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19話 道の行く先

 フェリシアが帰ったあとに雨が降り出した。暗い部屋の中には水と風の音が響いている。

 荷づくりは途中だけど、続きをする気にはなれない。それでローゼは寝台で寝ころび、天井を見ながらぼんやりしていた。


(あたし、格好悪い……)


 アーヴィンのことはもう忘れようと心に決めたというのに、まだこんなにも未練が心を支配している。

 アレン大神官の「いつまでも奴の庇護下にいられると思わない方が良いぞ」という言葉が思い出されて仕方がない。あのとき「今後はあたしが神官を庇護する番」などと大口を叩いたくせに、結局はアーヴィンがいないと駄目だったのか。


(でも、あたし。ちゃんとしなきゃ)


 グラス村に来たアレン大神官がアーヴィンと会えないよう画策したときでさえ、ローゼはジェラルドとフェリシアの力がなければ何もできなかった。

 だというのに今回はアストラン王国でも最大の力を持つと言われる家が相手、しかも当の彼自身が二度とローゼに会うつもりがない。それは屋敷の前での冷淡な態度を見れば明らかだ。おそらく彼はもう神官に戻りたくないのだ。


(大丈夫。あの人のことはちゃんと忘れるわ。あたしは明日になったらハイドルフ大神官のところへ行って、身分証を受け取って出かける。だから、もう少し。あと少ししたら、あたしは荷づくりを始める……)


 自分に言い聞かせながらぐずぐずしていると、


【ローゼ】


 ずっと静かだったレオンが声をかけてきた。

 今のローゼは誰とも話がしたくない。それでわざと無視をしたというのに、レオンは話を続ける。


【北へ行こう】

「なにしに」


 だけどローゼが思わず反応したのは苛立ちが募ったからだ。レオンの返事は予想できる。そして彼の次の言葉はやはりローゼが考えた通りだった。


【あいつに会いに】

「いい加減にして!」


 起き上がったローゼは寝台を大きく叩いた。横に転がっていた白い鞘の聖剣が跳ねる。


「どう考えても無理だったでしょ! この話はもう終わりにして!」

【それでいいのか?】

「なんなのよ!」


 叫びは金切り声になった。

 フェリシアといい、レオンといい、なぜ無理なことばかり言うのだろう。


「シャルトス公爵家には神殿や王家だって手出しできないのよ! あたしひとりで何かできるはずないじゃない! ジェラルドさんだって、諦めろって――」

【あれか】


 そう言ってレオンは鼻で笑う。


【お前は背を向けていたから知らないだろうが、アーヴィンの奴は最後、神殿騎士に目配せをしていた】

「……え?」

【アーヴィンは目配せをして、神殿騎士はうなずいた。目線からするにお前に関することみたいだったな。神殿騎士の態度が妙なのはそれが理由だろう。「ローゼを北方へ来させるな」という意味にでも受け取ったんじゃないか】


 警戒する騎士たちが周囲にいる中でアーヴィンが目配せをしたのは意外だ。加えて、それを受ける余裕があったジェラルドにも驚いた。


【そもそも少し考えれば分かるだろう? あの場や道の途中で何かしようとするのは間違いなんだ。アーヴィンは絶対に北へ戻る必要がある】


 レオンの声は淡々としている。


【屋敷にいた連中を見たよな? 結構な数だったろ? 馬車の周りを固めていたやつらも含めて、あれは全員がアーヴィンを北方へ連れ戻すためだけに王都へ来たわけだ。だからあの場でお前は引かなくてはいけなかった。もしも邪魔をすれば、周囲の騎士たちが即座にお前を排除したからだ】


 俺がいるから排除はさせないけど、と一言付け加えてレオンは話を続ける。


【それが分かっていたからあいつはわざと冷たい態度を取った。『これまでのことにはなんの未練もないのだから無理に手を出す必要はない』という風を装ったんだ。……なんだ。あのとき「分かった」と言ったくせに、やっぱり分かってなかったのか。いつもならそのくらいは考えつくだろうに、本当にお前らしくない】


 レオンの言葉を反芻はんすうしていたローゼだが、やはり顔は上げられない。


「もしもレオンの言う通りだったとしても行けない。……あの人に会う方法もないし」

【逆だ。行けば奴に会う方法が分かるかもしれん。フェリシアが言った通り公爵家の事情も複雑そうだ、一連の出来事にはきっと理由がある。それさえ探り当てられたら糸口がみつかるはず】

