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第54話:首都ミスルと大師匠⑤

 そこは上階でオルコどもと戦った部屋よりも格段に広く、左右に六本ずつ天井まで伸びる円柱がそびえ立っている。そしてその天井は篝火の明かりが照らしきれないほどの高さにあった。そんなだだっ広い空間の中央にはいた。


 2mはある長身のエイダよりも、更に倍近く背が高く、その横幅はエイダ四人分は優にあった。不潔な毛皮をその身にまとい、丸太を想起させるような棍棒を両手に携えた筋骨隆々な双頭の巨人の名は――、


「エティン、だと……」


 ベッキーの口からも絶望的な声が漏れる。その存在は師匠の資料で見たことがあり知っていたが、まさか実物がこれほどまでに巨大な化物だとは思ってもみなかった。想像を遥かに超えた存在感に気圧され、股間が緩みそうになる。


 幸いだったのは二人が転げ出た場所が、エティンから死角となる円柱の陰だったこともあり、まだ存在に気が付かれていないことだった。


 話し声で気付かれないように、顔をくっつけるようにお互い近づけヒソヒソと今後の計画を練る。


「あんなのがいるなんて聞いてないぞ」


「どうする、逃げるかい?」


「どこにだよ?」


 確かに出口はある。それも二箇所。一つはおそらくこの部屋への正規ルートであろう鉄の扉と、もう一つはエティンの背後にある鉄の扉。逃げるとすれば正規ルートの扉の方だろうが、いかんせん距離がある。それに最悪扉に鍵が掛かっていた場合、悠長に解除している暇など与えてはくれないだろう。


 となれば、残る選択肢は『戦う』のみとなるが……。


「どう考えても勝てる気がしないよな」


「同感だ」


 そうなるとどうするか……? このまま隠れていてもジリ貧だし、自滅覚悟で特攻を掛けても、あのバカみたいにデカい棍棒のシミになるのが関の山だろう。せめてマルティナも一緒ならエティンのアキレス腱を切ってもらうなりして動けなく――そうか、その手があった!


「何か思いついたのかい?」


「ああ。だけどこれはエイダ次第だけどな」


「何をすればいい?」


「片方でいい、あいつのアキレス腱を切ってくれ」


 いくら巨大な化物とはいえ、二足歩行である以上アキレス腱を切られれば動けなくなる筈。その隙に正規ルート側の扉から脱出できれば、こんな迷宮さっさとおさらばだ。石版のことは気になるが、それは後日マルティナを加えて再挑戦すればいい。


「無茶なこと言ってくれるねぇ。だが分かった。ここらでビシッと決めて汚名返上といこうじゃないか」


「それじゃ、これを飲んでおいてくれ」


 ポシェットから取り出した〝ヤー〟の文字が浮かんだポーションを手渡す。


「何だいこの薬は?」


 訪ねながらグイッと一息に飲み干す。


「肉体の防御力を上げてくれるシールド・ポーションだ。どこまで防げるか分からないが、無いよりはマシだろう」


 そう答えて自分も一息に呷る。


「それじゃ、オレが閃光手榴弾こいつを奴の頭に投げつけるから、そしたら攻撃開始だ」


 深呼吸して意識を集中させる。閃光手榴弾があの巨体にどこまで通用するのか全く分からないが、少なくとも目くらましくらいにはなってくれるだろう。とはいえ手持ちはあと四つしかない。一発も外すわけにはいかなかった。


 二人は顔を見合わせ、小さく頷きあう。決心は固まった、さあ戦闘開始だ!


 まずは先刻打ち合わせた通り閃光手榴弾を、エティンのオルコを思わせる猪にも似た二つの顔の真正面に投げるける。狙い違わず飛んでいった閃光手榴弾は、何だこれは? という顔で見ていた巨人の、文字通り目の前で炸裂し猛烈な閃光を発した。


「「グォォォッ! 目ガ、目ガァァァッ」」


 不意を撃てたのが功を奏したのだろう、思いの外効果があった。エティンは左右に持った棍棒を手放し、手の平をそれぞれの顔に押し当て身悶え苦しんでいる。そこへタイミングよく飛び出したエイダが渾身の力を込めて巨人の右アキレス腱を切りつけた。


