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第11話:女神を自称する女③

 散らかった部屋を片付け、スウェットパンツを履き終えた彼女と、僕はひとまず朝食を取ることにした。


 といっても凝ったものを作る気力はないから、トーストとベーコンエッグ。それに珈琲と極簡単なものにした。


 ちなみに神様もちゃんと食事はするらしい。


「――っ!? なんじゃこの香ばしくて柔らかいパンは!」


 彼女はそれが甚く気に入ったらしい。ベーコンエッグのおかわりを要求しながら、4枚のトーストをぺろりと完食した。


 異世界ものとかで白パンに感動するシーンがあったりすけど、実際にこんな感じなんだな。6枚切りで100円前後の安物なのが逆に申し訳なくなるような、見事な感動っぷりだった。


 そしてこれも初めて口にするのか、「苦いが、それがまた癖になるのう」とブラック珈琲を堪能する彼女。


 どうやら向こうの世界に珈琲は存在しないらしい。今回はインスタントものだったけれど、次があれば豆から挽いてみるのもありかもしれない。


 そんな彼女を残し、空いた食器を洗っていると、不意に彼女が話しかけてきた。


「さっきはほんとうにすまんかった……」


「いや、僕の方こそ信じきれてなかったとはいえ配慮が足りなかったよ。ごめん」


「ではお互い様ということじゃな」


 ハハとどちらかともなく笑う。どうしよう、少しいい感じなのは気のせいだろうか。


 ちらりと彼女の方へ顔を向ける。そのつもりは無かったが、ついついそのスウェットに包まれた体に目が行く。


 あの下はノーブラ、ノーパンなんだよな〜、なんて童貞こじらせた奴みたいなことを考えていると、突然彼女が吹き出すように笑い出した。


「そんなにこの体が気になるのかや?」


「――あっ、いや、」気づかれたことに動揺して言い訳が尻窄みになる。「そういうわけじゃ……」


「よいよい。別に責めているわけではないんじゃ」からから笑いながら「さっきはああ言ったが、そもそもこの顔も体も造形はお主の理想を基にしておるからの。気になって当然じゃろ」


 そしてさも当然のようにとんでもないことを口にした。


「僕の……『理想』?」え? どういうこと?


 意味が分からず困惑する僕に、彼女は続けてこう言った。


「もう忘れたのかや? 初めに言うたであろう、『この世界の基礎知識を得るためにお主の記憶を観た』と」


「――あっ」と思わず声に出る。思い出した。確かにそんなこと言ってたな。


「ん、待てよ? ということは……」


 そこまで呟いてから、次いで彼女の頭の先から、そのつま先までをゆっくりと目で追う。


 一本に三つ編みで束ねてこそいないが、烏羽色の美しい黒髪。どこか妖艶さを漂わせながらも、いたずらっ子のような笑みを浮かべる紅い唇に、僅かに吊り目がちな黒い瞳。


 そして、ツンと上向きでモチ柔な乳房と、流れるような美しい肢体……。


「ほんと、まんまじゃん」愕然としすぎて、思わず膝と手を床につく僕。


 じ、じゃぁ、もしかして。「その喋り方も……?」


「そうじゃよ? 確か『賢狼ホ』――」「わー! それ以上は駄目ぇっ」


 思わず彼女の台詞を遮ってから頭を抱える。


 これまで何度も夢想してきた、『こんなお姉さんとお近づきになれたらな』という理想の女性が目の前、それも手を伸ばせば触れられる距離にいる。


 それは本来なら喜ぶべきところなのかもしれないが、今の僕はただただ自分の黒歴史を眼前に突きつけられたような気持ちで一杯で、顔を手で覆ってのたうち回ることしかできなかった。



※ ※



「ふ〜……」


 既に冷めかけていた珈琲を一気に飲み干し一息つく。


「落ち着いたかや?」


「ああ。もう大丈夫」


 実際は彼女の顔を見るのがまだ気恥ずかしいが、そこは何事もなかったように誤魔化しておく。


 しかしまいった。せっかく夢想していた容姿の人物――実際は神様だけど――に出会ったというのに、そこに『理想を具現化した』という修飾語が付くだけで、恋心どころか、ああも黒歴史を抉られたような気分に陥るとは思いもしなかった。