「だけど……あの人もあたしには来てほしくなさそうで……」

【今までの状況を考えてみろ。あの男はお前を嫌ってるようだったか? 二度と会いたくない、もう顔も見たくない、と思ってるようだったか?】


 身じろぎをしたローゼの動きに合わせて左手首の銀の鎖がしゃららと鳴る。アーヴィンが「お祝いに」と作ってくれた、守りの力が籠められているという腕飾りだ。


【いいか。あの男はお前に追って来てほしくない。だけど本当は来てほしいと思ってる。最後まで迷って『来るな』とも『来い』とも言えず、結局黙ったまま逃げたんだ】

「でも……」

【あああ、まったく! 面倒なのはあの男だけかと思ったが、お前も大概面倒だな! お前はあいつに会いたいんだろう? 言いたいことだってあるんじゃないのか?】


 叱咤するような声がするが、やはりローゼは何も返せず、首を動かすことだってできない。


【確かに道のりは困難だ、そこは間違いない。だけど行動すれば何かしら方法が見つかるかもしれないんだ。そうしたらまたあいつに会えるんだぞ!】


 ローゼはぎゅっと手をにぎった。

 確かにローゼは彼に言いたいことはある。けれども目の前に立ちはだかる壁は、ローゼのようなちっぽけな存在が乗り越えられるはずもないほどの高さがある。それにすくんでしまって、やはり何の言葉も返せない。


 レオンは少しのあいだ黙っていたが、ローゼの様子が変わらないのを見たのだろう。深く息を吐き、今しがたの激高ぶりが嘘のように小さな震える声で呟く。


【お前が俺とエルゼみたいになりたいなら、それでもいい】


 ローゼはハッとする。彼の声には深い後悔と身を切るような切なさと、取り戻せない日々への憧憬が籠められていた。


【……さて、どうする?】


 促すレオンの声色はいつも通りだった。

 呆然と聖剣を見ていたローゼは、ゆっくりと肩から力を抜く。


「……レオンもフェリシアも、なんで、もう……あたし、どうすればいいのよ……」

【どうすれば? そんなものはお前自身が一番分かってるくせに。なにせ最初から変わってないんだもんな】


 しばらくためらって、ローゼは尋ねる。


「……あたしが北へ行くって言ったら、レオンはどうするの?」

【分かり切ったことを聞くんじゃない】


 レオンの声はとても優しく、とても強い。


【他の誰もが「行かない」と言ったって、聖剣オレだけはおまえと行ってやる。――いつだって、どこへだってな!】



   *   *   *



 ローゼが部屋を出たのは夜も遅くなってからだった。向かうのはハイドルフ大神官の執務室だ。さすがにこの時間からの面会は難しいかと思ったが、彼はまだ執務室にいて、すんなりと会ってもらえた。

 昼と同じように椅子をすすめられたのを断り、ローゼは口を開く。


「ハイドルフ大神官様。私は昼間にお会いした際『明日になったら王都付近を見てまわるつもりだ』と申し上げました。ですがこれを取り消したいのです」

「どうなさるのですか?」

「北方へ向かいます」

「おひとりで?」

「はい。そこは予定と変わりません」


 グラス村を出るときにアーヴィンが渡してくれた路銀がある。残りの金額は多くはないが、それでもなんとか北への旅をしてみせる。


 目を伏せたハイドルフ大神官からは北へ行く理由を聞かれるかと思ったが、その問いかけはなかった。


「セルザム神官が怪我をして、グラス村の神官がいなくなった話はもちろんご存知ですね?」


 質問の意図が分からないなりにローゼがうなずくと、ハイドルフ大神官は顔を上げる。


「あのとき、レスター神官をグラス村へ向かわせたのは私です」

「そうだったんですか」

「そして大神殿へ来てすぐの彼に別の名をつけないかと提案し、考えたのも私です」

「え……」


 ローゼは言葉を失った。では、ハイドルフ大神官は、彼の出自も知っていたのだ。

 もしかすると北方の状況に通じていて何か有力な情報を与えてくれるのかと少し期待をしたが、その気持ちを読んだかのようにハイドルフ大神官はゆるゆると首を横に振った。


「残念ながら私はあなたが欲しい情報を持っておりません。ひとつ言えるとすれば、当時の私は“彼の本当の名”と“北方のいくつかの情報”の引きかえに、彼が別の名で生きていける環境を整えました。それだけです」


 ローゼに向けられた瞳は憂いを含んでいた。もしかしたらハイドルフ大神官はさまざまな情報を持っているのかもしれないが、明かすわけにいかないのは相手が北方のシャルトス家だからかもしれない。

 ただ、ハイドルフ大神官は今「彼が別の名で生きていける環境」と言った。ならば彼は元の名では生きていけなかったのだろうか。そう考えるのは穿うがちすぎなのかもしれないが、心に止めておこうとローゼは思う。


「聖剣の主の皆さま方はお心のまま国を巡っておられます。よってファラー殿がどちらへ行かれる決断を下そうと自由、誰からも異論は出ません。大神殿内のことは私が良いように取り計らっておきますのでご安心ください」