 しかし流石は巨人の体、一筋縄ではいかない。かなりの頑丈さだ。


「チッ、一撃じゃやっぱり無理かい! ならっ」


 その場で地団駄を踏むように暴れるエティンの足の動きに合わせて、同じ箇所を二度、三度と切りつけていく。


「これでもまだダメかいっ、おっと」


 エイダを払いのけようと伸ばされた手を掻い潜り、更に斬撃をお見舞いする。だがそれでもアキレス腱を断ち切るには至らなかった。


「これじゃ武器のほうが先に参っちまうよっ」


「それでもっ」二発目の閃光手榴弾を投げる。「なんとか切ってくれ!」


 エティンの顔面付近で二度目の閃光が炸裂し、その双頭から苦悶の声が上がる。巨人の足止めは上手くいっている。この間になんとかアキレス腱を切断できれば望みは繋がる。


 しかし――、


 甲高い破砕音が鳴り響き、エイダが持つ新月刀が根本から折れてしまった。しかも刀身はエティンの足首にめり込んだままだ。


「クソッ、折れちまった!」


 残った柄の部分を投げ捨て、吐き捨てるように毒づく。エティンのパックリと傷が開いた右足首からは止め処なく血が流れ、完全な切断までもう少しだったことが伺える。だがここまでの手傷を負わせることが出来たのであれば、動きを止めることは出来なくとも、移動を大きく阻害できるのではないだろうか。


「ここまでだエイダ! 扉に向かって走れ!」


 そう見て取ったベッキーはエイダに指示を出し、自らも走り出す。その際にポシェットから取り出した火炎樹の樹液を取り出すと、振り向きざまにありったけの瓶をエティンへ投げつける。瓶が割れ、エティンの全身をまだらにどす黒く染める。


「ありゃなんだい?」


「見てのお楽しみさっ!」


 そしてその足で篝火まで走ると松明に火をつけ、それをエティンに向かって投げつけた。松明の火が樹液に触れた途端、巨人が火柱と化した。


「こりゃ派手だね!」


「今の内だ!」


 エティンは全身を包む炎を消そうとその場で苦悶の咆哮を上げながら転げ回っている。扉まで逃げるには今を置いて他になかった。


 二人がいる位置から扉まで30mほど。普段ならばなんてことのない短い距離だが、今はそれが永遠に感じるほど遠く感じる。


 しかしエティンもやられてばかりではいなかった。未だ炎が体を苛む中、二人を追いかけようと立ち上がる。さすがは巨人族と言うべきか、その強靭さは人間のそれとはまるで比べ物にならないくらいだった。走りながら同時に振り返った二人がギョッとした顔を浮かべる。


 だがここでエイダの頑張りが実を結ぶ時が来た。エティンが右足に力を入れた瞬間、何かが盛大に千切れる音が鳴り響き、その巨体が前のめりに派手にぶっ倒れた。エイダによって切込みを入れられた右足のアキレス腱が、負荷に耐えられず千切れたのだ。


 これ幸いにと正規ルートの扉まで辿り着いたベッキーは、すぐさま扉に取り付くと施錠の有無を確認する。


「チッ、やっぱり鍵がかかってやがる」


「解除にどのくらい掛かる?」


「40秒と掛からないよ」


 ベッキーが鍵の解除に取り掛かっている間にエティンの様子を伺う。奴はまだあの場から一歩たりとも動けていない。これなら楽勝で脱出できると、エイダが思ったその時だった。エティンが落ちていた棍棒の一つを握りしめ、大きく振りかぶったのだ。


「ヤバい! 避けろ!」


 エイダは咄嗟にベッキーを抱え、全力で横に飛んだ。


 その一瞬あとを巨大な丸太のような棍棒が通り過ぎていく。動けないことを悟ったエティンが棍棒を投擲してきたのである。


 しかし二人ともまったく無事だったわけではない。飛来した棍棒がエイダの脇腹から背中にかけてを掠めていたのだ。巨人が投げた巨大な棍棒が、例え掠っただけだとしても無事でいられるわけがない。


「クソッ、何が起きやがった?」


 鍵の解除のために終始背中を向けていたベッキーは、状況が掴めないまま、痛む体に鞭打って上半身を起こし目の前の状況にギョッとした。


 エティンの棍棒が鉄の扉があった場所に突き刺さっており、しかもその周りの壁が崩落してひどい有り様となっていた。エイダが咄嗟に自分を抱えて避けていなければ、今頃二人ともミンチになっていたことだろう。


 そしてそのエイダはというと。ベッキーの下半身に覆い被さるようにして倒れていた。


「おい、大丈夫かエイダっ?」


「あんたがくれたポーションのお陰かね……何とか生きてるよ……そっちは大丈夫かい?」


「オレなら心配ない。そんなことよりも動けそうか?」


 エティンの動向を伺いながら声を掛ける。エティンは二人をミンチに出来なかったことがよほど悔しかったのだろう、体が燃えているのもそっちのけで石畳にバンバンと手の平を打ち付けて怒りを顕にしていた。


