ローゼの問いに対し、女神は淡々と答えをくれた。
* * *
その昔、闇の王は人間たちに対して魔物を送り込んだ。
神々は対抗手段として人間に神聖術を与えた。聖句を通じて神の力を使えるようにしたのだ。
しかし力を振るう魔物に対抗するにはそれだけでは足りないように思われた。
協議した神々は力の一端を剣に変え、地上へ下すことにした。
しかしあまりにも強すぎる力は人の世を狂わせるかもしれない。
故に神々は各々が一振ずつ、十柱で十振の剣を作って人に与えた。
剣が持つものは純粋な神の力、人が持つには強すぎる力。
この力を完全に制御できるよう、悪用されぬよう。聖剣には主を決め、その主以外には使用できぬようにした。
主に不意の出来事があったり、戦いの継続が困難だと判断した場合には、新たな主をいただくようにもした。
しかしこのやり方には欠陥があった。
次の聖剣の主となる者は、最初に聖剣を手にした者の子孫であることが絶対だった。
これは初めに主となった人間の血と聖剣を結び付けてしまったことに由来する。
力を維持するために血は絶対だが、血の素養が次に続くとは限らない。
時が経つ中で最初の主の血は薄れ、少しずつ変容してゆく。
ならばどうするか。
「もう一振だけ与えよう」
偉大なる主神ウォルスの決定により十一振目の剣が作られた。
前回の失敗を踏まえ、血との結び付けは行わない。神々が選んだ魂と結び付けることにすればよい。
これならば血の影響は受けずにすむ。
* * *
『神の力は魔物だけを退ける力。人を殺めることなき神の力。我々は魂を選び、十一振目の剣と結びつけ、人の世に下ろしたのです』
もしも主の魂が天に召されても、神が次の魂を選んで剣と結びつければ良い。
そうすれば十一振目の剣は、常に人の世でその力をふるうことが出来るだろう。
『しかし十一振目の剣は、人を殺めました』
ローゼは目を瞬かせた。
つい今しがた、聖剣は人を殺せないと言わなかったか?
「どうしてですか?」
ローゼが問い返したとき、
【ろーぜ きた】
「ふぇっ?」
急に低い声が話に割ってきたのでローゼは頓狂な声をあげた。しかしあたりを見回しても誰もいない。
『既に剣は人に与えられました』
【けん ひと】
『天の力しかなかったときとは違い、人の手が、地上の力が、加わったのです』
【かみ ちがう】
『地上に神の力は及ぶとも、神の
【ちじょう いく】
『そう判断した我々は剣を人に返すべきだと判断しましたが、幾度試みようと剣に魂が結び付けられません』
【えらぶ いや】
『しかし其方を選定した際、ようやく剣が反応したのです』
【ろーぜ いい】
(待って。二か所から声が聞こえて混乱してるから待って!)
『十一振目の剣を頼みました、ローゼ』
「あ、ちょっ――!」
眩い光が消えてティファレトは像の姿に戻る。
後には片手を伸ばして固まるローゼと、一振の剣とが残された。
輝きの無くなった今、ティファレトを含む十柱の神像はぴくりとも動く気配を見せない。ローゼは諦めて視線を外し、手を下ろす。神に会うという使命は終わったが解放感は無かった。理由は分かっている。床に置かれた一振の剣のせいだ。
(女神様はこの聖剣について、なんて言ってたっけ……)
一.この聖剣は、魔物を殺せる。
二.この聖剣は、人を傷つけられない。殺すこともできない。
三.この聖剣は、新しい試みによりつくられた。
四.この聖剣は、
(で……)
五.この聖剣は、人を殺せないはずなのに人を殺した。
六.この聖剣は、たくさんの魂を選定したけど無反応だった。
七.この聖剣は、理由は分からないけれどローゼには反応した。
八.だからローゼに押し付けようと思った。なんかそんな感じだった。
ローゼは頭を抱えた。
つまりローゼは貧乏くじを引いたということなのだろうか。
(聞きたいこともあんまり聞けなかったし……)
いずれにせよ、神がローゼに聖剣の主をさせたいということだけは間違いない。よって聖剣はいま、ここにある。だけどそれ以上のことは結局分からなかった。
仕方がないので剣に向き直る。神は聖剣に意思があるようなことを言っていたのだから、何か答えがもらえるかもしれない。
「さっき喋ってたのって
【せいけん】
先ほど神と話をしているときに聞こえたものと同じ声がする。
