夢を見ていた。
それが夢だと判るのは、目の前に自分自身がいるから。
そして、その自分が親友に崖から突き落とされる様をまざまざと見せつけられたから。
むしろ夢であってほしいと切に思うほどの酷い夢だ。
落ちていく。人間に翼は無い。ただどこまでも落ちていく。
崖から少し突き出した岩にぶつかり、派手に血飛沫を上げながらなおも落ちていく。
またぶつかった。腕や、足がおかしな方向に曲がっているのが分かる。
よくあれで即死しなかったものだと我が事ながら感心する。
そしていよいよ地面が近づいてきたその時だった。落下地点に黒い渦を巻く穴が開いたのは。
小鳥遊の体がスッと音もなくその渦の向こうに消えた。
唐突に景色が変わる。そこはこれまでに見たこともない、どれだけの年月を経てきたのか皆目検討もつかないほどの大樹がそびえ立つ辺鄙な場所だった。
その根本に先ほどと同じ黒い渦を巻く穴が出現して、その中から文字通りボロ雑巾のような有り様の小鳥遊が現れた。
なるほど。このおかげで落下死せずに済んだわけか。もっともこれは夢なのだから、実際にそうなっていたかは分からないが。
そこで不思議なことが起こった。いや、これは夢なのだから何が起きても不思議ではないが、そのことを踏まえても不思議な光景だった。
大樹から一人の女が現れた。まるで燃え盛る炎のように紅く長い髪が印象的な女だった。
その女が小鳥遊に問いかける。
――生きたいか、と。
あたしは何と答えたんだったか? そうだ、
「死ぬわけにはいかないっ」
その答えに紅髪の女は満足気に頷くと、彼女の体を抱き起こしてお互いの額を触れ合わせた。
次の瞬間。真っ赤な炎に包まれる小鳥遊の体。その炎が強まるにしたがって、紅髪の女の姿が陽炎のように揺らいでいく。
そして――
「そうか。そういうことか……」
再び目を覚ました彼女は、ここがどこなのか。そして自分自身に起きたことのすべてを思い出していた。
紅髪の女の正体は女神アーシャ。正確にはその意志。
本体である肉体は、遥かな昔に起きた魔王との戦いで、ここリタニア大陸にある魔王城の最奥に封印されている。
女神はその際に意志のみを体から切り離し、いつか封印を解くべく大陸最南東部にある大樹まで逃げてきた。しかしそのままでは存在が霧散してしまう恐れがあったため、この大樹に憑依することで今まで存在を保ってきたのだ。
そして同じく魔族の脅威から逃げてきた者たちが大樹の麓に集まり、いつしか村になったという。
しかしその中に女神の受け皿となり得るものがおらず、130年以上もの永きに渡ってこの村を見守ってきたようだ。
そこに現れたのが小鳥遊だった。極稀に開く異界との門が出現し、そこから現れたその存在は瀕死の重傷でこそあったが、その意志は女神アーシャの受け皿として十分だったらしい。
女神は小鳥遊へと憑依し、その体を癒やした。それは応急処置に過ぎなかったが、おかげで彼女は一命を取り留めた。
この世界は現在魔法が使えない状態にある。
これは女神と魔王が戦った際に生じた余波によって
ということで今現在、小鳥遊は暇を持て余していた。
「はぁ〜……せめてスマホが使えたら」
当然だがこの世界には基地局も無ければwifi設備も無い。男――この村の村長が言った『無理でしょうな』という言葉が再び脳裏に蘇る。それはそうだ。この世界はそれまで暮らしていた日本という国がある世界ですらないのだから。
「こういうのって確か……異世界転移って言うんだけ」
孝宏がその手のものが大好きだったせいで、無理やり読まされたライトノベルにこういう内容の話しがあった気がする。正直興味を持てなかったが、こんなことならもう少し真面目に読んでおくんだったと後悔する。
「タカナシ様。世話係のセニアでございます」
「入って入って」
そこへ包帯交換のために彼女の世話係が天幕の外に姿を現した。
失礼しますとテントの中に入ってくるセニア。その手には包帯やポーションを入れたカゴを下げている。
「お加減はいかがですか?」
「セニアのおかげで、」右肩をぐるぐると回す。「ほらこの通り」
セニアはその様子にクスクスと朗らかに笑う。「私ではなく、ポーションを作成したリヴェリア様のおかげですよ」
最近のセニアはよく笑うようになった。初めて会ったときなど女神の依代だからと恐縮してひたすら平伏していた。
「それでもこうして世話をしてくれるセニアがいてこそだよ」
「フフ。ありがとうございます」
そうしてこの世界に転移してきてから三週間。怪我が完治した小鳥遊は、早速女神アーシャの意志に従って行動を起こしていた。
女神の目的は自身の開放と、マナの均衡を正しマナ汚染を浄化することにある。
それを成すためには封印を解く必要があり、それには〝
「あたしにそんな大役が務まるか分かりませんが、出来る限りのことはしようと思います」
「女神アーシャ様がお選びになった方なのですから、きっと成し遂げられると信じておりますよ」
「私も陰ながら成功をお祈りしておりますね」
こうして村長やセニア、それに村人たちに見送られ、海を挟んだ隣国サラハ共和国へ向けて旅立つのであった。