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第45話:治癒士とシンボル⑧

 クラウディオは残った九体を下がらせると一歩前に出る。


「話は終いだ。ここからは我が直々に相手をしてやろう。だがその前に」


 大理石の棺から取り出した暗黒色の長剣ロングソードを鞘ごとマルティナの足元に投げてよこした。


「何のつもり?」


「お前の剣技は素晴らしい。だがお前のその銀剣では我を切ることは出来ない。それでは戦いを愉しむことが出来んのでな」


「だからこれを使えと」


「罠かもしれないと疑うのは自由だ。さあ、選ぶがよい」


 あの体を見るに相手はアンデッドだ。であれば銀剣は有効なはず。だがもしクラウディオの言う通りならば、傷一つつけられない可能性もある。


「…………」


 マルティナは逡巡したのちに、背後の姉を振り返った。


「いいと思うぞ」


 その姉の一言にマルティナは小さく頷くと、銀剣を鞘に戻し、足元の黒剣を拾い上げた。


 そして刀身を抜き放ってみる。


「なんて軽さ」


 その剣は見た目とは裏腹に、信じられないくらい軽かった。


 床を切りつけてみる。大理石の床がまるでバターか何かのようにあっさりと切り裂かれた。信じられない程の切れ味だ。


「気に入ったようだな」


「良い贈り物をありがとう。でも本当に良かったの? これであんたの勝ち目は無くなったけど」


「言ってくれるな。しかしそうでなくては面白くない」


 クラウディオは不敵に笑い、腰の剣を抜き放つ。その刀身はまるで血を固めたようなドス黒い赤色をしていた。


 マルティナがポーチから秘薬を取り出し一気に飲み干す。それを見届けたところでクラウディオが一気に間合いを詰め斬り掛かってくる。それを黒剣で受け止め、そのまま二合、三合と連続で打ち合う。


 そして一度お互いに離れると再び激突した。ベッキーが見守る中、二人は激しく火花を散らしながら一進一退を繰り返す。何とか援護しようとタイミングを図るも、両者の激突はあまりに激しくその隙がなかった。


 しかしその攻防に変化が見え始める。マルティナが圧され始めたのだ。


 もともとの体格差に加えて、スタミナの問題がある。生身の人間であるマルティナと、アンデッドであるクラウディオとでは、圧倒的にマルティナが不利だった。


「さっきまでの威勢はどうしたっ」


「――クッ」


「おらッ」


 クラウディオの裂帛の声に続いてひときわ大きな剣戟音が鳴り、その衝撃でマルティナの体が大きく後ろへ吹き飛ばされる。中空でバク転を決めなんとか態勢を整えズザザザッと足を滑らせながら着地した。


「マルティナっ」


 慌てて妹の下へ駆け寄る。マルティナはキッと鋭い視線をクラウディオへ向けたまま、肩で荒い呼吸を繰り返していた。


「姉さん、あいつ思ってた以上に強い」


 ポーチからスタミナ回復薬を取り出し一気に呷るマルティナ。


 その暗黒騎士は追撃してくるでもなく、こちらの遣り取りを眺めている。ヘルムのせいで表情は窺えないが、余裕の笑みを浮かべているであろう事がありありと分かった。


「ありゃ正攻法じゃまず敵わないだろうな」


「それじゃぁ」


 ああ、と小さく頷きポーチから黒い玉を取り出す。「こっからは邪道に徹する」


「作戦は決まったか?」


「まぁな。こっからはオレ流に行かせてもらうぜっ」


 そう言うや否や手にした黒い玉をクラウディオに向かって投げつける。


「そんなものが何だと――」


 何の変哲もない黒い玉だ。取るに足らないとクラウディオは判断したのだろう、剣で弾き返すでもなくそのままその身で受けた。その途端黒い玉が弾け、中から大量の黒煙が吹き出した。


「煙玉か。だがこんなもの」と剣を横に薙ぎ払い、剣圧で吹き飛ばそうとする。


 しかし黒煙は晴れるどころか剣に纏わりつくように渦を巻くだけだった。


 それを見たベッキーがニヤリと口角を上げる。


「オレの煙玉は特別性だからな。剣圧でどうこう出来るとは思わないことだ。そらもう一つっ」


 更に煙玉が追加され、増々黒煙が色濃くなっていく。クラウディオの視界は完全に塞がれてしまった。


「よもやこのまま逃げる気ではあるまいな!」


「誰が逃げるかっ」


 すぐ傍でマルティナの声が上がる。咄嗟に防御したその瞬間互い剣がぶつかり火花が散った。


「チッ防がれたか」


 クラウディオは声がした辺りを切りつけたが、ただ空を切るのみだった。


「鬱陶しい煙めっ」


 再度剣圧で晴らそうと試みるも結果は同じ。それどころかその隙を突かれて背中に斬撃を喰らってしまう。咄嗟に切り返すが、やはり刃は空を切るだけだった。


「貴様らそれでも戦士か!」


 激昂して叫ぶクラウディオ。


「もう忘れたのか? オレ達は――」


「『冒険者』だ!」


 ベッキーの言葉尻を引き受け、マルティナが叫ぶ。と同時に振るわれた黒剣にクラウディオの左の肘から先が切飛ばされる。


「チィィッ」


 それに構わず切り返したが、またもや刃は空を切る。もはやクラウディオに先程までの余裕は感じられなかった。


 しかし敵もさる者。このままマルティナになます切りにされるかと思われたが、気配もなく斬り掛かってくる彼女の剣をぎりぎりで躱し、剣で受け止め、あまつさえ反撃までしてくる。視界を封じられた戦いに慣れ始めていた。


