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23話 木立の中の影

 朝食を終えたローゼがセラータに荷物を積み終わるころには、フェリシアも自分の馬、ゲイルに荷物を積み終わっていた。


 今日はフェリシアとふたりきりになる。今までは一団について行けば良かったがそういうわけにはいかない。王都へ行くにはどういう道を通るのか分からなくてローゼは不安だったが、フェリシアは自信があるようだ。


「ここからですと王都は南の方角ですもの、南へ行けば良いのです」

「それだけで分かるもの?」

「ええ。道の途中には行先を示す看板がありますもの。それにアレン大神官様の一団はとても人数が多いですから、きっと大きな街道を選んで進むはずですわ」

「なるほど! 今までもそうだったもんね!」


 こうしてローゼはフェリシアと連れ立ち、ふたりで道を進むことになった。いにしえ聖窟せいくつがある山から下り、南へ行くため来た道の途中で方向を変える。

 フェリシアとふたりだけの旅は不安もあるが楽しみも多かった。一番良かったのは途中の集落に立ち寄りが可能だったことだ。先を急ぐのだからゆっくりはできないが、この旅に出てから初めて集落に立ち寄ったローゼはそこにあったもの、それこそ家の柵や商店の売り方ひとつに至るまで感動して声を上げた。おかげで、フェリシアだけでなく周囲の人たちにもくすりと笑われ、店の人からは「そんなに喜んでくれたのだから」と果実をおまけしてもらった。


「この果物、美味しいねえ!」


 再び街道へ戻ったローゼがセラータの背の上でたっぷりの果汁を味わっていると、横のフェリシアも果実にかぶりつく。


「本当に、とても良い味ですわ。わたくしもご相伴させてくださって、ありがとうございます。ローゼ様」


 同じ果実を同じように齧っているというのに、彼女が食べるととても優雅に見えるのが不思議だった。


 青空の下、こうして共に馬に揺られていると、昨日までよりずっと近い距離にフェリシアの存在を感じる。ずっと一緒にいた神殿騎士たちの姿もないので今のローゼはフェリシアとふたりきりだ。これは、良い機会なのかもしれない。

 果実を食べ終えたローゼは果汁に濡れた手を布で軽くふき、同じく食べ終えていたフェリシアに顔を向ける。


「あのね、フェリシア。お願いがあるんだけど」

「はい? なんでしょうか?」

「あたしのことを『ローゼ様』って呼ぶの、やめてほしいの」

「あ……申し訳ありません」


 フェリシアが目を伏せる。


「聖剣の主様、とお呼びするべきでしたわね。それとも、ファラー様?」


 声は馬の蹄にかき消されそうなほどに小さかった。ローゼはセラータの背から慌てて手を振る。


「違う違う。『様』をつけずに呼んでもらいたいだけなの。ただの『ローゼ』でいいよって、そういう話」


 初め、フェリシアはローゼの言っている意味が良く分からなったらしい。ぽかんとした様子を見せたまま馬に揺られていたが、しばらくしてみるみる頬を紅潮させる。


「……あの、もしかしたらそれは、お名前を呼び捨てにしても良い、と、いうことですの……?」

「うん。あたし今まで『様』つけて名前呼ばれたことなんてないの。特に友達には。だから、やめてもらえたらなぁって」

「友達……? わたくしは、お友達、なんですの?」


 あまりに不安そうに尋ねて来るので、ローゼも不安になってくる。


「あたしはそのつもりでいたけど、フェリシアはあたしを友達だと思ってなかっ――」

「いいえ! いいえ!」


 フェリシアは勢いよく何度も首を横に振る。


「わたくし! わたくしも、お友達だと思っていますわ!」

「良かった。じゃあこれからは、ただのローゼでよろしくね」

「はい! よろしくお願いします、ローゼ様! ……あっ……いえ、ローゼ」


 呼び方を訂正し、目元を赤くしたフェリシアは照れた笑みを見せる。つられてローゼも笑みを浮かべたときだった。


【まもの いる】


 今までとは違う緊迫したレオンの声が聞こえ、ローゼの視線が揺らいだ。


(な……に?)


