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21話 最期の夢

 あの最悪の帰郷から五日目、立ち寄った村で俺は大神殿が“十一振目の聖剣の主”を探してるらしいという噂を耳にした。

 頭の中には赤い髪の女と壮年の神官が浮かぶ。俺は唇をかみしめ、こみ上げてくるものを飲み込んだ。


 分かってた。

 エルゼは俺に関しての話を神官へするだろうし、神官は必ず大神殿に連絡するはずだと。俺なんかよりも、大神殿への義理や忠誠を取るに決まっていると。……そんなことは分かってたじゃないか。なあ?


 俺はマントのフードを深くかぶると、下を向いて歩き出す。


「……さて、これからどうしようか」


 街道を進みながらいつものように腰の聖剣へ声をかける。

 もちろんいつものように返答なんてないが、俺と一緒にいてくれるのも、話を聞いてくれるくれるのも、こいつくらいなんだ。


 そのままうつむいてどのくらい進んだろうか。なんとなく視線を上げると、遠く北にある険しい山並みが目に入った。暑い時期をすぎたばかりなのに上の方は白い。あれが万年雪というやつか。


 ……そういえば北方地域には行ったことはなかった。あそこは特殊だもんな。


 北方は今でこそアストラン国の一部だが、昔は小さな国だったそうだ。元国王だった家は、現在は領主となって北の地を治めている。ただしあまり従順ではないらしくアストラン王家も手を焼いているとか、民も領主にならって排他的な傾向があるとか、そんな噂を聞いた。そもそも北方地域には未だに独自の宗教観が息づいてるから、ウォルス教の神殿も少なくて――。


 ……ん? 待てよ。

 排他的で神殿が少なく、他の地域からの人間が寄り付かない場所。これはよく考えたら、今の俺が行くのにうってつけじゃないか?


 よし、決めたぞ!


 俺は北への進路を取る。

 聖剣と、腰の物入れに入れたままの『禁忌』を連れて。



   *   *   *



 北は噂通りの土地だった。

 他人と関わりたくない俺にとって排他的な気風は好都合だったが、困ったのは路銀が稼ぎにくいことだ。


 俺の金策は森や山の中にある香木や野草、珍しい薬草などを採ってくること。だけど困ったことに北方ではなかなか買い取りをしてもらえない。俺が店に入ると露骨に顔をしかめて出て行けと身振りで示されるばかりで、品を見るどころか話も聞いてもらえないんだ。

 路銀の残りも少なくなってきたので仕方なく野宿の日が増えたが、気温の低い北の地での野宿は結構つらかった。


 幸いなのは、魔物とほぼ遭遇しないことか。見かけたのは最初のうちだけ。このところはまったく会わなくなった。おかげでなんとか休めているが……。


 その日も何も売れず、俺は暗い気持ちを抱えて野宿のために町の外へと向かう。

 もうじき雪が降りだすだろう。

 これ以上の野宿は命の危険を伴うから暮らしていく方法を何か考えなければいけない。だけど北方の集落はどこも気持ち悪いんだ。なんというか変な匂いがして、あまり長居をしたくない。金の問題もそうだが、この匂いも俺を苛立たせる原因のひとつだった。


 ……ああ、金に関してはいい考えがある。そら、そこで遊んでいるあの子ども。あいつの命を盾にすれば親は金を払うんじゃないか?

 いや。いっそどこかの家に押し入ればいい。一家の命を丸ごと奪えば手っ取り早く金が手に入るじゃないか。


 それはとても良い考えだと思った。

 腰の小刀――聖剣では人を切ることは出来ない――に手を伸ばしかけて俺は我に返る。首を振り、町の外へと歩き出した。


 まただ。

 以前から多少なりともそんなことを考える日があったけど、ここ最近は度を越している。気を抜くと誰かの命を奪うことばかりを考えてしまうんだ。……これもきっと寒いせいに違いない。やはり早くなんとかする必要があるな。

 マントの襟元を掻き合わせながら森へ入って、俺は思いがけない奴に出会った。


 町中で「銀の森」という言葉はちらほらと耳にしていた。


 北の領地の中でも飛びぬけて広いその森には、大きな銀色の狼が住むと言う。

 その銀色の狼は“銀の森”のぬしなんだと。


 銀色の狼なんて俺は見たことがない。

 北方には珍しい色の狼が住むもんだと思っていたが、目の前に現れたそいつを見て俺はまず「こいつが噂のぬしか」と思った。

 だけど。


「……銀色……ではないな」


 大きな狼の体毛は噂に聞く輝く銀の色ではなく、もう少し暗い、銀灰色をしている。

 そしてこいつは、魔物だ。


 ……いや、魔物じゃないのか?