 しかもいつの間に結ったのか、そのきれいな黒髪は一本の三つ編みになっていて、これまた狙ったかのように左肩から胸元にかけて伸びていた。


「似合うかや?」絶対わざとだろう。ニヤニヤした口調で訊いてくる。


 その髪型や、その仕草に不覚にもグッと来てしまった僕は、「似合いすぎてて逆にあざとい」と誤魔化すように憎まれ口を叩いておく。


 そんなことお見通しとばかりに「カカカッ」とさも楽しそうに笑うとマグカップに口をつける彼女。


「おや?」しかし既に空になっていたのだろう。彼女は無言で目線とマグカップを真っ直ぐ僕に送ってくる


「はいはい」


 僕はマグカップを受け取ると、自分の分と合わせて珈琲を入れ直した。


「ところでさ、さっきの話で気になってることがあるんだけど」


「なんじゃ?」


「キミは――いや、神様? は……」あれ、そういえば名前聞いたっけ?


「アーシャじゃ」


「え?」


「わっちの名前じゃよ。まだ名乗っていなかったおらんかったのう。敬称はいらんから気軽にアーシャと呼んでおくれ」


「そういえば。僕は山脇誠士郎だ。改めてよろしくアーシャ」


 軽く握手を交わして話を戻す。


「アーシャは向こうの世界で切り離した意識の一部以外を封印されたんだったよね?」


「……そうじゃ」


「それがどうして今こうして僕の目の前にいるんだい?」


「それは……」


「それは?」


「わっちにも分からん」


「やっぱりかいっ」


 何となく予想はしてたけどね。


「最後になんとなく覚えておるのは、〝穴〟じゃ」


「穴?」


「そうじゃ。なんとも不可思議な気配を漂わせる穴でな。それが目の前で開いたと思った瞬間、気がつくと意思と力の一部だけの状態でこの部屋に漂っておったのじゃ」


 そこで一口珈琲に口をつけるアーシャ。


「今にして思えば、あれはお主等が云うところの『異世界への門』だったのかもしれんな」


「異世界への門かぁ……話を聞く限りその線が濃厚だろうね。でもあれ、そうなると――」


「な、なんじゃ。なにか分かったのかやっ」


「ああ、いや、今のアーシャって三分割された状態なんだなって思ってさ」


「うむ。確かにその通りじゃな……?」


「そうなると、向こうの世界で封印が解かれた場合にさ、こっちに来ている今のアーシャはどうなるんだろう?」


「――っ!?」


 きっとそのことに思い至っていなかったんだろう。アーシャは僕の言葉に目を大きく見開き、手をワタワタさせながら慌てだした。


「ど、どうしようっ? どうしたらよいのじゃ誠士郎!」


「僕に聞かれても分からないよ」


 その言葉にシュンとなるアーシャ。可哀そうだけど実際何も分からいのも確かな話だ。そもそも前例がない。というか神話の世界じゃあるまいし、ある訳がない。


 神様が現れたってだけでも驚きなのに、しかもそれが異世界のとくれば、いくらファンタジー好きで、実際に小説も書いている僕ですら驚きを通り越して困惑するしかない。


「まぁ、どのみち向こうの世界の封印が解けないことにはどうしようもないんだろうし、それまで何か出来そうなことを考えるしかないんじゃないかな? 幸い――と言っていいのか判らないけど、うちで良ければいつまでも居てくれていいしさ」


「ほんとかやっ?」その言葉に表情を輝かせるアーシャ。次いでテーブルに手を付き身を乗り出すと、「パンも毎食出るのかのっ?」と舌なめずりをした。


「毎食ってわけにはいかないけど、朝食には必ずようにするよ」と言うと、


「約束じゃからな!」


 よほど今朝のパンが気に入ったのか、しっかり約束させられた。


「しかしそうなると、わっちもお主に何かしないと不公平じゃな」


「別に見返りを求める気はないし、その必要はないんじゃないかな?」


「いやいや。これでも聖なる火を守護する歴とした女神じゃからそうもいかん――おおっ、そうじゃ!」


 そこでポンと拳で掌を叩く仕草をすると、続けてアーシャはこう言った。


「お主、小説のネタに困っておったよな? ならば居候する代わりに向こうの世界の話をしてやろう」


「おお! それは助かる」何せ本物の異世界の話なんだから、筆が進むのも請け合いだろう。


「それではしばらく厄介になるぞ誠士郎!」


こうして僕と女神アーシャの奇妙な同居生活が始まったのだった。


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