次の日の朝方。
ベッキーとマルティナの二人は、泊まっていた宿で朝食を済ませた後冒険者ギルドに泊まっているエイダを迎えに行くと、そのまま昨日行った店――大師匠エル・ヴィエントが営む薬屋へと向かっていた。
目的は勿論昨日の話の続きを聞かせてもらうためである。
「今日こそは絶対あの首取ってやるぅ!」
……若干一名ほど目的を見失っている者がいるようだが。
「おい、今日は大事な話の続きを聞くんだからな。邪魔するなよ」
「まかせて。洗いざらい全て吐かせてみせるからぁ!」
「……」
いったい何を任せろというのだろうかこのバカは。そんな心境でエイダを見てみれば、手の平を上に向けた状態で肩を竦めて首を小さく横に振っていた。ようするに諦めろってことらしい。こりゃ
なにはともあれ目的地に到着した三人。その内の一人は既に短剣を抜いて逆手に構えており、衛兵に見つかれば「STOP!」と声を掛けられこの場で尋問されることうけあいだった。
店の主人は既にこちらの到着に気が付いているのだろう。それが証拠に、ベッキーがドアノブに手を触れようとしたその時、昨日と同じく扉が内側にスッと音もなく開いた。
「……」
その様子に、昨日のことが脳をよぎり思わず右耳に手が伸びる。怪我は傷薬で完治しているが、触れるとあの激痛を思い出すようだった。あんな怖い思いはもう沢山である。
「オラァ! 洗いざらい全部話せやっ!」
知らず二の足を踏んでいたベッキーとは違い、威勢よく飛び込むマルティナ。とその動きがピタリと止まった。ああ、こりゃまた眠らされたなと小さくため息を漏らすエイダだったが、どうやらそではないらしい。
「フッフッフ〜。それはもう見切ったぁ!」
ドヤ顔でそう宣言したマルティナの左手の人差し指と、中指の間には小さな針が挟み込まれていた。なるほど、前回はあれに塗られた麻酔薬にやられたというわけだ。
「へぇ〜、やるじゃん」
いつからそこに立っていたのか、暗がりからぬっと姿を現したエル・ヴィエントがパチパチと手を叩き称賛する。そして「じゃぁこれはどうかなっ」と電光石火の早業で腰の短剣を引き抜くと、そのままの勢いでマルティナに斬り掛かっていった。
薄暗い店内で一合、二合ともの凄い速さで短剣同士がぶつかり合う甲高い金属音が何度も鳴り響き、その度に火花が散る。
「アハハハッ、いいねいいね。んじゃもっと速度を上げてみようか!」
言うが早いかエル・ヴィエントの短剣を繰り出す速度が目に見えて上がる。というかもはやベッキーやエイダには目で追えない速度になっていた。
「クッ」
猛烈な勢いで甲高い金属音が鳴り響く中、それでもなんとかその速度についていっていたマルティナだったが、捌ききれていないのだろう、肌の露出した部分に一筋、また一筋と赤い線が生まれていく。かたや褐色の肌には傷一つ付いていない。
「最初の威勢はどこいったっ?」
もはや防戦一方となっているマルティナに、更に追い打ちを掛ける。
「ち、ちょっと、待って! ごめんなさいっ、も、もう無理ぃっ」
とうとう相手の速度についていけなくなったのだろう、マルティナが涙目で懇願する。そこに生じた一瞬の隙を突くように繰り出された攻撃に、その手の短剣が一際大きな金属音とともに弾け飛んだ。
あ、死んだ。
その刹那、すべてがスローモーションとなり脳内で走馬灯が走りだす。それはまだ二人が両親とともにヤクー村で過ごしていた日々の記憶――。
幼い姉ちゃん可愛いぃ! エヘヘヘ〜と鼻の下が伸びる。
「どゲフゥッ」
次の瞬間、マルティナはエル・ヴィエントが放った重たい拳をみぞおちに喰らい、意識を走馬灯の彼方に飛ばされてしまった。
「さてトドメっと」
倒れ伏したマルティナの首筋にプスッと麻酔薬を打ち込む。
「これでしばらくは目を覚まさないだろう」
「妹が世話をかけたな」
マルティナの傍でしゃがみ込み、怪我の具合を確認する。体中切傷だらけだが、その一つ一つは薄皮一枚程度で極々浅い。これなら傷薬は必要ないな、と安心すると同時に大師匠の恐るべき腕前に舌を巻く。しかもあれだけの速度で動いていたというのに、息一つ乱れていないのだから驚きだ。改めて金等級、それも二つ名持ちの実力を実感する思いだった。
「な〜にこの程度どうということも――妹?」