 なんだか良く分からない気配だ。少なくとも、今まで遭った魔物とは違う。


 だが、魔物の気配がするなら倒す。

 俺は聖剣を抜いた。

 すると狼は目を細め、なんだか楽しそうな様子で口を開いた。


『珍しい気配がしたので出迎えてみたが、なるほど。それが聖剣というものか。初めて見るな』

「そうか。俺も喋る魔物に遭うのは初めてだな」


 くくく、と狼は忍び笑いを漏らした。


『なかなか面白いことを言う。わしは精霊だ。精霊ならば会話も可能だろう?』

「残念ながら俺は精霊を見たことがないんでね。だけど魔物なら嫌ってほど見てきた。――おとぎ話まで持ち出して騙そうとしても無駄だ。お前の気配は隠しようがないぞ、魔物」

『ほう。では儂も問おうか。そなたは何者だ』

「時間稼ぎの問答のつもりか? まあいい。乗ってやるよ。俺は人間だ」


 俺が聖剣を構えたままそう答えると、狼は豪快に笑った。


『そなたはやはり面白いな! それだけ魔物の気配をさせておるくせに、まだ自分を人間と言うか?』

「なに?」

『髪が黒いぞ、己では確認せぬのか?』


 そんな馬鹿な。

 俺は慌てて結んだ髪を見る。手に取ったその色は。


「……黒……」


 どんなに目を凝らしても、髪の色は黒だった。

 確かに髪が黒っぽい気はしていた。

 しかし北は曇り空が多く、俺は森の影に居ることが多かった。そのせいだと思っていたのだが……。


『気づいてなかったか』

「……なんで」

『この地の人間が住む場所には守りの力がある。瘴穴しょうけつは弾かれる。しかしほかの守りの力は、残念ながら人間の住む場所ほど強くはないのだ。聖剣の持ち主よ、この地でそなたが寝起きをしていた場所はどこだ?』

「森……」

『ならば瘴穴から吹き出す瘴気にあてられたのだろう。儂と同じよ』

「そんなはずは」


 ない、と言いかけて俺は口ごもった。


 確かに北方に来て最初のうち一度だけ、森の中で魔物を見かけた。その森の中にはとても心地よい場所があって、俺はしばらくそこで寝起きしていた。


「……なるほどな」


 口から出た声は、我ながら冷静だった。


 あれは北方地域へ来て少したったくらいか。森の中で心地よい場所を見つけた俺はそこを拠点と決めて動いた。何故だかあまり心地よくなくなって、先へ進もうと思えるまで。

 つまりあそこには瘴穴しょうけつがあって、数日後に消えた。もともと黒く染まっていた俺は、その間に魔物と呼べるくらいまで染まってしまったんだ。


 瘴穴や、瘴穴から噴き出している瘴気は人に見えない。だけど魔物には分かるはずだ。

 エルゼは俺の髪や目が黒くなってると言っていた。神殿で浄化をしていなかった俺はかなり魔物に近づいていたわけだから、瘴気はとても心地よくなっていただろうな。


 深く息を吐くと、狼がくつくつと喉を鳴らす。


『理解できたか』

「そうだな。気づかせてくれたことに礼を言う」

『不要だ。儂も今回はついに瘴気に染まった。いつかは分からぬが、そなたと同じ運命をたどるよ』

「さて、それはどうだろうな」


 物問いたげな狼の視線を無視して辺りを見渡す。

 少し先に心地よいと思う方向をみつけた。


「もしかして向こうに瘴穴があるのか?」

『そうだ。見えるか』

「見えない。でも、分かるな」


 そう。俺には分かってしまうんだ。こんなに黒く染まってしまったから。


「狼。お前はどうして森から出なかったんだ?」

『愚問だな。儂はこの森のぬし。主は己の守護する場所からは出られない。瘴穴が消えるまで可能な限り瘴気を塞ごうとしてみたが、及ばずこのありさまよ』

「自分の体で蓋の役目を果たすつもりだったわけか」


 その様子を想像して少し笑った俺は腰の物入れを開け、狼に近寄る。


「おい、口をあけろ」

『何をする』

「これをやるよ」


 取り出したのは『禁忌』だ。

 手の中にある神木の枝はまだ枯れていない。木漏れ日を弾いて金色に輝いている。


「大神殿にある神木の枝だ。詳しいことは知らないが、魔物を寄せ付けない力を持つらしいぞ。食ってみろ」

『……異質な力だ。儂が取り込めば、どうなるか想像もつかぬ』

「どうせほっとけば異質なもんになるんだから、活用できそうなものは活用しておけ」


 狼は躊躇った様子だったが、最後には大人しく口を開けた。

 その中のどこに置こうか迷い、俺は舌の上に枝を置いてやる。置く時に舌が動いたので手にぬるりとした感触が伝わって、それが影響したのか少し眩暈めまいが起きたが、幸いにもすぐ治まった。