 突然のことに驚いて体が傾ぐ。咄嗟に手で両目を覆ったとき、レオンが言った。


【ひだり】


 恐る恐る手を外すと、普段通りにセラータの首元が見える。もう視界に揺らぎはなかったので言われた通り道の左側へ首を巡らせると、木立には先ほどまで無かったはずの黒いもやがかかっている。


「なに、これ……」

【しょうき おく しょうけつ まもの】

「もしかしてこれ、レオンが見てるもの?」

【そう】

「あたしにも見せてくれてるの?」

【そう ろーぜ おなじ みる】


 ローゼに伝えるレオンの声は、とても嬉しそうで、そして感慨深そうだった。


「レオン様とお話なさってますの、ローゼ?」

「うん」


 汗ばむ手で聖剣の柄を握り、ローゼは言う。


「林に瘴気が漂ってるの。奥に瘴穴があって、魔物もいるみたい」

「瘴気が……?」


 不思議そうな声ではあったが、フェリシアは深くは追及しなかった。


「分かりましたわ。魔物はわたくしにお任せ下さい。ローゼはこの場に残って――」

「駄目」


 左側へ向かいかけるフェリシアをローゼは制する。


「あたしはもう、聖剣をもらったんだもの。きっとレオンも手伝ってくれる。だから、フェリシアと一緒に行くわ」


 黒いもや――瘴気から少し離れた場所で地面に降り、ローゼとフェリシアは手近な木に馬を繋ぐ。ローゼのセラータはもちろんだが、フェリシアの黒い馬ゲイルも賢く従順だ。さすがは王女の乗る馬だけあって良い馬を用意してもらっているのだろう。

 すらりと剣を抜きはらい、フェリシアが顔を巡らせる。


「魔物はどちらにいますの?」


 答えは聖剣からあった。


【しょうき こい ばしょ】


 ローゼは目を凝らす。どうやらもう少し奥のようだ。


「あっち」

「分かりました。わたくしが先に参ります。ローゼは援護をお願いしますわね」


 緊張しているローゼを見てフェリシアが微笑む。しかしいつもとは違って笑顔は強張っていた。それが分かっていても「先に行く」とは言えない自分が悔しい。持っているのは魔物を倒すための聖剣なのに、と思うが、今のローゼには魔物と正面から戦う技量などない。足手まといになるだけだ。


 フェリシアに続いてそろりそろりと進んでいくと、子どもほどの大きさの黒い影が飛び跳ねているのを見つけた。小鬼だ。ローゼが思うと同時に小鬼もローゼたちの方を見て、吊り上がった目をさらに吊り上げる。そして長い爪を突き出し、一気に間合いを詰めてきた。

 最初の一撃はフェリシアが払いのけた。彼女はそのまま斬りかかるが、小鬼は素早く後ろへ下がる。踏み込もうとしてフェリシアは木の根に足を取られた。隙を見せたことで小鬼がまた突進してくるが、体勢を立て直したフェリシアが躱す方が早い。ただし、小鬼は木立の間に入り込んだ。あれではきっと剣は振りにくいだろう。


 魔物とフェリシアを見ながらローゼは聖剣を握りしめたまま立ち尽くす。なんとかしたいのに、逆に邪魔になってしまいそうで躊躇ちゅうちょするばかりだ。


(何か、何かあたしにもできることは……)


 そんなローゼを叱咤するようにレオンの声が響く。


【しょうけつ】


 はっとしてローゼは聖剣を見た。


【しょうけつ ある】


 手練れの神殿騎士たちでさえ最初は瘴気を遮断する聖句を唱えていた。まだ見習い神殿騎士のフェリシアは神聖術が使えないのだから、瘴気はローゼがなんとかするしかない。


「レオン。もしかして、瘴穴をなんとかできる?」

【できる】


 返事を聞くなり、ローゼは瘴穴に向かって駆けだした。


【みぎ もっと おく】


 落ち葉のせいで走りにくいが、なんとかレオンの指示通りに進む。瘴気が少しずつ濃くなってくる中、ようやく到着した地面には、黒くいびつな楕円形が地面にくっきりと描かれていた。そこから噴き出す瘴気の一部は魔物の方へ流れている。


