エルゼも神官もレオンはすぐに見つかるだろうと思っていた。神殿はどの地域にだってあるのだから、逃れるのは難しい。
しかし意に反してレオン発見の報が届かないまま時が流れた、ある日。
「エルゼ!」
「神官様? どうなさったのですか」
家に駆けこんできた神官は顔色を無くしていて、悪い知らせなのだと一目で分かった。
「今しがた大神殿から連絡が届いた。巫子全員に託宣が下ったらしい」
全員。ならばそれは確実な神託だ。
「神が……
エルゼは「ああ」と呟いて力なく床に座り込んだ。
聖剣がこの世にないのであれば、どういう形であれレオンはもうこの世にいない。大神殿はレオンを捕まえられず、レオンが人に戻ることもなかったと、エルゼにも理解できた瞬間だった。
エルゼの頬を涙が伝い、喉から出た声が辺りを震わせる。魂が引き裂かれるような慟哭のなか、神官が呟いた。
「……北の地で、レオンらしき人物を見たという話があったそうだが……」
最後の「間に合わなかった」は、誰の耳にも届かなかった。
村が魔物の襲撃を受けたのは、レオンが消えた次の年の話だ。
運悪く大きな
小鬼ならともかく、食人鬼のような大型の魔物は神の力を持つ者でないと対峙できない。付近の集落から神官たちが集められ、出現の翌日にようやく魔物を退けられた。
この戦いで最も果敢だったのは壮年の男性神官だった。
小さな村の神官を務めるかたわらで近隣の魔物を消すことに尽力していた彼は、食人鬼との戦闘でも常に先頭に立っていた。彼のおかげでほかの神官はほぼ無傷だったが、代わりに彼は神の力でも癒せないほどの深手を負って倒れてしまった。
彼の最後の言葉は懺悔だった。
せっかく名誉の大役を受けることができたのに、あの子にとっては何も良いことがなかった。
自分がもっとしっかりしていればあの子に信用してもらえたはず。良い方向へ導いてやれたはず。きっと違う結末だって見せてやれたはず。
レオン。
すまない、すまない、すまない。
謝りながら彼は息を引き取った。
食人鬼による被害は大きく、この神官のほかにも多くの村人が命を落とした。
しかし赤い髪と瞳を持つひとりの女性と、神殿は無事だった。
新たな神官も赴任し、村もどんどん綺麗になる。
復興がなったと思われるころ、村長が言った。
村も新しくなったことだしこれを機に名前も新しくしてはどうか、と。
その案にみんなが賛成し、話し合いの結果、村の名は『
これからみんなで力を合わせ、この地を緑豊かな地にしようとの決意の表れだった。
* * *
禁忌の枝の捜索は続いたが、いくら探しても見つからなかった。
よって大神殿は「所持者が消えたとき枝も一緒に消滅した」と結論付けた。
同時に大神殿は不名誉な聖剣の主だったとして、『十一振目の聖剣を初めて持った者』に関する内容を記録から消し去ることにした。
名前も、年齢も。
何をしたのかも。
* * *
【ちがう! ちがう、チガ……チガウ、違う、違う、違うんだ!】
どこまでも白い空間の中で、茶色のマントを着て、茶色の髪を一つに結んでいる男性が、ローゼの横で泣き崩れる。
【神官様は何も悪くない! 俺がもっと、聖剣の主としてしっかりしていれば良かったんだ!】
この声は知っている。レオンだ。先ほどまでたどたどしい喋りだったはずの彼が、はっきりした口調で悔悟の言葉を叫ぶ。
【エルゼ、エルゼ! ごめん、あのとき俺がちゃんと話を聞いてさえいれば、こんなことには……! 俺は、なんて、馬鹿だったんだ!】
『本当に馬鹿よね。話を聞いてくれるまでこんなに時間がかかるんだもの。しかも最後まで、自分の意思じゃきてくれないんだから』
