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22話 外には

 目が覚めるとローゼは泣いていた。


(馬鹿だなぁ、レオン)


 ローゼとレオンには似ているところがある。聖剣の主に同じほどの年齢で選ばれ、出身は平民で、剣が得意なわけでもないこと。

 彼の気持ちだって理解できる。ローゼも今回の旅でフェリシアやジェラルドがいなかったら、レオンと同じような気持ちになってしまったかもしれない。


 だけどローゼに「必ず味方をする」と言ってくれたアーヴィンがいたように、レオンにはエルゼと村の神官がいた。ふたりはずっとレオンの味方をしてくれたはずなのに、黒く染まってしまった思考が視野を狭めてしまったせいで、レオンはそんな簡単なことすらも見えなくなってしまったのだ。


(でも)


 レオンはひとりでも戦い続けた。

 あの八年間が無駄だったとは決して思わない。


 今の夢を見せてもらってもレオンが聖剣の中にいる理由は不明だったが、もしかしたらレオンの未練が彼を聖剣の中に留めているのかもしれない、と考えながらローゼは目元を拭い、静かに横たわる聖剣へ顔を向ける。


「おはよう、レオン。つらいことを思い出させてごめんね」

【いい】


 返事があったことにほっとしながらローゼは起き上がり、寝袋をくるくると丸める。


「もう朝になったとは思うんだけど、時間の経過がここだと分からないね」

【わからない】

「レオンが外を見るのは久しぶりかな? 今はね、少しずつ暖かくなってきてるんだよ。って言ってもまだ朝や夜は寒いけどね。上着は手放せないくらい」

【さむい つらい】

「そうね。昼でも馬に乗ってたら結構寒いの。そういえばレオンは歩いて旅してたんだっけ?」

【あるいた】

「そっか。あたしはね、馬がいるんだ。綺麗な茜色の優しい子で、セラータっていうんだけど……もういないかな。どうかな。もしいなかったらレオンと同じで歩いて一緒に旅をしようか」

【ろーぜ いっしょ する】

「よし、じゃあ外へ行こう。食事は……外に出てからにしようかな」


 立ち上がったローゼは神の像へ一礼をしてから黒い鞘の聖剣を剣帯に差す。荷物を背負い、白い世界を後にして、来たときと同じ道を戻り始めた。

 重い荷物を背負いながらの長い道のりを行くのはやはり厳しい。けれど来たときとは違って休む回数が少なかったのは腰に聖剣があったからだ。話しかけると息は切れるし、レオンの返事だってたどたどしいから会話と呼べるほどのやりとりはできなかったけれど、それでも代わり映えのない景色の中を歩くローゼの気持ちはずいぶん紛れた。これならきっと山道だって元気に下りられる。付近の集落までだってちゃんと歩ける。


 やがて、正面には来たときと同じ白い扉が見えた。


「ほら、レオン、あれを開けたら外だよ! レオンにとっては久しぶりの景色が見られるんじゃないかな?」

【みる】


 ローゼは扉に手を掛ける。開けたときは押したので今度は引くのかと思ったが、意外なことに今回も扉は押すようだ。徐々に開いていく隙間から見えた外に、やはり昨日まで一緒だった一団の姿はない。


「やっぱりアーヴィンの言った通りだね。誰もいな――」


 扉から出てローゼは言葉を失う。

 外には、誰もいないわけではなかった。

 入口近くの柱にはセラータが繋がれている。

 そして、少し離れた場所には焚火があって。


「まあ。予想よりずっと早くお戻りになられましたのね、お帰りなさいませ」


 火の傍に座っていたひとりの少女が顔を上げた。


「ちょうどお湯が沸いたところですの、お茶を淹れますわね。そうそう、朝食はお済みですかしら。もしもまだでしたら」

「フェリシア?」


 信じられない思いでローゼが呼ぶと、フェリシアは美しい顔にふわりと笑みを浮かべる。


「はい、わたくしです」

「……どうして」

「もちろん、ローゼ様を待っておりましたのよ。セラータもとっても良い子でしたわ。綱がほどけてもまったく動きませんでしたの。ね?」


 その言葉が分かったかのように、セラータは柱の近くでローゼを見つめて首を軽く振る。


「……いてくれたんだ……」


 セラータに近寄り、ローゼは首筋を撫でる。手には温かさを感じるけれど、まだ信じられない。


「フェリシアは残ってて平気なの? 後で他の人たちから何か言われたりしない?」

「嫌ですわ、ローゼ様。忘れましたの? わたくしは今回の一団には含まれませんのよ。お兄様からは少し嫌味を言われましたけれどその程度ですわね、些細なことです。さあ、こちらへどうぞ」


