士見習いの証である銀色の鎧を脱ぎ終えたフェリシアが、天幕の中で不思議そうにローゼを見ていた。


 夜になると大神官は集落の中へ姿を消すが、神殿騎士や神官たちは集落の近くで天幕を張って休む。各自の天幕を用意するわけではなく、少し大きめの物を張り、複数名で男女別に寝ているようだ。

 最初の夜、ローゼもそこへ行くつもりだったのだがフェリシアに止められた。小ぶりの天幕をひとりで使用しているから、自分と一緒に寝ないかと誘われたのだ。

 断る理由もなかったので、以降のローゼはフェリシアと一緒に寝ることにしている。ローゼも見知らぬ人たちに囲まれるよりフェリシアと一緒の方が気が楽ではあったし、当のフェリシアもこうして楽しそうにしてくれている。


「あ、ごめん。昼のことを思い出してたの。戦闘するときに神殿騎士たちが何か唱えてたなあって。あれは聖句?」

「ええ。瘴気しょうきを遮断していましたの。それによって魔物を弱体化できますので、自身を守ることにも繋がりますわ」

「瘴気、かあ。文字は本や聖典で見たことあるけど、あんまり詳しく載ってなかったな」

「必要がないので、一般の方に向けた聖典には詳細が書かれていませんのよ。――瘴気というのは、地の底に満ちている空気のようなものです。地上では神の力に阻まれて、魔物は本来の力を発揮できませんの。ですが瘴気さえあれば、魔物は地上でも地の底と同じだけの強さを持てるのだと言われていますわ」


 地の底には闇の王がんでいる。その闇の王の配下として動くのが魔物たち。

 魔物は『瘴穴しょうけつ』と呼ばれる穴を通って現れる。地の底に繋がっているこの穴は、瘴気も吐き出している。


 と言っても瘴気や瘴穴は人に見えない。神の言葉として聖典に記載があるだけだ。ただし実際に地面から魔物は這い出してくるのだから、見えなくともきっとあるはずだ、とフェリシアは語った。


「じゃあ魔物がいるってことは、近くに瘴穴があるってこと?」

「いいえ、そうとも限りませんわ」


 瘴穴は通常、半日も経たずに消えるといわれている。地上に満ちる神の力に負けてしまうからだ。しかし中には一か月近くも存在し、延々と魔物を出し続ける強力な瘴穴もあるらしい。しかも瘴穴が消えたからと言って魔物が消えるわけではないので、倒されなかった魔物は山や森をうろつき続けて遠くまで行く。


「なるほど。すごく厄介だね」


 ローゼが呟くと、髪をかしていたフェリシアは振り返って紫の瞳を向けてくる。


「ええ。瘴穴が近くにあるかどうか、分かれば良いのですけれど」

「他に魔物が出て来るかどうかの警戒ができるもんね」

「それだけではありませんわ。魔物と戦う者たちは特に瘴気に気をつけなくてはなりませんの。瘴気は人を魔物に変えてしまいますから」

「なにそれ!」

「これも、聖職者向けの聖典にしか書かれていないことです。――瘴気は体の中に溜まって行きますの。そしてある程度溜まると、魔物になってしまいますの」


 その様子を想像し、ローゼは思わず唾を飲み込む。


「……瘴気が溜まったかどうかって、どうやって分かるの?」

「髪や目の色です。瘴気に染まると髪や目が黒くなっていきますのよ」


 フェリシアは梳かしていた髪を手に取る。


「ほら。ですから神殿の関係者は、こうして髪を伸ばしますの」

「短いよりも長い方が、黒くなったかどうか分かりやすいもんね」


 さらさらとなびくアーヴィンの長い褐色の髪を思い出したローゼは、同時にグラス村で読んだ本のことを思い出した。

 精霊が世界から消えた理由は「魔物に変じて数を減らしたせい」なのだと書いてあったが、もしかするとそれも瘴気の影響なのかもしれない。

 黒く染まったりしなければ今でもあちらこちらに精霊がいたのかと思うと、とても残念だ。


「瘴気に染められた人は元に戻せるの?」

「ええ。神官の使う神聖術で浄化できますわ。ただしある程度染まってしまうと、もう浄化はできません。魔物になってしまいます」

「……魔物になった人っているのかな」

「記録に残っていないので、きっといませんわ。だって普通の人は魔物に変わるほどの瘴気を浴びたりしませんし、神殿の関係者で神官から浄化を受けない人なんておりませんもの」

「それもそうか」


 ふたりは顔を見合わせて笑い、寝袋に潜り込む。


「聖剣の主様は魔物を倒し続けますもの。瘴気の近くに行くことが多いのですから、黒く染まりやすいと聞きますわ……もちろん聖剣に守りの力がありますから、簡単には染まらないそうですけれど」

「ふうん……」

「ですから時々、神官に瘴気を浄化してもらう必要があるそうですわよ」

「へぇ……」

「もう、ローゼ様ったら、そんな他人ごとのようなお返事をなさって。今後、ローゼ様も同じことをする必要がありますのよ?」

「……うーん、本当に聖剣の主になったらね」

「きっとなりますわ」


 笑うフェリシアの目がとろりとしている。


「そろそろ寝ようか。おやすみなさい、フェリシア」

「はい。おやすみなさいませ、ローゼ様」


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