「ありがとうございます」

「どうぞファラー殿の行く手に神のご加護があらんことを」


 聖印を切り、ハイドルフ大神官は机に向かう。そうして引き出しから聖剣の主の身分証と路銀とを取り出し、ローゼに渡してくれた。



   *   *   *



 荷物を持ってローゼが部屋を出ると、屋根や木々のあちこちに雫が光っていた。地面には水たまりや、ぬかるみが見える。昨夜の雨の名残だ。

 朝の澄んだ空気の中、何度も通った道を進み、ローゼは神殿騎士見習いがいる建物に到着する。最も奥の扉の前で立ち止まって手紙を隙間へさしこもうとしたとき、内側から物音がしてほんの少しだけ扉が開いた。ローゼが慌てて後退ると、その様子を確認したらしく扉は大きく廊下側に開いた。室内にいるのはもちろんフェリシアだ。


「おはようございます、ローゼ」

「おはよう、フェリシア。よく分かったね」

「きっと来ると思って待っていましたの」


 言ってフェリシアはローゼを見つめる。

 昨日と同じ状況だが、今日の彼女には昨日の憂いがない。


「行かれますのね」

「うん」


 どこへ、とフェリシアは聞かなかった。代わりにフェリシアは普段着姿だ。いつもの銀の鎧でも、ローゼが着ているような旅装でもない。王女の自分が公爵領に姿をみせたら厄介なことになるかもしれないと、フェリシアはきっと分かっている。


「ローゼ。現在のシャルトス公爵は、アーヴィン様のお祖父様に当たる方です。三十年ほど前までは、公爵ご自身も何度か王宮にいらしていたそうですの。身分の上下やご自身の体面などを気になさる方だったと聞いていますわ」

「うわあ、あたしが一番苦手とする人物だ」


 小さく笑ったローゼが肩をすくめると、フェリシアも同じように笑って、すぐに笑みを消す。


「……今回も近くでローゼをお助けできたらよかったのですけれど……とても悔しいですわ。ですから代わりに、せめて。……こちらをお持ちになって」


 そう言ってフェリシアは両手に乗るくらいの袋を取り出した。辺りにふんわりと漂う甘い香りは焼き菓子のものだ。ふたりでこれを食べながら、時間を忘れてよく話したことを思い出す。

 ずっとローゼを助けてくれたフェリシア。彼女がいなければ、ローゼは何度も窮地きゅうちに陥っていたはずだ。じっと見つめるフェリシアにうなずいてローゼが袋を受け取ると、フェリシアは曇りのない笑顔を見せる。


「お気をつけて。旅のご無事と、計画の成功を心からお祈りしています。戻ってきましたら、たくさんお話を聞かせてくださいませね」

「ありがとう、フェリシア。行ってくる」


 彼女との別れは永劫ではない。きっとまた戻って来て、ふたりで楽しい話ができるとローゼも信じている。


 馬屋へ向かったローゼはセラータに乗って通用門をくぐり、王都の北門を出てから来た方向を振り返る。王都の東側の丘には陽を受けて白く輝く建物群が見えた。

 聖剣の主になって最初にするのが自分のための行動なことをローゼは申し訳なく思う。


(でも。少しだけ、時間をください)


 ローゼにもようやく分かった。自分の気持ちを考えないようにしていたのは彼との関係が変わってしまいそうで怖かったからだ。今までのように話ができなくなるくらいなら、気持ちに蓋をしていた方がずっと良いと思っていた。

 だけど彼がいないのならこの気持ちには何の意味もない。だからもし、また彼と会えたときは今度こそ想いを伝える。そしてすべての結果がどうであれ、北から戻ってきたローゼは今度こそ聖剣の主として役目を全力で果たす。


 ――そのためにも。


 行く方へ目を転じる。

 北には険しい山並みがあるはずだが、目を凝らしてもそれは王都からまだ見えない。

 風が通りぬける。踊る赤い前髪を追って視線を移すと、見上げた空はどこまでも青く澄んでいた。


「セラータ。長い旅になるけどよろしく」


 夕焼け色のたてがみを持つ馬は、小さく「ブルル」と鳴いた。

 腰の聖剣は黒い鞘に包まれていて、白い鞘は荷の中に入れてあった。北方でも白い鞘を使う時はきっとくる。そうでないと困る。


【お前と俺が組んでから初の、本格的な旅だな】


 晴れやかなレオンの声にうん、とうなずいて、ローゼは改めて手綱を握る。左手首の銀の鎖が涼やかな音で鳴った。


「それじゃあ行くよ!」


 目的の場所は遠く、目的の人物に会う方法はまだ分からない。

 それでもローゼは北へ向けて進む。


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