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第37話:小鳥遊智子④

「ここがそうか……」


 その翌日。冒険者ギルド本部に赴き冒険者登録を済ませた小鳥遊は、その足で昨日女神アーシャが指名したエルフの薬師へ会いに来ていた。


 ギルドでそれとなく訊いてみた限りでは薬師としてだけではなく冒険者としても活動しているらしく、非常に強く薬師としても腕は良いが寡黙で、何を考えているのか分からない人物とのことだった。


 そんな人物が本当に師匠になってくれるのか、いやそれ以前に師事しても大丈夫なんだろうか?


 そんなことを考えながら店の扉を開く。とたん甘いような苦いような不思議な香りが鼻腔をくすぐる。中はこじんまりとした店で、そこいら中に薬草やら、乾燥させた薬効成分のある昆虫やらが陳列してあり、更には涼し気な青いものから毒々しい色のポーションがところ狭しと並んでいる。なんというかいかにもな店構えだった。


「あの、あたしは小鳥遊と申しますが、あなたがエル・ヴィエントさんですか?」


 小鳥遊が店に入ってきてもカウンターの向こうで黙々と何かをすり潰す作業に没頭し一顧だにしなかった店主が、ようやくこちらを向いてくれた。


「…………」


 ベリーショートの黒髪に尖った耳が特徴的な、褐色の肌に茶色ブラウンの瞳をした、同姓から見てもハッとするような美しい顔立ちをしたダークエルフの女性。それがエル・ヴィエントだった。


「……誰?」


 銅等級を示すプレートを示しながら「突然ではありますが、あたしの師匠になってはもらえないでしょうかっ?」


「……嫌」


 一言ポツリそう漏らすように言うと、再び作業へ戻ってしまった。


『にべもせず』とはまさしくこういうことを云うのだろう。その後も食い下がって頼み込んでみたが、まったくの無反応を押し通されてしまった。


 仕方がないまた日を改めようかと思ったその時、女神が口にしたあの言葉がふと口をついて出た。


「炎はいつでも見ている」


 その変化はあまりにも激的だった。


 言葉を言い終わるか否かというタイミングで突如目の前の彼女が消えた。いや、正確には目で追えない素早さで後ろを取られた。


 え? と口にしようとしたところを掌で塞がれ、かと思ったときには首元に冷たい金属――恐らく刃物だろう――の感触があった。


「その言葉をどこで聞いた? 言えっ」


 つい今しがたまでの彼女とは打って変わった、静かに激昂したようなその声音に思わず股間が緩みそうになる。


「め、女神アーシャに」


 口を封じられているのでかなりくぐもった感じになったが、どうやら彼女には伝わったらしい。


「どういうことだ?」


 封じられていた口を開放された小鳥遊はことの詳細を話して聴かせた。女神アーシャの封印を解かなくてはならないこと、そのためにユーシア大陸へ渡らなくてならないことなど、自分が異世界から来たことや、この身に女神の意志が宿っていることは省いてすべてを話した。


「…………」


 何かを熟考しているのか、首元に刃物を充てがったまま微動だにしない。


 あまりの緊張にゴクリと喉が鳴ったその時、フッと喉元の感触が消えた。どうやら信じてもらえたらしい。背後から盛大なため息が聞こえ、そちらを振り向くと腰に短剣ダガーを戻しながらベリーショートの頭をバリバリと掻くエル・ヴィエントの姿があった。


 その様はいかにも面倒臭いことになったと云わんばかりで、実際「あ〜面倒くさい」とボヤいている。


「あの、それで……」怖怖とお伺いを立てる。


「……分かった。青銅になるまでは付き合ってやる」


「ありがとうございますっ。エル・ヴィエントさん、いえ、様っ」


「エルでいい」


「はいっ。エル師匠」


 こうしてついにユーシア大陸への道が開けたと喜んだのも束の間。小鳥遊の師匠となったエルはこう口にした。


「お前では


「あの玉――って、師匠は封印を解く玉を見たことがあるのですかっ?」


「ある」


「それはどこでっ?」


「わたしの故郷だった場所ラティカ。シンボルは〝ラーグ〟」


 そのシンボルの名は、女神アーシャが話した内容とも合致する。こんなにも早く実際に刻印の玉を目の当たりにした人物に出会えるとは思ってもみなかった。


「…………」


まさかの情報に言葉が上手く出てこない。


しかし触れらないとは一体どういうことなのだろうか?