声だけ聴くのなら成人男性のような低さだが、話し方はかなりたどたどしい。小さな子が覚えたての言葉を一生懸命に話しているような、酔っ払いが眠い目をこすりながらなんとか喋っているような、そんな感じだ。
「あたしはローゼ。ローゼ・ファラー。よろしくね、聖剣」
【ろーぜ よろしく】
「ねぇ、どうしてあたしを選んだの?」
【ろーぜ いい】
「何が良かったの?」
返事はすぐに戻ってこなかった。ときどき唸るような声が聞こえた後に、
【いい】
「うーんと、どの辺が良かったの?」
【いい】
「具体的に言うと?」
【いい】
使える語彙が少ないのだろうか、明確な答えはもらえなかった。
「……じゃあ、質問を変えるわ。あのね。聖剣って人を傷つけられるの? もしそうならあたしは剣の扱いが下手だから、うっかり自分を斬っちゃうかもしれない」
【ない】
「ない……斬らない……斬れない?」
【ない】
剣の答えにローゼは首をひねる。
「でも以前、人を殺したんでしょう?」
【ない】
「神様が殺したって言ってたけど?」
【ない】
うーん、とローゼはうなる。
「じゃあ、何を殺したの?」
剣は一拍置いて答えた。
【まもの】
「魔物なの? 本当に? 人じゃなくて?」
【ない】
「絶対に人は殺さない?」
【ない】
言い張っている以上、とりあえずは信じてみようとローゼは思った。
「じゃあ、質問変えるね。レオンって知ってる?」
【れおん】
「そう。レオン」
【れおん】
「……知らない?」
【しる】
「知ってるのね。やっぱりレオンがあたしの前の主なの?」
【あるじ】
ならばあの夢はやはりただの夢ではなかったのだ。
「レオンはどうなったの?」
【せいけん】
「え?」
【れおん】
「そうね、十一振目の聖剣を最初に持ったのはレオンよね」
【れおん せいけん】
「うん」
【せいけん れおん】
「んん?」
剣は一体何が言いたいのだろうと、ローゼは首をひねる。
【れおん せいけん】
「聖剣の主が、レオン」
【せいけん れおん】
同じ言葉ばかり返す聖剣に対し、ふと思い当たったローゼは聞いてみる。
「……もしかしてあなた、レオンなの?」
【れおん】
「あたしの前に聖剣の主だったっていう、レオン?」
【れおん】
ローゼは腕組みをして剣を眺めた。
「レオンって人間だったでしょ? なんで剣がレオンなの?」
【ない】
「分かんないってことかな? じゃあレオンの時も、剣は話をしたの?」
【ない】
「話さない、かな。とすると今、あたしと話してるのはレオンね? 聖剣じゃなくて」
【れおん】
しばらく考え込み、それから少し迷いながら剣に尋ねてみた。
「あのね。あたし、レオンの夢を見たの。あれはレオンの記憶?」
剣からの返事はだいぶ遅かった。
【はなし むかし】
「話、昔?」
【たび おもう】
「話、昔、旅……話を聞いたことが切っ掛けで昔の旅を思い出した、ってこと?」
【ゆめ ろーぜ】
「それがあたしにまで届いて夢に見たってことでいいのかな」
【いい】
「不思議ね。あたしが夢を見たこともだけど、レオンがあたしの話を聞いたのも」
【たましい】
「そっか、あたしの魂と聖剣は結び付けられてるって神様が言ってたもんね。それでどこかが繋がってるのかな」
もしこの剣が本当に以前の聖剣の主レオンなのだとしたら。
「あの、ね。嫌なら答えなくてもいいんだけど」
そこまで口には出すが、先を言って良いものかためらう。
黙って剣を見つめ、しばらくそのままでいてから思い切って口を開いた。
「人だったレオンは、どうなったの?」
先ほどよりもずっと長い沈黙が降りる。
沈黙の後、剣はぽつりと言った。
【おもう】
たった一言だけだというのに、それはとても悲しそうな声だった。
以降は何を聞いても返事が戻って来なかったので、ローゼは話しかけるのを諦めて今後の進退を考える。
外へ向かった方が良いのだと頭では分かっていたが、重い荷物を背負ってまた長い道を戻るのかと思うと、床に座り込むローゼの体は動いてくれそうにない。
(よし、今日はここで休んじゃおう。そんで明日、早めに起きたらいいや)
そう決めたローゼは携帯食の味気ない夕食を終え、荷物の中から寝袋を取り出す。
「レオン、おやすみ」
傍らの聖剣から返事はなかった。明日になったらまた話してくれるかな、と思いつつローゼは目を閉じる。
固い地面で眠るのは慣れたが、辺りが明るいまま眠るのは初めてだ。寝付けないかもしれないと思ったが、意外にもすぐ意識は暗転した。