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24話 それは四百年の昔

 ローゼがグラス村へ向かうと言った直後、フェリシアは何か言いたそうだった。

 気持ちは分かる。もしもローゼがここでグラス村へ向かえば王都へ着くのはかなり遅くなるし、それまでにアレン大神官は大神殿の人たちにローゼに関する“無いこと無いこと”を周囲に吹き込むだろう。噂話を打ち消す大変さは、グラス村にいたローゼも知っている。


 だけどローゼはグラス村へ向かう姿勢は崩さなかったし、フェリシアは結局、何も言わず、何も聞かなかった。


 聞かないということは、ここで別れて彼女は単身王都へ向かうのかと思ったが、意外にも一緒に西へ向かっている。ローゼのことが心配でついてきてくれているのか、純粋に旅をするのが楽しいのか。いずれにせよ、ローゼにとってフェリシアは心強い道連れだった。


 道中では魔物にも遭遇することもあり、村で討伐隊を組んでいるところに遭遇して手伝う、という事態も発生した。

 その際はフェリシアの神殿騎士見習いという身分が役にたち、村人からは大いに感謝されたのだが。


「わたくしだけ感謝されるなんて納得できませんわ。ローゼは感謝されてませんのに!」


 フェリシアは膨れ面をしていたが、仕方のないことだ。ローゼはこっそりひとりで瘴穴しょうけつを消しに行っていたのだから。

 瘴穴は人間には見えない。よって、大っぴらに言うわけにはいかない。そもそもローゼは感謝されたいわけではないので別に不満もないのだが、フェリシアにとっては大いに不服だったようだ。

 だが、村人からの謝辞がもらえなくとも、ローゼにとってはフェリシアの心だけで十分嬉しい。


 フェリシアにとっては「ローゼがレオンを通じて瘴気や瘴穴を見ている」というのはもはや決定事項のようだ。大神殿に戻ったらみんなに話す、と意気込んでいたので、ローゼはもう少し待ってもらうよう彼女を説得しなくてはならなかった。


 何せ情報の元はローゼだ。得体の知れない聖剣を持つ奇妙な主が言うのだから、あまりにも怪しすぎる。せめてもっと実績を重ね、信用を築いてからにしたい。

 そう頼むと、フェリシアは不承不承うなずいた。


 レオンは【えるぜ】と言って以来話さなくなったが、それでも魔物が出ればきちんと視界は貸してくれた。どうやら話をしないだけで、外の見聞きはできるし、しているらしい。


(もしかしなくてもレオンって、なんだか面倒な存在?)


 だけどそれをうっかり口に出すとさらに面倒なことになりそうなので、感想は胸の内だけに留めておくことにした。


 予定外の時間は使ったが、ローゼとフェリシアの馬、セラータとゲイルはかなり頑張って道を進んでくれた。おかげで旅程は思っていたよりもずっと早く進んだ。



   *   *   *



 グラス村で一番高い建物は神殿の鐘塔しょうとうだ。夕の空を背景に立つその白い姿を見るのも久しぶりで、ローゼが懐かしさにじんとなる。同時に、数日ぶりのレオンの声が聞こえた。


【いやだ】


 グラス村に行きたくないということなのだろう。もちろん、ローゼはレオンの意見を聞くつもりは無い。


「駄目よ。レオンは行かなきゃいけないの。レオンの故郷は、あたしの故郷でしょう?」


 夢の中で垣間見たレオンの故郷は大半が見知らぬものだ。

 しかし遠くの山や森の位置、何より神殿がその証拠。

 村の中でも最も古い建物である神殿は、数百年の時を経て今も健在だった。


 レオンからの返事はなかった。だけど返事の有無は関係ない。もうじきグラス村に到着する。そうすれば明らかになることだ。

 日が完全に暮れて辺りが暗くなるころ、ローゼは村の境界にある門に到着した。道を進み、神殿が見えた辺りから、なぜか誰かに呼ばれているような気がする。


【いやだ】


 レオンが硬い声で言う。もちろんローゼは聞かない。それより気が急いて仕方がなかった。早く、早く。とにかく早く、と呼ばれている。ローゼも早く神殿の中へ行きたくて仕方がない。


 神殿の裏手に馬屋があるのは知っている。出発までセラータを預かってもらっていた馬屋だ。勝手に入って馬を繋いでもアーヴィンは気にしないだろう。しかしその時間すらも惜しかった。正面の門をくぐり、ローゼは入り口の木にセラータを繋ぐ。フェリシアが同じようにするのを横目で見ながら早足で建物内に向かった。


