そして翌日。
イーヴォの
扉の向こうから濃密な死の気配が漂ってくる。
「やってやろうぜ相棒っ」
「やってやんよ相棒っ」
しかし二人は一切臆することなく、互いの拳をぶつけ合うと迷宮へと挑むべく地下への階段を降りていった。
階段を降り立ったその先はとても薄暗く先が見通し難い。ベッキーはさっそく用意していたカンテラに火を入れると、その明かりを頭上にかざす。道は直ぐそこでT字路になっているとうだった。
「ん? 壁に何か書いてあるな」
T字路手前の右壁に次のようなことが書かれている。
『引き返すのか?』
「引き返すのか? どういう意味だ」
何はともあれ先に進んでみる。T字路に立って左右を見渡してみると、通路は左右に二本ずつ計四つの道に別れているようだ。
その内の一つを進んでみる。どうこやらここは柱に囲まれた感じになっているようだった。ところが――
「どこまで続くんだこの回廊」
かなり進んだ筈なのだが、いつまでたっても終わりが見えてこない。別段罠があるでもなく、敵も出てこない。いつまでも続く同じ景色にいい加減嫌気が差してボヤいていると、ふと振り返ったマルティナが驚いたように一点を指さした。
「姉ちゃんあれっ」
その方向へ振り返ってみれば、なんとそこにはあの『引き返すのか?』のメッセージがあった。
「どういうことだっ?」
意味が分からない。かなり歩いた筈なのに、いつの間にか最初の地点に戻ってきてしまっていた。なるほど壁のメッセージは皮肉だったわけだ
かといってこのままここでまごついている訳にもいかない。恐らく原理はシーリス城の地下迷宮から脱出の際に使われた転送装置と同じだろう。問題はそのポイントがどこにあるのかまったく分からないということだ。
「こうなったら虱潰しに調べるしかないか」
回廊を進んで、転送されたらマップのその箇所に✘印を入れていく。そんな工程を何度も繰り返した結果、
「やっと抜けたっ」
ようやく回廊を抜けることに成功した。
「クソッ。いきなりひねくれた罠を用意しやがってっ」
毒づきながら周囲を確認する。そこは小さな小部屋になっており、入口とは反対側に木製の扉が一つ設置してある。その足下の前にはこの扉のものだろうか、銅製の鍵が一つ落ちていた。
「この鍵で開けてみろってか?」
「絶対何かありそうだよねぇ」
というわけで鍵は無視して扉を慎重に調べてみる。どうやら鍵が掛かっており、その上うっかり鍵穴に通電性のあるものを差し込もうものなら電流が流れる罠が仕掛けられていた。何も考えずに落ちている鍵で扉を開けようとすれば感電して最悪即死、そうじゃなくともかなり痛い目を見ることになるところだ。
さっそく罠と鍵の解除に取り掛かる。ベッキーが使っているピッキングツールは、こういう時のために電気を通さない特殊な金属で作られている。ボックル様々だなぁと思いながら作業を続けることしばし。
――カチッ
小気味よい音とともに「よしっ」という声が上がる。
扉をゆっくりと開けると、その向こうには道が続いており、その先はL字型に曲がっているのが分かる。
道なりに進んでると、ガッシャガッシャと何か軽いものがぶつかり合うような音がこちらに迫って来るのが分かった。音からして恐らくスケルトンの類だろうと判断した二人は戦闘態勢に入る。
「念の為あれ飲んどけ」
「分かった」
そう言ってマルティナはポーチから青の液体に〝
そしてコルクを抜き、中身を一気に呷る。
事前に確認していた通り、皮膚の周りに薄い膜が張る。それを確認したところで音の主がその姿を現した。
「いきなり
竜牙兵とは文字通りドラゴンの牙を触媒に誕生するゴーレムの類だ。その強さはスケルトンとは比べるべくもない。それが二体、手にしたファルシオンを二人に向かって振るってくる。鋭い斬撃をぎりぎりで躱し距離を取るベッキー。マルティナはもう一体と激しい剣戟を繰り広げていた。
オレは近接戦苦手なんだよと内心で毒づきながら、竜牙兵の斬撃を躱したり、短剣でいなしたりしながら攻撃を凌いでいく。師匠の攻撃よりは遅いのが幸いだった。
しかしそれもいつまでも続かない。次第に追い詰められていく姉の姿に、マルティナの攻撃に焦りが生じた。
「しまったっ」
攻撃を避けられ、そこに生じた隙をを的確に突かれる。横薙ぎに首元へ繰り出された斬撃に、咄嗟に左腕でガードする。血飛沫が上がり、骨まで届くような激しい衝撃が腕を襲う。