 声をかけられたローゼがフェリシアの横へ座ると、フェリシアは沸いたお湯をカップに注ぐ。彼女の微笑みのような甘い香りがたちのぼった。


「いい香り。さすがは大神官様、上等なお茶を飲んでおいでですわね」

「大神官のお茶なの?」

「ええ、こちらの食材もすべて」


 フェリシアは紙を開き、中にあった塩漬けの肉を手早く切る。


「アレン大神官様は道中もきちんとお食事なさっていたようですわね。お兄様が専用の荷馬車からこっそり失敬しておられたので、わたくしも分けていただきましたの。ふふ、大神官様には内緒ですわよ」


 唇に人差し指を当てたフェリシアは切った肉と野菜をパンに挟み、淹れたばかりのお茶と一緒にローゼへ渡してくれた。

 カップの熱が手から心の奥までじわりと伝わって、ローゼの目の奥がつんとする。


(あたしは、本当に、恵まれてるんだ)


 もしかしたらセラータが残っているかもしれないとは少し期待していたが、フェリシアまで残っていてくれるなんて思いもしなかった。


「フェリシア」

「はぁい?」

「……ありがとう」


 ――待っていてくれて、ひとりきりにせずにいてくれて。ありがとう。


 礼を言うローゼの気持ちを知ってか知らずか、フェリシアは何も言わずにただ微笑んだ。


 そのまま他愛もない話をしながら朝食を済ませ、ローゼは腰から聖剣を抜いて膝の上に乗せる。


「改めて紹介するね、フェリシア。えーと、こちらが聖剣です」


 少々間が抜けている紹介だが、フェリシアは気にした様子がない。


「とても美しい剣ですわね! わたくし、フェリシア・エクランドと申しますの。どうぞよろしくお願い申し上げます、聖剣様」


 立ち上がったフェリシアはマントを持ち、胸元に手を当て、膝を折って一礼をする。さすがは王女、なんとも優美だ。


【よろしく】


 そんなフェリシアに戸惑っているようなレオンの返事がおかしいが、フェリシアからは何の反応もない。彼女の性格からして無視はしない気がするので、これは、もしや。


「フェリシア、今の声って聞こえてない?」

「ローゼ様の声以外は聞いておりませんわ。いかがなさいまして?」

「うーんと……」


 どう答えようか悩みながら膝へ視線を落とすと、座り直したフェリシアが手を打ち鳴らす。


「聖剣様がお話しになりましたのね?」

「あ、そうなの。フェリシアに『よろしく』って言ってた」

「まあ! お話する剣なんてとても素敵ですわね! わたくしともぜひお話していただきたいですわ。ローゼ様、聖剣様にお名前はございますの?」

「うん。レオンっていうの」

「レオン様ですわね?」


 フェリシアはローゼの膝にある聖剣に体を寄せ、耳に手を当てる。なんだか膝枕しているような体制になってローゼは慌てるが、フェリシアは全く意に介さない。


「レオン様! おはようございます! 何か仰ってくださいませ!」


 はたから見るとふざけているようだが、フェリシアはいたって真剣な表情だ。


【こまる ろーぜ たすける】

「フェリシア。レオンが、こんな可愛い女の子にくっつかれてどうしたらいいか分からないって言ってるよ」

【ろーぜ うそ いう】


 レオンはなんだか昨日より言葉も話すし、感情もよく分かる気がする。なんだか嬉しくてローゼは思わず笑みを浮かべた。もしかしたら日が経つにつれ、レオンはもっときちんと話せるようになるかもしれない。