【しょうけつ けん さす】


 夢の中で見たレオンと同じように、ローゼは聖剣を思い切り瘴穴しょうけつに突き立てる。聖剣から光が広がって行き、次の瞬間に瘴穴は雲散した。


「消えた……」


 思わずその場にへたりこみそうになるが、まだ戦いが終わったわけではない。

 魔物がいる方向をレオンに聞きながら、薄くなる靄の中をローゼは進む。見つけたフェリシアは少しばかり開けた場所で戦っていた。木立の中では戦いにくいからここまで誘導したのだろう、幸いにしてフェリシアには大きな傷が無いようだ。


 小鬼は先ほどよりも動きが緩慢になっていた。これなら加勢できるかもしれないと思いながらローゼが聖剣を構えて近寄ったそのとき、跳躍した小鬼はローゼに向かってきた。とっさに右へ避けるが巧く対応しきれず、聖剣を握る手に鋭い痛みが走った。舞った血しぶきの一部が聖剣を赤く汚す。


 ――瞬間、雷に打たれたような衝撃がローゼに走った。


 いや、本当に衝撃を受けたのはローゼではない。レオンの方だ。彼は叫んだ。


【えるぜ の!】


 動揺する彼の声のおかげでむしろローゼは冷静でいられた。走り寄るフェリシアがローゼを呼ぶ声に「大丈夫!」と返し、改めて剣を握りしめる。痛みはあるがなんとか平気だ。それより、小鬼に逃げられるわけにはいかない。

 再び向かって来た小鬼に剣を振るえたのは、剣の扱いに慣れていないローゼにとっては奇跡と言えるだろう。魔物の腕を聖剣が裂く。途端にそこからあふれ出た光が小鬼を包み、小さな影を消し去った。瞬きひとつの間もない、まさに刹那の出来事だった。


「ローゼ! 怪我はいかがですの!?」

「大したことないよ。ほら」


 駆け寄ってきたフェリシアに、ローゼは腕を掲げて見せる。


「ごめんなさい、まさかローゼの方に魔物を逃がしてしまうことになるなんて……」


 言いながらフェリシアはローゼの右手を取り、腰の物入れから薬の瓶を取り出して傷にかける。傷はたちどころに綺麗になった。神官が神聖術を籠めた薬だ。


「ありがとう、フェリシア」

「お礼などいりませんわ。わたくしのせいですもの」

「ううん、フェリシアがいてくれたから助かったよ。ああ、ほら、フェリシアも怪我してる、早く薬を使って」


 取り出した薬をフェリシアが自身に使う姿を見ながら、ローゼは握ったままだった聖剣の血をぬぐう。

 鞘に戻し、少し視線を落として考え、フェリシアの方を向いた。


「ごめん、フェリシア。あたし、王都には行けない」


 突然言い出したローゼを、フェリシアはまず驚きを持って見つめた。


「あ、でも、一生行かないってわけじゃないよ。今は行けないってだけ。王都じゃなくて、先に行きたいところができたの」

「どちらへ?」


 静かに尋ねてくるフェリシアの瞳をローゼは見返す。


「あたしの故郷。グラス村」



   *   *   *



 聖剣の中にレオンがいると知ってから、ローゼは思っていたことがある。


(エルゼが伝えたかったことを、レオンは知らなきゃいけないのよ)


 彼女の心が分からない限り、レオンはいつまでも悪夢を見てしまう。


 問題はレオンの故郷が分からないことだ。帰りたくない彼は村の名前を言わないだろうし、言ったとしてもどこにあるのかローゼには分からない。

 それならば聖剣の主として旅に出ている途中、レオンの出身地に立ち寄るという偶然を待とうと思ったのだ。もしかしたら彼の故郷には何か伝承があるかもしれないし、どこかにエルゼの意思が残っているかもしれない。


 ただ、気になることがあった。レオンの夢の中でちらりと見えた神殿だ。

 あのときのローゼはレオンの夢が自分の妄想だと思っていた。だから建物が見覚えのある形をしていても特に気には留めなかった。


 しかし夢はレオンの記憶だった。

 加えて先ほどローゼの血がかかった時に受けたレオンの衝撃。このふたつのことを鑑みるに、レオンの故郷は、もしかしたら。


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