そして三日後の早朝。
「姉ちゃん……」
「何だ?」
「すっごく酷い夢を見たんだよぉ」
「どんな夢だったんだ?」
「それがねぇ。
「それは酷い
「でしょぉっ? しかもホントに刺されたかと思うくらいすっごくリアルな夢でさぁ」
「馬鹿だなぁ。オレがそんな酷いことするはずがないだろう?」
「それもそうだよねぇ。嗚呼それにしてもお腹すいたよぉ……」
「それじゃ、朝飯でも食いに行くか」
「肉! 肉がいいっ」
「ああ。好きなもんを好きなだけ頼め」
「やったぁ! 姉ちゃん大好き!」
そんな他愛のない姉妹の会話をしていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
その音にマルティナを見ると、
「ギルマスだねぇ」
と欠伸を噛み殺しながらそう答えた。
妹の索敵能力を疑うわけではないが、念の為に
「俺だ、グラートだ」
間違いなく冒険者ギルドギルドマスターのグラートのようだ。こんな早朝から何の用だろうと思いながら鍵を外し扉を開ける。
「どうした、急用か?」
「こんな朝早くにすまん。早い方が良いと思ったもんでな」
「朝飯は済ませたか?」
「いや、まだだが?」
「それじゃこれから朝飯にするから、そこで話を聞こうじゃないか」
「では俺がおすすめの飯屋を知ってるからそこに行くとしよう」
そうしてグラートの案内で訪れた飯屋は――
「ほんとうにここなのか?」
思わずそう問いただしたくなるほど、裏路地の寂れた一軒家だった。
「看板もないよ?」
騙したの? という視線をグラートに向けるマルティナ。
「騙したりしてないから、剣に手をかけるのは止めてくれ。ここは知る人ぞ知る名店なんだ。とにかく入ってみれば分かる」
「ま、それもそうか」
ここはグラートを信用して扉を開ける。すると扉の上部に取り付けられた小さな呼び鈴がチリンチリンと軽やかな音色を響かせる。そこは外観からは想像もできないほど小洒落た空間が広がっていた。四人掛けのテーブルが三つあり、吹き抜けになった二階にもどうやら同様のテーブルがあるようだった。センスの良い調度品に、埃一つ落ちていない清潔な店内。なるほど隠れた名店としての第一段階はクリアしていると見て取れる。
しかし肝心なのはメニューの内容と、その味である。
グラートに勧められるままテーブルに着くと、奥から一人の男が現れた。歳の頃は50代といったところか。白髪混じりの頭髪とはうらはらに、筋肉質でスマートな体つきをしている。エプロンをしていなければ、冒険者だと言われても信じてしまうだろう。
「何だグラート、今日はやけに早いと思ったら両手に花か」
「残念ながら違うんだティーノ。この子達はいわば俺の、否、王都の恩人なんだ」
「『王都の恩人』とはデカく出たもんだな。どういうことか説明しろ」
そこでグラートはベッキーから聴いた地下迷宮での出来事を掻い摘んで話して聴かせた。
「なるほどな……地揺れで大騒ぎしている間に地下ではそんなことが起きてたのか」
ティーノと呼ばれた店主は、パンッと手を鳴らすと言葉を続ける。
「そういうことなら今日は俺からの奢りだ。好きなだけ食ってってくれ。ただしグラート、お前からはしっかり金を貰うからな」
「ああ。どのみち今日は俺の奢りのつもりだったからな。むしろ自分の分だけでいいのは助かる」
「そうだったのか。そいつは惜しいことをしたな」
「やったぁ! おっちゃん肉! 肉をありったけ持ってきて!」
「おうっ。うちの自慢の肉料理を味わわせてやるからしばらく待ってな」
ティーノはそう言うと厨房へと戻っていった。それを待ってグラートに話しかける。
「話しちまって良かったのか?」
「ああ。ティーノは先代のギルドマスターだった男だからな。信用は折り紙付きだ」
ベッキーは驚きに目を見開いた。「そんな人物がなんでまた料理人に」
「俺が引き継ぐ時に聞いた話じゃ、一介の冒険者だった頃に出会った伝説の料理人の影響らしい」
「『伝説の料理人』って何だ?」
「俺も詳しいことは知らない。ティーノもそこのところは教えてくれないしな。超一流の腕前を持った料理人で、世界中を旅して回っているらしいんだが、種族や性別といった詳細な部分がまったく謎の人物らしい」
「それはぜひとも会ってみたいねぇ。姉ちゃん」
「そうだな。確かに興味はある」
人の人生を変えてしまうような料理人とはどんな人物なのか興味は尽きない。だが、それはそれとして。
「そういえばオレ達に何か用があったんじゃないのか?」
「おお、そうだった。今日から禁書庫の閲覧が出来るそうだぞ」
「待ってたぜその言葉!」
「それとこれだ」と懐から鉄製のプレートを二つ取り出すと二人にそれぞれ手渡した。
「これでオレ達もいっぱしの冒険者といったことろか」
「本当は銀にと推す話もあったんだが、お前さん等は最近青銅になったばかりだろう? だからもっと経験を積んで功績を上げてからということで話が纏まってな」
「十分だ。ありがとう」
「そんなことより肉はまだかぁ!」
マルティナにとって昇格よりも、今は食欲を満たすほうが大事らしい。「に〜く、に〜く」と変な節を付けて歌いだしてしまう。
そこへ「おう、待たせたな」と肉串をこれでもかと積んだ皿を持ってティーノが現れた。
「待ってたよお肉ちゃ〜んっ」と早速齧り付く。「ンんんんんっ」
体をぷるりと震わせ、まるで呑み込むように次々と肉串を腹に収めていく。
「どうだ旨いだろう」その食いっぷりにティーノが満足気に笑う。
ベッキーも一本手に取り齧り付く。「確かに旨いなっ」
なるほど隠れた名店というだけのことはある。こんなに旨い肉串は初めてだった。
「他にもどんどん持ってくるからな。おいグラート、酒はそこから適当に注いでくれ」
これはあとで胃薬を用意しないとだなと苦笑する中、豪華すぎる朝食は盛り上がっていったのだった。