「それなら問題ない。あばらを2・3本持っていかれたが大丈夫。まだ動けるよ」


「ならこれ飲んどけ」


 手渡された回復ポーションを一気に飲み干す。薬の効果だろうか、さっそく体が軽くなったような気がする。


「すごい効き目だね」


「オレの特製だからな。それよりどうする? こっちの道は塞がれちまった」


「そりゃ、なんとかして向こうの扉を抜けるしかないだろうさ」


「ま、そりゃそうなんだけどさ」


 その『なんとかして』をどうしたものかと考える。エティンは怒りで頭に血が登っているのか、無理やり立ち上がろうとしては前のめりに倒れてを繰り返している。そこだけを見れば柱の陰を迂回して反対側の扉に辿り着けそうだが、さきほど突然棍棒を投げてきたことを考えると、何をしてくるのか分からないところがある。


 とはいえここで二人して突っ立っているわけにもいかない。エティンの動向を注視しつつゆっくりと近づいていく。するとエティンは立ち上がることを諦め、今度は両手両膝で四つん這いの姿勢をとった。まさか、と思ったベッキーの予想通り、エティンはその姿勢のまま、人間の赤ん坊で言うところのハイハイ状態で二人に近づいてきた。正直もの凄く怖い。もしあの腕に捕まれでもしようものなら、あっという間に握り潰されてしまうことだろう。


「大人しく倒れてろってんだっ」


 ベッキーが毒づくが、それで止まってくれるエティンではない。彼我の距離がぐっと縮まり、巨人の攻撃範囲に入る。その途端、火傷で爛れた巨大な手が二人に迫り、圧殺しようと掴みかかってきた。


「汚い手を近づけてんじゃないよっ」


 幸いにしてその動きは愚鈍だ。掴まれないように避けるのは簡単だったが、いかんせんその手の平の巨大さ故に圧迫感が酷かった。


 まったく掴めないことにいい加減焦れたのか、またも癇癪を起こすように石畳をバンバンと叩く。地面が揺れて走り難いことこの上なかったが、二人はこれ幸いにと一気に走り抜けた。


 扉はもう目の前だ。とはいえ向こうにはもう一本棍棒がある。さっきみたいに投げつけられでもしようものなら今度こそ手の打ちようが無くなる。ベッキーはそれを事前に阻止するため、エティンが体を反転するのに合わせて、残りの閃光手榴弾を立て続けにその顔面めがけて投げつけた。


 一つは手の平で弾かれあらぬところで炸裂したが、最後の一つが見事に巨人の眼前で炸裂した。視力をやられ、うずくまるように二つの顔を覆うエティンを他所に扉に取り付き罠と施錠の有無を確認する。


「しめたっ、罠も鍵も掛かってない。今のうちに抜けるぞ!」


 二人は鉄の扉を押し開けると、我先にと飛び出していった。扉の向こうはちょっとした広間になっていた。その奥には一本の通路が続いており、篝火が二人を誘うように左右に並んでいる。


 それはそうと背後の扉が――というより壁全体がドカドカと騒々しい。おそらくエティンが二人を追いかけようと、壁をぶち抜こうとしているのだろう。とんだ執念である。


「これ以上あんな奴に構ってられるかっ」


「同感だ」


 二人はエティンが鳴らす打撃音が聞こえなくなるまで通路をひた走る。通路の先は両開きの鉄の扉で行き止まりとなっていた。


「この奥が最奥っぽいな」


「いよいよかい。ワクワクするね」


 扉の前でしゃがみ込み、罠や、施錠のの有無を確認する。


「ここもそれらしいものは仕掛けられてないな。あとは中に魔物がいないことを祈るだけだ」


 念の為にブーツに仕込んであった短剣をエイダに渡す。もともと使っていた新月刀と比べると非常に心もとないが、これでも素手よりは幾分マシだろう。


「じゃ、開けるぞ」


 二人で同時に扉を押し開ける。その奥には金銀財宝の山が光り輝いて――は、いなかったが、代わりに中央に設えられた祭壇があった。


「なんだい。宝の山を期待したのにガッカリだね」


 本当にガッカリしているのだろう、その肩がしょんぼりと項垂れている。


「ま、そんなにガッカリしなさんな。苦労の割に実入りが少ないなんてのは、冒険者家業じゃよくある話さ。それよりも見てみろよ、これが例の『触れない石版』じゃないか?」


 ベッキーが指差す方へ目を向けてみれば、祭壇の上に〝и〟と刻まれた手の平サイズの石版と、〝⌿〟と刻まれた同サイズの石版が並べて置かれていた。


「これがねぇ……見た感じ普通の石版にしか見えんが……あ、でもこっちの文字は『フル』、だったか? あの玉と同じ文字だよな。試しに触ってみてもいいか?」


「『触れない』ってことは既に誰か試した後なんだろうから、大丈夫なんじゃないか」


 オレ以外はな。と胸中で言葉を続ける。事情を知らないエイダから見れば、確かに何の変哲も無いただの石版でしかないだろう。だがこれらと同じ類の石版をその身に宿している者としては、この場で石版に触れるべきかどうか悩ましいところだった。