「……触れられないとはどういうことですか?」


「あの玉は、魔族の因子がなくては触れることすら出来ない。そしてお前にはそれが無い」


「師匠にはそれが分かるのですか?」


「何となくだが分かる。お前からは魔族とは相反する女神の匂いがする」


 女神という言葉にドキリとする。『匂い』というものが具体的にどういうものなのかは分からないが、エルには確かに分かるようだ。ということは――


「あたしではユーシア大陸に渡れても、〝иフル〟の玉は手に入れられない?」


 愕然とする。愕然としすぎて言葉尻が自問のようになっていた。


「魔族の因子を持つ協力者を見つけるしかない」


「居るのですか、そんな人物が!?」


「居なければそこで詰みだ」


 それはまるで死刑宣告のようにも聞こえた。いや、内に宿る女神からすれば、それは死刑宣告そのものだったであろう。やっとのことで掴んだ藁が、脆くも千切れてしまったような感覚だった。


 明日また来いという師匠の言葉に、小鳥遊はふらふらとした足取りで店を後にしたのだった。



※ ※



 それから半年の月日が流れた。


「おめでとうございます。半年で青銅なんて快挙ですよっ」


 受付嬢が緑青りょくしょう色のプレートを差し出してくる。


「ありがとうございますっ」


 それを受け取り、思わず感動で涙腺が緩みそうになる。本当に辛い半年間だった。


 例えばオルコの一団と遭遇した時のこと。


「犯されて殺されたくなければ戦え! 殺されて死姦されたくなければ戦え!」


 とエル師匠特製の回復薬をドバドバ頭から掛けられ、倒れても倒れても戦い続けさせられたり。


 例えば暗い罠だらけの迷宮を攻略させられた時のこと。


「目に頼るな。罠は肌で感じろ!」


 松明の明かり一つ無い状態で放り込まれたり。


「このバカ弟子! バカ正直に正面から挑むやつがあるか。背後だ。音もなく背後を突け!」


 とひたすらスニーキングの特訓をさせられたり。


 丸腰で森の中を音も立てずに走り抜ける特訓をさせられたときなんかは――


「食い殺されたくなければ音を立てるな! 死にたくなかれば素手でそいつの頭蓋を砕いてみせろ!」


 と狼の群れをけしかけられた。


 それはそれはもう、何度瀕死の状態になったか忘れたくらい酷い目にあった。


 人はエル師匠のことを寡黙で何を考えているのか分からない人物と称するが、それは間違いだ。単に興味の湧かないことにはとことん無頓着なだけで、一皮むけばただのサディストである。


 だけどその甲斐あってか、卒業試験で「野盗の一味を声を上げさせず皆殺しにしろ」と言われた時は、難なく条件を満たしてクリアできてしまった。これではもう冒険者というより暗殺者である。


 まぁなにはともあれ、これでユーシア大陸にも渡ることが出来る。金貨もギルドに預けた――銀行のようなものだと考えて欲しい――分がとうに200枚を越えていたし、資金も十分である。


 その日の晩はささやかながら二人で一人前になったことを祝い、飲んで食べた。


「エル師匠。やはりユーシア大陸に同行して頂けませんか」


「断る」


 いつもながらのにべもない返事。「達者でな」と去っていくその背中に、小鳥遊は万感の思いを込めて頭をさげた。本当にありがとうございました!


 そしてその翌日。


 居るかどうかもわからない魔族の因子を持つ協力者を探すため各国をめぐる旅へと出発した。


 まずは当初の予定通りユーシア大陸へと渡り、〝и〟の玉のおおよその隠し場所に検討をつけ、港町チェラータを初め王都シーリスやその他の町村を巡っていく。


 しかし当然といえば当然かも知れないが、そんな人物には出会えなかった。


 一度ミスルへ戻り、師匠に挨拶がてら近況報告をしたあと魔族ならばとチャドを経由して魔族領に入り数々の魔族に交渉を持ちかけたが、そのいずれも相手の首を撥ねるという結果に終わってしまった。


 その後も諦めずに各国を渡り歩いたが、結局得られたものは魔族を嗅ぎ分ける嗅覚と、銀色に輝く冒険者プレートに莫大な財宝の数々だけだった。


 そしてそうこうしている内に、気が付けばエル師匠と別れて四年の歳月が流れていた。


 心身はとうに疲れ果て、本当はもう詰んでいるんじゃないのかと折れそうになる。


 しかしその度に夢に現れる女神アーシャに励まされ、歩き出す。


 そうして、初心に帰るため再びユーシア大陸へと渡った小鳥遊を待っていたものは、北の山脈で猛威を振るっている変異体の討伐依頼だった。


 正直乗り気ではなかったが、小鳥遊本人を指名した依頼だったため、憂さ晴らしも兼ねて討伐に繰り出した。


 しかしそこで思いがけない出会いが待っていた。


 それはベアトリスという名の小さな少女と、その双子の妹マルティナだった。


 エル師匠譲りの嗅覚で分かる。この子たちは魔族の因子を持っている。亡くなったという両親のどちらか――もしくは両方?――が魔族に傷を負わされたことがあったのだろう。恐らくその時に僅かばかりでも魔族の因子が体内に入り込んでいたに違いない。


 そしてその因子は子である双子に引き継がれた。


 やっと見つけた。思わず小さな子どものように泣きじゃくってしまいそうになるのをグッと堪え、二人をぎゅっと抱きしめる。


 この子達を引き取って弟子として育てよう。


 そのせいでこの子達はわたしがこれまでに味わってきたものと同じかそれ以上の困難にさいなまれるとしても、あたしは心を鬼にして二人を鍛え上げなくてはならない。そうでなければ女神の封印は解かれず、この世界はマナ汚染という脅威に晒されたままになるのだから。


 そう心に誓った小鳥遊は、小さな未来の光達に向かってこう言ったのだった。


「あなた達。あたしの弟子になりなさい」


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