だが事前に飲んでいた秘薬の効果だろう。本来なら切飛ばされていてもおかしくなかった筈が、血の量に対して傷はさほど深くはないようだった。
これには意思を持たない筈の竜牙兵も驚いたのだろう、逆に隙を生じさせてしまう。マルティナはその隙を逃さず、お返しとばかりに手にした銀剣で横薙ぎにその首を狙った。
ガッと剣を持つ手に鈍い衝撃が走る。
しかしそれには構わず力任せに銀剣を振り抜くと、竜牙兵の首が飛んだ。その途端残された体が、糸の切れた人形のようにその場に崩折れる。マルティナはそれを視界の端に捉えながら、壁際に追い詰められたベッキーを守るべくもう一体の竜牙兵に突っ込んでいった。
「あー死ぬかと思った……」
「もう一体いたら実際ヤバかったよねぇ」
「その腕大丈夫か?」
「うん。姉ちゃんがくれた秘薬のお陰で、ほらこの通り」左腕をグルグル回す。
「そうか。役に立ったようで何よりだ。でもちゃんと傷薬は塗っとけよ」
「は〜い」
マルティナが傷薬を使っている間に床に落ちた空のフラスコを回収する。
そして呪文を唱える。「〝
その途端体中から何かが抜けていくような倦怠感が体を襲う。
するとどうだろう。空だったフラスコに青い液体が満たされていく。最後に〝田〟の文字が浮かび上がったのを確認してコルクで封をする。
ふーと額に浮いた汗を拭う。
「何度見ても不思議な光景だよねぇ」
「確かにな」出来上がった秘薬をマルティナに渡す。「しかも薬草や魔晶石が必要ない上に効果も折り紙付きだからな。これでこの倦怠感が無ければもっと良かったんだが」
「そんなに疲れるんだぁ」
「前にも話したが日に二本が限界だな。まぁオルランドも鍛錬が必要って言ってたから初めはこんなもんだろうけど」
しばらく休憩した二人は、竜牙兵の
「…………げっ」
「どうしたのぉ?」
「爆発系の罠だ」
「それは確かに『げっ』だねぇ……」
以前、魔晶石の坑道に偶然繋がった
「姉ちゃん」
「分かってる。分かってるからそんな目で見ないでくれ」
妹の、今度は大丈夫だよね? という視線が痛い。
もちろんベッキーとて同じ失敗は犯したくない。というか犯せない。ここでの失敗は
両手で挟むように頬を張って気合を入れるとカンテラをマルティナに任せ、深呼吸して罠に挑む。いつにも増して真剣な表情の姉の姿に、マルティナは息をするのも忘れたように魅入る。
そしてどれだけの時間が経過しただろうか。ひと粒の汗が雫となって頬を伝い落ちる。
――カシャッ
という金属が外れる音が鳴り響く。
「姉ちゃん?」
妹の呼びかけに無言のまま振り返り、ニッと口角を上げる。
「成功だ」
「さすが姉ちゃんっ」やったーと抱きつく。
しかし喜んでばかりもいられない。なにせ迷宮の探索は始まったばかりなのだから。
扉の先は通路が真っ直ぐに続いている。ベッキーは扉に取り付けられた爆発物を慎重に取り外すとポーチに入れた。
「そんなものどうするのぉ?」
「何かの役に立つかと思ってさ」
そして道なりに進むと、その『何か』は以外にも早く訪れた。
まず気が付いたのは、やはりマルティナだった。
「姉さん。この先にクワトゥルの群れがいる」
クワトゥルというのは体長2mほどの羽の生えた蛇で、中空を飛び回る上に毒を持ち、必ず群れで行動する厄介な魔物だ。
「丁度いい。
悪戯小僧のような笑みを浮かべ、ポーチから先程の爆発物を取り出す。
そしてクワトゥルに気付かれないようにカンテラを消し、腰を屈め足音と気配を消して投擲範囲内に近づくと、その中心目掛けて投げつけた。
狙い違わず群れの中心にいた一匹にそれが当たったその瞬間。周囲の闇が真っ白に切り裂かれ、次いで耳をつんざくような大音響とともに爆風が辺りを蹂躙した。
「…………」
「…………」
気が付くと二人は揃って床に転がっていた。どうやら爆風に巻き込まれたらしい。辺り一面には焦げ臭い異臭が立ち込め、元が何だったのか分からないほどバラバラになり、焼け焦げた肉片が散らばっていた。
「姉さん」
「は、はい」
「何か言うことは?」
「ごめん……」
苦手な爆破系の罠の解除に成功して調子に乗ってしまったらしい。今後は威力の分からない爆発物は、もっと広い場所で使うようにしようと思うベッキーなのであった。