「食いたくなきゃ適当に処分しろ。でも地面には捨てるなよ。そいつが根付くと神殿の連中が掘り起こしに来るらしいから」

『神殿以外では処分できぬ厄介な代物しろものを精霊に渡すとは、なんとも勝手なことをする息子だな』

「誰が息子だ」


 俺は苦笑する。まあ、魔物になりかけ同士って意味じゃ、確かに親子みたいなもんか。


「お前は少しでも長く精霊でいろよ。じゃあな」


 狼は何も言わずその場で尻尾を一回振った。それに背を向けて俺は歩き出す。

 ……しかし、精霊か。そんなもんは“おとぎ話”だと思ってたけど、まだいたんだな。最後にいいものを見た。

 だけど、なんだろう。さっきまで気が付かなかったが辺りには妙に光が多い。木漏れ日にしては妙な感じだが……もちろんこれも、魔物に近づいた影響だろう。


 分かってても神殿に行く気にはなれなかった。

 いや、もし行ったとしても、ここまで染まっていては浄化だって無理だろう。

 だけど完全に魔物になってしまうまではもう少し時間があるはず。そうであってほしい。俺にはまだやってみたいことがあるんだ。


 先ほどまで見えなかったはずなのに、森の中には黒いもやが漂っている。そちらへ向かって歩くと地面にはぽっかり黒い穴が開いていた。きっとこれが瘴穴だ。


 ああ、俺は本当に魔物になったんだな。


 一応見渡してみるが周辺に魔物の姿は見当たらない。聖剣の主としてのもうひと働きは必要はなさそうだ。


「じゃあ、やるか」


 俺は腰の聖剣を抜きはらう。地面の瘴穴に突き立てると、聖剣から伝って広がって行った黄金の光が黒を塗りつぶして、消えた。

 やっぱりだ。聖剣は魔物だけでなく、瘴穴を消すことも出来るんだ。


 俺はずっと前から「聖剣を使って瘴穴が消せればいいのに」と思っていた。少しでも早く瘴穴が消えれば魔物が出てくる数だって減る。

 人間には瘴穴も瘴気も見えないので今までは試せなかったけど、魔物に近づいたからこそ試すことができたなんて皮肉な話だ。


 残念なのはこれを誰にも伝えられないことと、例え伝えたところでどうすることもできないこと。何しろ人間には瘴気も瘴穴も見えない。聖剣で瘴穴を消せると分かったところでどうしようもないんだ。でも、ひとつだけでも消せたのは良かったな。これであの狼が精霊でいられる時間は多少なりとも伸びたはず。


 さて、次は自分の始末だ。


 瘴穴に刺した聖剣を抜いて右手に持ち、左手に小刀を持つ。


 今の俺は人と魔物が混じった化け物になってる。小刀でも魔物は倒せるはずだけど、どのくらい時間がかかるか想像もつかない。俺の中の魔物の部分を確実に、しかも素早く消すためには、聖剣の力が必要になる。

 聖剣は人を斬れないが、さて。俺をどう認識してくれるか……。


 とりあえず俺はいつものように聖剣に語りかけた。


「なあ、聖剣。俺を倒してくれるよな」


 そう言って俺は汗で滑る右手に力を籠めた。

 臆するな。逃げるな。

 俺の行ける場所なんて、この地上のどこを探したってもうないんだ。


「俺は人じゃなくなってる。魔物なんだ。お前にならわかるよな。頼むから俺を殺してくれ。お前だけが頼りだ」


 その思いが届いたのか、それとも俺が聖剣に反応するくらい魔物化していたのか。

 聖剣が動く。ゆっくりと胸に沈んでいく。俺の中にいる魔物の部分が悲鳴を上げる。

 それを確認して左手の小刀も胸に突き立てた。

 聖剣が魔物の俺を殺すなら、小刀は俺の人間の部分を殺してくれるはずだ。


 赤い液体がばたばたと地面に落ちるにつれ、俺の意識がぼんやりとしていく。

 だけど逆に鮮明になっていくものもあった。ずっと霧の中をさまよっていたけれど、ようやくそれが晴れてはっきりと物が見えるようになった、そんな気分だ。

 いろいろな思いが巡る中、やっぱり考えるのはあいつのこと。


 エルゼ。


 話を聞いてくれって言ってたな。お前は俺に何を伝えようとしてたんだろう。

 あのとき俺が本当に言うべきは違うものだったはずなのに、酷い言葉で傷つけてごめん。どうかエルゼのこのあとのせいが少しでも幸せであってくれたらいいと、今は心から願うよ。


 俺の体が力を失った。倒れ込んだ視界の端で黄金色が揺らめいている。翼を模したあれは聖剣のつばだ。

 聖剣、俺の相棒。短い間だったけど、今までありがとう。

 次はもっといいあるじを、選んでもらえよ。そして、今度こそ、皆の、役に――。


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