「残すところ、あとはこの扉の向こうだけか」
あの後も幾度か接敵しては蹴散らし、いくつもの罠を解除してきた二人が最後に行き着いた場所がここだった。重そうな石の扉があり、その横には開閉用だろうか、レバーが一つ設置されていた。
「扉に罠は無さそうだが……」とレバーを見る。
扉はひどく重厚で押してもビクともせず、引くには掴むところがないので諦め横にスライドしないか試してみたがまったくピクリともしない。
「仕方ない。レバーを引いてみるから少し離れててくれ」
「はぁ〜い」
マルティナが十分離れたのを確認してからレバーを引く。すると腹に響くような重低音を轟かせながら、石の扉が横へスライドした。さっと周りを見渡してみるが、他に変化は無いようだった。
「ただの開閉用だったか」
「奥はどうなってるんだろぉ?」
マルティナがカンテラをかざして扉の奥を確かめる。そこは4m四方の小さな小部屋だった。
「どういうことだ? 階段があると踏んでたんだが……」
「見事に何も無いねぇ」
だが階段どころか机と言った家具の一つ見当たらず、ベッキーにはその妙な殺風景さが気になった。
とはいえ他の場所に階段が隠されている様子は無かった。恐らくこの部屋の何処かに隠しスイッチでもあるのだろう。そう踏んだベッキーは小部屋へと足を踏み入れ、マルティナもそれ続いて足を踏み入れた。
その途端、また腹に響くような重低音が響いかたと思えば、開くときとは段違いの速度で石の扉が閉じてしまった。
しまったと思ったときには既に遅く、二人は完全に閉じ込められてしまった。咄嗟に開閉用のスイッチがないか探し始めるベッキー。
しかしそういった類のものは一切見当たらない。これで天井や、壁が迫ってきたら成すすべ無くぺちゃんこにされるだろう。
ところが、その時部屋が急に激しく揺れだした。同時に胃袋が持ち上げられるような不快感に襲われる。まるで地揺れが起きたかのように壁や天井がミシミシと嫌な音を立て、否が応にも不安を掻き立てた。
一体何が起きているのか分からず、二人の表情が恐怖に凍りつく。
しかし、始まったときと同様に、何の前触れもなく部屋の振動は止まった。と同時に腹に響くような重低音を轟かせながら、再び石の扉が横へスライドする。二人はこれ幸いにと転がり出るように小部屋から飛び出した。
だが次の瞬間二人は呆然とその場に立ち尽くすことになる。
何とそこは先刻の廊下ではなく、見も知らぬ大理石の広間が広がっていたのだから。
「何がどうなってやがる……」
「また転移系の罠だったのかなぁ」
「その可能性が高いが――」と背後に口を開けたままの小部屋に目をやる。試すにはもう一度小部屋に入ってみる必要があるが、今度こそ閉じ込められたらと思うと恐ろしくて出来なかった。
あの小部屋は『シフティング・ルーム』と呼ばれる罠で、いわゆるエレベーターだ。もう一度乗り込めば再び上階に戻れる。
しかしそんなことなど知る由もない二人は、仕方なく先に進むことを選択した。
そこは奥行きのある大理石の大部屋で、左右に四つずつ篝火が炊かれており思いの外明るい。さらに左右には七体ずつ石棺が床に置かれており、一番奥には3m近くはあろうかという巨大な大理石の棺が壁に立てかけてあった。
「地下墓地って感じのところだな」
「これ全部アンデッド化してたりしないよねぇ」
アンデッドはその種類にもよるが、非常に厄介な魔物である。特にゾンビはこれまでに見た中でも最悪で、腐敗臭がキツい上に手足を切り飛ばしても平気で向かってくる。しかも噛みつかれたらもちろんのこと、引っ掻かれただけでも奴らの仲間入りをする羽目になるという嬉しくないおまけ付きだ。個々の力は弱くとも、できれば複数を一気に相手にするのは避けたいところだ。
そんなことを思いつつ周囲を警戒していると、
「開けて確認してみればよかろう」
不意に声が響き渡った。
「誰だっ?」
「姉さん、あそこっ」
マルティナが指し示した先、一番奥に立てかけてあった棺の蓋がゆっくりと横へ開いていく。できた隙間から籠手に包まれた指がぬっと突き出し蓋の端を掴んだかと思えば、邪魔だと云わんばかりに横へ押し退けた。倒れた大理石の蓋が、その重量を誇示するかのようにずしりとした音を轟かせる。