「それじゃぁ……あれっ、何だこりゃ、確かに触れねぇ!」


 まるでホログラムに触れようとした時のように、指が石版をすり抜けていく。エイダはそれを驚くと同時に楽しんでもいるようで、「どうなってんだこりゃ」と言いながら何度も指を行ったり来たりさせていた。


「ベッキーも試してみろよ。結構楽しいぞ」


「えっ? いや、オレは遠慮しとくよ……」


「な〜に言ってんだい。まさかビビってんじゃないだろうね」


「ビビってるとかそういう問題じゃないんだっ。あ、こら腕を掴むな引っ張るなっ」


 何とか石版に触れまいと抵抗するベッキーだったが、腕力でエイダに敵う筈もなく、「やめろぉぉぉ」という叫びも虚しく石版に触れさせられてしまった。


 その途端――、


「ぅグアァァァァッ――」


 ベッキーは苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えてその場に片膝をついていた。


「何だ、何が起きたんだ? 石版がベッキーに吸い込まれた? おい、大丈夫かベッキー!?」


 今目の前で起きたことが信じられず、予想外の展開に困惑するエイダ。そんな相棒を手で制しながらベッキーは片手で頭を押さえつつゆっくりと立ち上がった。


「いったい何がどうなってんだ?」


 ベッキーのその様子に、ひとまずは大丈夫だと判断したエイダは、改めて今起きたことの説明を求めた。


「エイダは口の硬さに自信はあるか?」


「え? あ、ああ。少なくとも軽くはないぞ?」


 問い返され増々困惑の色を濃くするエイダに、ベッキーは、見られたもんはしょうがないかと深い溜め息を吐くと、亜人であるオルランドの存在はぼかしつつ、石版について、そして『魔術』について説明した。


「その『魔術』ってのは『魔法』とは違うものなのか?」


「ああ。実はオレもまったく理解できてないんだが、違うものらしい」


「なぁ、別に疑ってるわけじゃないんだが、何か魔術を使ってみせてくれないか?」


「そうだな。実際に見てもらった方が早いだろう」


 そう言うとベッキーはポシェットから空の瓶を取り出し、意識を集中させ呪文を唱えた。


「〝ヤー〟〝ブロー〟」


「なっ?」


 驚くエイダの目の前で、空だった瓶が青い液体で満たされていく。


「という具合だ」


「なるほど、こいつぁおいそれと人には話せないわな」


 肉体の防御力をあそこまで高めてくれるポーションが、何の触媒も無しに作れるとなれば、その需要は計り知れないものとなるだろう。そうなればベッキーの立場が怪しくなりかねない。これは確かにおいそれとは人に話せない内容だった。


「だからくれぐれも内密に頼む」


「まかせな。例え口が裂けようとも絶対に口外しない。けどエル・ヴィエント――あんたの大師匠にはどうするんだい?」


「大師匠にもしばらく黙っていようと思う」


 特別何か考えがあってのことじゃない。何となくそうした方が良いような気がするだけなのだが。


「分かった。あんたがそう判断したんならそれに従うさ」


「ありがとう」


「なに、礼には及ばないさ。こっちもそのポーションで助けられた身だからね」


 お互い様さ、と言ってニッと笑う。


「さて、それじゃぁここにはもう用は無いし帰るとするか」


「しかし帰るって言ってもどうするんだい?」


 この部屋には入ってきた扉以外に扉は存在しない。かといってもと来た道を戻ろうにも、エティンが待ち構えている上に、正規ルート側の扉は崩落して進めないからだ。


「その祭壇の後ろに、この迷宮の入口に移動できる転送装置があるんだ」


「それも魔術で?」


「いや、石版にそういうメッセージが残されてたんだ」


 はぁーと感嘆とも何ともつかない息を吐くエイダ。


 そしてメッセージにあった転送装置を発見したベッキーは、おっかなびっくりのエイダとともにそれに乗り、無事迷宮を脱出した。


 初めての体験ばかりで、街に帰り着くまでエイダが終始興奮気味だったのは言うまでもないだろう。


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