「そうだが?」
「妹、ね……」と呟くように口にし、二人の体を見比べる。そしてその手をベッキーの肩に置くと優しい声でこう言った。
「強く生きろよ」
「余計なお世話だ!」邪険にその手を払い落とす。「そんなことより昨日の続きを聞かせろっ」
「そうだったな。ま、取り敢えず座れ」
店内に設えられた四人がけのテーブルに着く。
「お前たちが伝え聞いているおとぎ話では、魔王と女神の戦いはどうなったことになっている?」
「オレが知る限りじゃ、魔王アムシャは女神アーシャに倒されたけど、魔王の呪いで世界から『魔法』が消えたっていう内容だったと思うが」
「アタシが知っている話もそんな感じだったね」
「魔王の呪いねぇ……そういえばお前も呪われているとか言っていたな」
「そうなのかい?」
初耳だと驚いた顔をするエイダ。
「ああ。バース族の呪いを受けている。詳細はあとで話すよ」
「その必要はない。何故かって? そりゃ今の世に『呪い』なんて存在しないからさ」
「存在しないって……現に魔法は使えなくなってるじゃないか」
「それは呪いのせいなんかじゃなく、魔法の源である
「『マナ汚染』か……」エイダがポツリと呟く。
「そうだ。そして呪いは魔法の一種だ。魔力が正常だった頃ならいざ知らず、今の世で呪いが発動することなどまずありえない」
「じゃぁオレたちは呪われてなんかいないってことか」
「そうなるな。ま、その話は一旦置いておくとしてだ。変だと思わないか?」
「変?」
何がだ? とベッキーとエイダは顔を見合わせる。
エル・ヴィエントはやれやれと云わんばかりにため息を付くとこう続けた。
「仮に魔法が使えなくなった原因が魔王の呪いだったとして、ならその時
「それは何もしなかったんじゃないのか? だから恩寵なんて端から存在しないことになってるんだろ」
「違うね。恩寵はあったし、女神は何もしなかったんじゃない。
「それってどういうことだい?」
「要するに女神は動きたくても動けなかったのさ。
驚く二人を他所にエル・ヴィエントは話を続けた。
「確かに女神は魔王を倒した。しかしそれは殆ど相打ちに等しいものだったんだ。だから魔王は最後の力を使って弱った女神を封印したんだ。六つの結界石でね」
六つと聞いて弾かれたように立ち上がるベッキー。
「それじゃ、オレが持っている宝玉の正体は……」
「ああ。女神アーシャを封印するために作られた結界石の一つってわけだ」
「…………」
予想だにしなかった話に、呆然としたまま力なくストンと椅子に座る。とそこでふと脳裏に浮かんだ疑問を口にする。
「まるで見てきたみたいな話し方をするんだな」
「実際この目で見てきたからな」
「「はぁっ?」」
衝撃の発言に今度はエイダも一緒に立ち上がった。
「別にそんなに驚くことでもないだろう。わたしはダークエルフだぞ? 何年生きてきてると思ってるんだ」
「ちなみに今何歳なんだ?」
「240歳だ。これでも一族の中では年若いんだぞ」
「ハハハハ……」思わず乾いた笑いがこみ上げる。
そうだった。エルフは長命な一族なのを忘れていた。冒険者ギルドのアーティファと同じくらいだと思っていたら軽く一桁違っていたのだから、これはもう笑うしか無かった。
「それと結界石の話だが、もう一度見せてくれるか」
分かったと言ってリュックサックからテーブルの上に〝и〟の玉を取り出してみせる。その手つきが今までと違いおっかなびっくりなのは、昨日あんな光景を見せられたからだろう。
「それがさっき話しに出てた結界石か」
興味深そうにエイダが手を伸ばす。
「迂闊に触れるなっ。下手をすれば灰になりかねんぞ」
その忠告にギョッとして慌てて手を引っ込める。
「それにしてもやっぱりお前は普通に触れることができるんだな」
「オレだけじゃない。ユーシア王国の拝火教の長も触れたぞ?」
「ほう。その人物は魔族じゃなかったか?」
「いや、オレが見る限り普通の爺さんだったな。それがどうかしたのか?」
「そうか……。その宝玉に触れることができるのは魔族か、もしくはそれに連なる者だけの筈なんだがな」
そう言うと、エル・ヴィエントは何事か思案するように胸の前で腕を組む。
「そう言われても爺さんはどうか知らんが、オレは普通の人間だぞ」