そして棺の中から姿を現したのは、闇をそのまま固めて造ったような暗黒色をした鎧に全身を覆われた、禍々しいオーラを放つ身の丈2mを有に超える騎士風の男だった。
「
その姿にベッキーが驚愕の声を漏らす。
「ほう、我が種族名を知る者がいたか。如何にも我は暗黒騎士。暗黒騎士クラウディオだ。そちらも名を名乗るがよい」
「オレはベアトリス。冒険者だ」
「アタシは妹のマルティナ。同じく冒険者だ」
「ベアトリスにマルティナか。しかと覚えた。して、お前たちの目的は何だ? 金か? 名誉か?」
油断なく身構える二人に、クラウディオは悠然とした態度で問いかける。
「金は欲しいな……」額に浮かんだ冷や汗を拭いながら。「だが、ここへ来たのは〝и〟の玉を手に入れるためだ」
それを聞いたクラウディオはさも愉しげに高笑いをし始めた。
そして一頻り笑った暗黒騎士は、おもむろに胴鎧の留め金を外し始めた。
いきなり何をしてるんだと警戒を強める二人をよそに、勿体つけるようにゆっくりと留め金が外されていく。留め金がすべて外れ、前後に分かれた胴鎧ががらんと大理石の床に落下した。
「――なっ?」
「姉さんあれってっ」
鎧の下は黒ずんでカサカサの肌。肉という肉は削げ落ち文字通り皮と骨しかないその体は、鎖骨から肋骨がくっきりと浮かび上がりよりその異様さを強める。その体は完全にミイラ化していた。
しかし二人が驚いたのはそこではない。
「お前たちはこれを望むのか」
親指で指し示したその場所。体の中心から左へそれたその場所には、真っ白な球体に血のように赤い字で〝и〟の文字が浮かぶ玉が、クラウディオ同様に禍々しいオーラを放っていたのだ。
「欲しけりゃお前を倒せってことか」
「そうなるな。だがその前に、我と相対する資格がお前たちにあるのか確かめさせてもらおうか」
そう言うや否や、左右に置かれた石棺の蓋が弾け飛ぶように開いた。突然のことに驚愕する二人の目の前で、一体、また一体と漆黒のスケルトンが石棺より現れる。
「……スカルパス・ウォリアーか」
スカルパス・ウォリアーとは、守りに重点を置いたスカルパス・ナイトと双璧を成す攻撃特化のアンデッドである。生前の強すぎる未練や、欲望によってその体は漆黒に染まり、生者への怨嗟の念を源として活動する。
「さすがの博識だな。よかろう、ベアトリス。お前はその知識をもって我と相対する資格ありと認めよう」
「そりゃどうも。ずいぶん簡単に認めてくれるじゃないか」
「フッ。ここ100年以上我らの正体を初見で言い当てた者がいなかったものでな」
暗黒騎士同様に、このユーシア大陸では未だ遭遇例が報告されていない。ベッキーが知っていたのも、師匠であるタカナシの手記を読んだことがあるからに過ぎなかった。
クラウディオはマルティナの方へ顔を向け言葉を続ける。
「お前はどうだマルティナ。何をもって資格ありと成す?」
「姉さんが知識なら、アタシは力を示す!」
そう叫ぶように言うや、同時向かってきた三体のスカルパス・ウォリアーの横を駆け抜けざまに銀剣を一閃させる。次の瞬間、三体のスカルパス・ウォリアーは黒い塵となって霧散した。
「ほう。並の戦士では苦戦する相手を三体同時に一瞬か。よかろう、お前も資格ありと認めよう」
「それはどうもっ」と四体目と五体目を塵に返す。
これで残すところ後九体。ところが、
「動きが止まった?」
「どういうつもり?」
スカルパス・ウォリアーの動きがピタリと止んだ。二人の訝しげな視線がクラウディオへ向く。
「なに、余興はここまでと思ったまでのこと」
「なら一つ訊いてもいいか?」
「いいだろう」
「地上の紋付き――治癒士達にその玉を手に入れろと唆したのはお前か?」
「ああ、そうだ。初めは守れと言っておいたんだが、それでは暇を持て余してしまうのでな。サキュバスを使って二代目の長に『女神の試練』だと吹き込んだら面白いように屈強の戦士共を送り込んできたぞ」
「なるほどな」
これでハッキリした。ウルバーノの感は正しかったのだ。治癒士達は何世代にも渡って、クラウディオの享楽に付き合わされてきたに過ぎない。騙される方が悪いという気もするが、何とも胸糞悪い話である。