 神官補佐はまだ神殿にいた。神官とは違ってグラス村の住人である彼らは、ローゼにも気安い。


「おやローゼ! 久しぶりだね。大神官様と一緒に王都へ行ったんじゃなかったのかい?」

「その予定だったけど、ちょっと別の用事ができたんです。アーヴィンは? 奥ですか?」

「アーヴィン様なら川向こうの家まで行っていてお留守だよ。中で待つかね?」

「ええと……じゃあ、はい」


 うなずいて礼拝堂の中に入ってみたものの、やはり呼ばれている気がしてどうにも落ち着かない。

 手近な椅子に座っては考え直し、もう少し前の椅子へ移動する。そうしてジリジリと奥へ行ったローゼはついに祭壇の前に到着した。


 祭壇は神官のための場所だ。さすがにローゼが近寄るのはまずかったようで、神官補佐が制止しようとする。それを止めてくれているらしいフェリシアの声を聞きながら、ローゼは腰の聖剣を抜いた。


【いやだ だめだ そこは よくない】


 相変わらずたどたどしいレオンの喋りだが、少しずつしっかりしているようにローゼには感じられる。


【だめだ ろーぜ やめろ】

「やめない。エルゼだってずっと話を聞いて欲しがってたでしょ」


 この神殿は四百年にもここに建っていた。

 当時の神官のことは覚えているはずだ。

 レオンやエルゼのことだって、きっと覚えている。


 しかしどうやって彼らの話を聞けば良いのだろうか。

 とにかく祭壇の上に聖剣を置き、目を閉じて、手を祈りの形に組む。


「エルゼ。神官様。もし思いを残しているのなら、レオンと話をしてもらえませんか」


 最初は何もなかった。だけど体の周りに少しずつあたたかさを感じる。まるで、誰かに抱きしめられるような感覚。

 そのあたたかさが体の中に入り込んできたかと思うと、頭の中に声が響いた。


『ずっと、待っていたわ』


 そして誰かの記憶が流れ込んできた。



   *   *   *



 目の前に現れたのはローゼにとって見覚えのある光景、グラス村の神殿の中だ。

 だけど祭壇に立っているのはアーヴィンではなく見覚えのない壮年の男性神官。そして、神官の目の前にいるのは、エルゼ。


【やめろ!】


 聖剣からレオンの悲痛な声が響く。

 だけど神官もエルゼも声に反応しないのは、これが過去の出来事だからだ。ローゼもレオンも、四百年前のこの場にはいなかった。


「本当にそれでいいんだね、エルゼ」


 壮年の神官が声をかけると、未だ涙にぬれている赤い瞳を上げたエルゼがうなずく。


「はい。お願いします、神官様。大神殿に連絡をして、少しでも早くレオンを捕まえてください」

「分かった。禁忌の枝を持っているのならば、きっと大神殿の動きは早い」


【みたくない! ききたくない!】


 駄目よ、とローゼはレオンに言う。声は出ないのだけれど。

 レオンはこれを見なくてはいけない。聞かなくてはいけない。本来なら四百年前に知るべきだった事実だ。


「レオンは徒歩なんだね? まだこの辺りにいるかもしれない。村人たちに手を貸してもらえばすぐに捕まえることもできるんじゃないか」

「いいえ、それは駄目です。レオンは、絶対に大神殿へ近寄らないと言っていました。それなのに禁忌の枝を持っていたのです。……品が品ですから、好意の協力者がいるとは思えません」

「……なるほど。今のレオンは手段を選ばなくなっている。下手をすれば村人に被害が出る可能性もあるか」

「はい。ですから大神殿側で捕まえてもらいたいのです、それもできるだけ早く。そうすれば」


【やめろおおお!】


「今ならまだ間に合います」


 エルゼの声は大きくはないのによく通った。


「まだ、魔物にならずにすみます。大神殿がレオンを捕まえて浄化してくれたら、レオンは人に戻って、きっと罪に気づいて、たとえ何年かかってもきちんと償ってくれます。……そうしたら」


 顔をあげてエルゼはほんのり笑みを浮かべる。青い顔に少しだけ紅がさした。


「今回でよく分かりました。レオンは近くに誰かいないと駄目な人なんです。だから私は、レオンと一緒に行きます。レオンのことを近くで見ていてあげるんです」

「いい考えだ」


 神官はエルゼを元気づけるように笑って、彼女の肩を叩く。


「あいつはいつまでたっても子どものままで困ったものだな。よし、では私は大神殿に禁忌の枝のことを連絡するとき、レオンが瘴気に染まっていることも一緒に書いておく。大丈夫、きっと元通りにしてもらえるさ」


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