「まあ! 嬉しいですけれど、わたくしにはやっぱり聞こえませんわ」


 身を起こしたフェリシアが、白金の髪を撫でつけながら残念そうに言う。


「やっぱり主と聖剣は特殊なんですのね。わたくしもお話してみたかったですわ」

「フェリシアの言うことは伝わってるみたいだから、返事があったらあたしが伝えるよ」

「それは素敵ですわ! ぜひお願いします!」

「分かった。で、フェリシアは、この後どうするの?」


 何気なくかけたローゼの言葉に、フェリシアは心底驚いたような表情を見せる。


「どうするって……ローゼ様はどうなさるおつもりでしたの?」

「あたし? あたしは……グラス村方面へ向かいながら、魔物がいたら倒そうかなと思ってた」


 聖剣の主は国を巡りながら魔物の退治をする。

 その間に大きな魔物が出たという話があれば、現地へ向かって魔物を倒す、というのが慣例らしい。


 らしいのだが、それはあくまで本で読んだ話だ。実際にどのような形で行動しているのかどうかは分からない。

 本来ならばアストラン王国の聖剣の主に聞いてみるのが良いのだろうが、どうやって聞けば良いのか分からない以上は本で読んだ通りにするつもりだった。

 しかしフェリシアはその考えを一蹴する。


「あら、それはいけませんわ。ローゼ様はまず大神殿に行かなくては」

「どうして?」

「ご説明いたしますわね」


 フェリシアは右の人差し指を立てる。


「聖剣を得たローゼ様は大神殿に所属する方となられましたの。このあとは大神殿へ行って報告をおこなうことで各神殿への仮の告知が出ます。ですがこれはまだ仮、神殿所属者のみへ通達です」

「う、うん」

「ローゼ様ご自身は大神殿が選定したき日に儀式を執り行います。ここで各集落の神殿は広く『十一振目の聖剣の主』に関する告知し、ローゼ様は民に知られることになりますの!」

「……ならなくていいけど」

「なりますわ! 国中……いいえ、五つの国すべてが儀式の後に告知をおこないますもの! ローゼ様はアストラン王国だけでなく、この大陸に住む誰もが知る存在となるのですわ!」


 フェリシアの語る話はローゼにはよく理解ができなかった。なにしろつい先日までローゼの存在は西の辺境グラス村と、あとはせいぜい近隣の村や町の幾人かに加えて行商人が知る程度だったのだ。アストランの国内はおろか他の四つの国にまで名が知られるようになるとは想像すらできない。

 それでもフェリシアが目を輝かせながら力説してくれたので、神妙な顔をしてうなずいてみる。


「分かった。とにかくあたしはこれから、王都へ向かわなきゃいけないのね? 村へ戻れるのはどのくらい後になると思う?」

「大神殿が儀式の日取りをいつにするかはわかりませんが、数か月後かと思われますわ」

「数か月後かあ……」

「何かございまして?」


 尋ねられたローゼは聖剣に視線を落とす。本当ならすぐに戻ってみたかったけれど、事情が事情のようだから仕方ない。


「ううん。数か月後に戻れるなら、それでいいわ」

「ご家族に安心していただきたいでしょうけれど、もうしばらくお待ちくださいませね」


 心配そうにしてくれるフェリシアだがローゼは曖昧な笑みを浮かべる。

 村へ帰りたい理由は家族に会うためではないのだが、とりあえずそう信じてくれているのだから黙っておこうと思う。


「そういえばアレン大神官は、どう言ってここから引き揚げたの?」

「聖剣の主様は古の聖窟に到着した段階で『平民の自分が本当に聖剣の主になって良いかどうか』を再び悩み始め、『神にお会いするのが怖い、だから聖剣をいただくのがいつになるか分からない、古の聖窟で待たれると重圧感を覚えるからどうか先に王都へ行ってほしい』と仰ったそうですの。仕方がないので、一団は王都へ戻ることにしたそうですわ」

「へえー」


 一体どこの聖剣の主がそのようなことを言いだしたのだろう。少なくともローゼにはまったく覚えのない言葉だ。


「アレン大神官様の一団は今朝早く経ってしまわれましたけれど、あちらには馬車がありますもの。そうですわね、明日には追いつくと思いますわ」

「明日ね。じゃあ、朝食が終わったら王都へ向かおうかな。で、フェリシアは?」


 改めて問いかけると、フェリシアはにっこり笑う。


「王都へ行きますわ。またご一緒できますわね」


 大神殿は王都にある。神殿騎士見習いのフェリシアが帰るべき場所は大神殿なのだから、これは当たり前の話だった。


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