「お前、魔族と関係を持ったことはないか?」
「は? 関係って?」
「要するに男女の関係になったことがないかと訊いてるんだ」
「だ、男女の関係って、そ、そそ、そんなのあるわけないだろっ」
ベッキーはこの手の話に弱いのか、顔を真赤にして否定した。
「となると、あと考えられるのは『混じり者』の線だけだな」
「何なんだい、その『混じり者』ってのは?」
初めて聞く単語にエイダが首を傾げる。
「説明するより見たほうが早いだろう」
そう言うなり席を立ったエル・ヴィエントは、二人を伴って作業台まで移動した。薬棚には種々雑多な薬の素材が並べられており、自身も調合を行うベッキーの好奇心を否が応でも刺激する。ついつい話そっちのけでそれらに目が行ってしまうのをグッと堪え、何事か準備をしている大師匠をじっと見守った。
するとエル・ヴィエントは棚からそれぞれ別の液体が入った瓶を二種類取り出し、ベッキーたちの前にシャーレを五つ用意した。好奇心が抑えられないベッキーは早速その液体の正体が何なのか質問した。
「大師匠、それは試薬か?」
「こっちの無色透明な方がそうだな。それでこっちのくすんだ緑色が魔族の血だ」
「魔族の血? そんなもん何に使うんだい」
「見てのお楽しみさ」
そして二人が興味津々で見守る中、エル・ヴィエントはスポイトで試薬をシャーレの一つに数滴入れた。そこへ更に魔族の血を一滴入れる。
「おおっ?」
変化は劇的だった。それまで無色透明だった試薬が、真夏の晴天を思わせるような澄んだ青色へと変化したのだ。
「見ての通りこの試薬は魔族の血に反応してその色を変化させる」
ちなみに、と前置きして別のシャーレにも数滴試薬を入れると、今度は自らの親指の腹を短剣で切り、溢れ出した血をそのシャーレに垂らした。
「魔族以外の血にはまったく反応しない」
確かにシャーレの中の試薬に一切変化は見られなかった。
「そうか、『混じり者』って体に魔族の血が混じっている奴のことを指すんだな」
「その通りだ。わたしの感が正しければお前の血でも変化がある筈」
「しかし普通の人間に魔族の血が混じるなんてこと、本当にありえるのかい?」
エイダの疑問は最もなものだった。
「ああ。極稀にだが、そういう事例もある。さ、今度はお前がそこに血を垂らしてみろ」
更に別のシャーレに試薬を入れ、ベッキーの前に差し出す。ベッキーは大師匠と同じように親指の腹を切ろうと短剣を押し当て――そこで躊躇した。知らずゴクリと生唾を飲み込む。
もし反応が出たらオレはどうなる? 今までのオレでいられるのか? そんな思いが胸中をぐるぐると回る。
「心配するな。反応が出ようが出まいが、今のお前に何ら変わることは無い」
「その通りだぜ」
「それもそうだな。こんなことで何弱気になってんだか」
自嘲気味に笑い、そのまま短剣を滑らせる。とたん親指の腹に赤い線が走り、じわりと血が溢れてくる。その血を目の前のシャーレに垂らす。
「やはりな」
試薬は青く染まった。魔族の血ほど鮮やかな青ではないが、確かにそうだと言えるほどには色が変化していた。試しにマルティナの血を垂らしてみると、更に薄っすらとだが試薬の色に変化が見られた。
最後にエイダの血を試してみたが、思った通り何の変化も見られなかった。
「これで何故お前が宝玉に触れることができるのかハッキリしたな」
「正直嬉しなくない結果だけどな。しかしどこで血が混じったんだ?」
「妹のマルティナも反応が出たところを考えると、おそらくだが母親の腹ん中でだろう。両親のどちらかが冒険者だったりしないか?」
「うちは二人とも冒険者だったな」
「ならその線が濃厚だな。クエスト先で魔族にでも出くわして傷を負わされたんだろう」
「そんなことで混じるものなのか?」
「怪我の程度にも寄るし、本当に極稀にだけどな」
「混じるとどうなる?」
「程度にも寄るが、素となった魔族の特徴を有して生まれてくることがあるそうだ」
そいつは怖いな……とエイダが唸る。
「ま、何にせよ結論は出た。となればやることは一つだろう」
「何をすればいいんだ?」
「そんなの決まってるだろう。女神様の解放だ」
エル・ヴィエントはそう言ってぽかんとする二人に笑みを浮かべてみせたのだった。