 だがこうなることは想定済みだった。ベッキーは二人が離れたその隙を狙ってドス黒い液体が入ったフラスコをクラウディオがいるであろう場所へ向かって二つ投げ込んだ。


 一つはその足元で割れ、もう一つは剣で両断されたが、肝心の内容物はすべてクラウディオの体に掛かった。


「今度は何だ? 聖水……ではないようだが」


 彼の鼻が利けばこの液体の正体が何であるのか分かったかもしれない。しかしアンデッドの身でそれは無理な注文だった。


 訝しむクラウディオにマルティナが鋭い一撃を放つ。それを彼が受け止め火花が散ったその瞬間。


「グオオオオオオッ!?」


 クラウディオの体を紅蓮の炎が包みこんだ。炎に耐性のないその身を容赦なく焼かれ、獣の咆哮のような声を上げて悶え苦しむ。何とか炎を消そうと大理石の床を転げ回るが、そう簡単に消せる代物ではない。


 黒煙がようやく薄らぎ、三人の姿がハッキリと見え始めた頃には、クラウディオは体中から白煙を上げた状態で倒れ伏していた。


 しかしさすがは暗黒騎士ダーク・ナイトといったところか。至ることろが炭化し、ボロボロと崩れていくのも構わずにゆっくりと体を起こし立ち上がる。


「こいつまだ動けるのかよっ」


「……ゆるさん。許さんぞ貴様ぁぁぁ! 〝デス〟〝ヴェン〟!」


 絶叫とともにベッキーへ顔を向けたかと思えば、クラウディオはなんと呪文を唱えてみせた。


 毒々しい緑色をした矢が形成され、間髪入れずに射出される。驚きのあまり回避が遅れたベッキーへ一直線に飛来する毒の矢。


 しかしそれが当たる寸前、ベッキーは横から突き飛ばされ難を逃れることができた。突き飛ばしたのは他でもないマルティナだ。


「マルティナ!」


 すかさず起き上がり、ぐったりと倒れ伏す妹のもとへ駆けつける。抱き起こしたマルティナの左肩から胸元にかけて暗緑色に染まっていた。


「マルティナ!」


 もう一度呼びかける。だが反応がない。


「ヴェンの毒を打ち込んだ。その娘はもうじき死ぬ」


 その言葉にビクッと肩を震わせると、ベッキーは涙を浮かべた目で暗黒騎士を睨みつける。


「フハハハッ良い顔だ! 我を激怒させた報いを存分に味わうがいい!」


 そう言い残すと、クラウディオは全身から黒い炎を吹き出し灰となって霧散した。と同時に広間の奥で待機していたスカルパス・ウォリアー達も灰燼と帰す。あとに残ったのは、からんと音を立て大理石の床に転がる〝и〟の玉だけだった。


 しかし今はそれどころじゃない。


 かはっとマルティナが血を吐き出す。体を侵食する暗緑色が顎下まで広がっている。


「そうだ解毒薬」


 慌ててポーチから解毒薬を取り出しマルティナの口に含ませる。


「解毒薬だ。飲め、マルティナっ」


 だが、再びの吐血とともにすべて吐き出してしまった。


 クソッと悪態をついたベッキーは、こうなったらと解毒薬を自らの口に含むと、口移しでマルティナに解毒薬を飲み込ませた。


 しかし暗緑色の侵食は引くどころか増々広がっていく。手持ちの解毒薬では効果は見込めないと分かり歯噛みする。


「マルティナ!」


 絶望感を滲ませ妹の名を叫ぶ。見る間に生気が失われていくその姿に気が変になりそうになる。


 このままではマルティが死んでしまう。そんなの駄目だ。でもどうすればいい?


 そんな思いが頭の中を駆け巡り、大粒の涙がマルティナの顔に降り注ぐ。


 それに反応するかのように暗緑色に支配された瞼が薄っすらと開かれる。


「姉ぇ……ちゃん」あまりもか細い、線のような声。


「マルティナ!」


 マルティナは最後の力を振り絞るように右手を伸ばすと、姉の目尻をそっと拭った。


 そして、笑おうとしたのだろう、その口角が薄っすらと上がる。


 と、その腕から力が抜け、だらりと投げ出される。


「マルティナ? ……マルティナ! 駄目だ! 駄目だマルティナっ!」


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