レオンの前に一人の女性が現れた。彼女はまるで羽根のように、ふわりとその場にしゃがみ込む。
【エルゼ……?】
名を呼ばれて、赤い髪と瞳の女性が微笑んだ。
『あなたのことを、ずっとずっと待っていたわ。今はもちろん……あのときだって』
【……待っていた?】
呟いたレオンは、皮肉げな笑いを浮かべる。
【先に俺を置いて行ったのはお前じゃないか。神官になるんだと言って、大神殿に行った】
『ええ、行ったわ。大神殿に行って、神官になって。そうしたら村へ赴任する希望を出して、神官様やレオンとずっと一緒にいようと思っていたの』
レオンはその話を知らなかったようだ。目を見開き、気まずそうに下を向く。
対してエルゼは夢見る少女の瞳で話を続ける。
『だからレオンが聖剣の主に選ばれたとき、どれだけ私が嬉しかったか分かる? 私が神官になれば、戻ってきたあなたを浄化してあげられるし、旅立つあなたにいろいろな物を用意できる。もちろん神官様もやりたいって仰るでしょうけど、この大役だけは絶対に譲らないわ! って思ってたの!』
きっと大神殿にいるときのエルゼはこんな風に考えながら日々、神官になるための修練を積んでいたのだろう。
しかしエルゼは急に表情を一転させ、暗い瞳でうつむいた。
『でも……私が神官になれなかったから……』
【エルゼ。違う】
『いいえ。最終的にそのことが、レオンに道を踏み外させてしまった』
【……いや。遅かれ早かれ、俺は同じ道を辿ったはずだ。あのころの俺は誰も信じていなかった。神官様のことも。お前のことも】
場が静かになった。互いに下を向く過去の二人を、ローゼは横で見続ける。
しばらくしてレオンが独り言のように言う。
【最後、北へ行かずに……いや、行ったとしても、大神殿に見つかっていれば違う道もあったんだろうか】
『そうなってたら、良かった?』
【さて……】
エルゼは顔をあげたが、レオンはまだ下を向いたまま。深く息を吐く。
【俺は今も、お前を陥れた娘を許せない。許せないが……あの貴族には悪いことをしたとは思っている。だから当時の俺も、償いはしただろうな。……それが終わったら……】
そうして彼女を見つめ、わずかに微笑んだ。
【お前と一緒に旅をするのも楽しかったかもしれない】
それを聞いたエルゼは笑顔になる。心の底から嬉しそうな笑顔だった。
『私、あなたのことが好きよ、レオン』
【……そうか】
『あなたと旅に行きたいわ』
【……ああ】
『嬉しい。やっと言えた。ずっと言いたかったの』
涙ぐみながら、エルゼはレオンを抱きしめる。
『本当は、もっと早く伝えたかった。こんなことになる前に。まだ、あなたと私が生きているうちに』
そう言ってエルゼはちらりとローゼを見る。何かを含んだ表情で微笑んだように見えたが、しかしそれも一瞬のこと。彼女は体を離すとレオンに向き直った。
『でも、私はもうレオンと一緒には行けない。だから代わりに……あなたと一緒に行くあの子を、守ってあげて』
エルゼがローゼを示す。レオンはローゼを見て、エルゼに顔を戻し、大きくうなずいた。
【任せておけ】
力づよいレオンの声と表情はとても頼もしかった。
安堵したように笑うエルゼは立ち上がってローゼに手をふると、最後にもう一度レオンを見つめ、なんの名残も残さず消えた。
何かを決意したような表情のレオンを見ながら、ローゼは最後のエルゼの言葉と様子を思い出す。加えて、フェリシアと一緒に小鬼と戦ったときのことを。
(聖剣に血がかかったときのレオンの反応からして怪しいと思ったけど……やっぱり、そうだったんだ)
ローゼは、エルゼの血を継ぐもの。彼女の末裔だ。
悟ると同時に白い空間はぐらりと揺らぎ、ローゼは下の方へ強い力でぐいと引かれた。