ベッキーとエイダは、朝食がまだだったこともあり、エイダが
店の中は朝食には遅く、昼食には早すぎる時間帯なせいか客の入りは少ない。もっとも、混んでいるとゆっくり食べられないので、この方がゆったりできて良いのだが。
注文は今回もエイダに任せた。何が出てくるのかワクワクしながら待っていると、さっそく調理が運ばれてきた。
「これは豆を煮込んだもので……こっちはパンか?」
豆料理の方は、乾燥そら豆をじっくりと煮込んだこの地方定番の朝食で、一緒に出てきた中が空洞になっている薄いパンですくって食べるんだそうだ。
にんにくの香りに食欲を刺激されたベッキーは、さっそくパンですくって齧り付く。
「これ旨いな!」
「だろ? 魚介もいいが、朝はやっぱりこれじゃないとね」
よほど気に入ったのだろう、モリモリ食べるベッキーを微笑ましく見ながら、自らもパンですくって口にいれる。
うん旨い。何度食べたのか忘れるほど食べてきたが、飽きのこないいつ食べても最高の朝食だった。
「ところでこれからどうするんだい?」
ひとしきり料理を堪能し、食後のハーブティーを楽しんでいたところで、エイダが今後の予定を訊いてきた。
「ひとまず奴隷商をあたってみようと思ってる」
「奴隷商? 何でまた」
「ほら、大師匠が前に言ってただろ? この国の『紋付き』は捕まると奴隷堕ちするって」
「ああ、そういえば言ってたね」
「隠れ里について話が訊ける可能性は限りなくゼロに近いけど、ダメ元でな」
「そういうことならアタシの知り合いに奴隷商がいるから、そいつを訪ねてみよう」
という訳でさっそく奴隷商を訪ねることにしたベッキー。エイダに案内され辿り着いたのは、大師匠が営む薬屋のほぼ正反対に位置する、路地裏の奥だった。
サーカス団を想わせるような、縦縞模様の巨大な天幕。その入口にはこの国の言葉で『ターミル商会』と書かれていた。その入口をくぐると、途端に糞尿の臭いが鼻を突く。天幕の中は所狭しと檻が置かれていた。臭いの発生源がどこか確認するまでもないだろう。
「ターミルはいるかい?」
「わたくしならここにおりますよ」
エイダの呼びかけに、檻の陰から一人の男が姿を現した。歳の頃なら40歳ぐらいだろうか、突き出た腹に赤と黒を基調とした燕尾服を窮屈そうに身にまとったその姿は、まるでサーカス団の団長のようだ。
「おお、これはエイダ様ではありませんか。今回はどのような用向きで?」
「どのようなも何も、ここに来たら目的は一つだろうが」
「ハハッそれはまったくごもっとも。で、どのような奴隷をお探しですかな? それとも……」
とそこでターミルの視線がベッキーに向く。あからさまに値踏みをしているのが分かるその目にイラッとする。
「こいつはアタシの相棒だ。そんな目で見るんじゃないよっ」
「ハハッそれは大変失礼いたしました。お名前を伺っても?」
「ベアトリスだ。ベッキーでいい」
「ベッキー様ですね。ようこそ当商会へ」
その慇懃無礼な態度にまたイラッとしたが、ここで癇癪を起こしても話が進まないのでグッと我慢して目的を告げる。
「ここに『紋付き』はいるか?」
その途端ターミルの目がスッと細くなる。その視線はベッキーの襟首を見ているようだった。
「オレに紋章はついてねぇぞ」
「ハハッこれは失礼。癖でしてな、どうかご勘弁を」
「そんなことはどうでいい。居るのかいないのかどっちなんだ?」
「
こちらですと言って檻の谷間を案内する。幾ばくも進まぬ内にそこへ辿り着いた。
その檻には、大きな布が被せてあり中は窺いしれない。目で外せと送ると、ターミルは大仰に一礼すると、一気にその布を外してみせた。
「俺をここから出せっ!」
その途端、鉄格子に噛みつかんばかりの勢いで、中にいた一人の青年が叫んだ。なるほど『活きが良い』とはこういうことか。
「静かにしないか! お客様に失礼だろう!」
「そんなん知るかよっ、いいからさっさと俺をここから出せ!」
青年の襟首を確認する。確かに拝火教徒を示す紋章が刻まれていた。間違いない紋付きだ。
「こいつと二人で話がしたい」
「それは承服いたしかね――おっと」
青年と二人で話すことを、この男が許可しないだろうことは初めから想像がついていた。ベッキーはターミルが話し終わる前に、ポケットから取り出した金貨を一枚放って寄越した。
「おっと、そういえばそろそろ餌の時間ですな。わたくしこれで結構忙しい身なのですよ」
するとどうだろう。それまで難色を示していた表情が一変、パッと明るくなり、そそくさとどこかへ行ってしまったではないか。いっそ清々しいくらいの守銭奴である。
エイダにあの男が聞き耳を立てていないか、お目付け役として同行してもらい、これで晴れて二人っきりとなったベッキーは、青年と鉄格子越しに向かい合った。
「この俺に何のようだ?」
「お前に一つ訊きたいことがある」
「訊きたいことだぁ? つかお前サラハ語下手だな」
「なっ!? しょうがねぇだろ。師匠に叩き込まれたは良いが、今まで使うことがなかったんだ。まだ口に馴染んでねぇんだよっ」
「ま、いいや。俺をここから出してくれるんなら何でも答えてやるぜ?」
「それはお前の回答次第だな」
「チッ。それで、訊きたいことってのはなんだ?」
「拝火教徒の隠れ里はどこにある?」
それを口にした途端、青年の態度が硬化するのが手に取るように分かった。表情が一段と険しくなり、こちらを警戒しているのが伝わってくる。
「それを知ってどうするつもりだ?」
この感じ、ユーシア王国で同じく拝火教徒のウルバーノに同じ質問をしたときのことを思い出す。この青年は何か知っているに違いない。
「別に何もしやしないさ。ただ長老に尋ねたいことがあるだけだ」
「…………帰んな」
「え?」
「帰れと言ったんだ」
「ここから出たくねぇのか?」
「そりゃ出たいさ。しかしそんな場所は存在しない。無いものは答えようがないからな。だから帰んな」
青年はそう言うと、話はこれでおしまいだとばかりに、ベッキーに背を向けごろりと横になってしまった。これではもう何を言っても、何も訊き出せないだろう。ここはいったん引くしかなさそうだ。
「また来る」
青年からの返事はない。しかしベッキーは構わずにその場を後にした。
エイダのもとに戻ると、ターミルと二人でチェスを指していた。二人ともに顔が真剣なのは、おそらく金でも賭けているからだろう。
「よし、これでチェックメイトだっ」
「ぐぬぬぬぬ……」
どこかに逆転の抜け道はないか、盤面を穴が空くほど凝視していたターミルだったが、覆すのは無理と判断したのだろう、盛大にため息を吐いて「参りました」と降参した。
「もう話は終わったのかい?」
テーブルに置かれていた二枚の金貨を
「ああ」
ベッキーはそう短く返すと、ターミルに向かって「邪魔したな」と店をあとにした。
「いえいえ、またのお越しを心よりお待ちしておりますよ」
「で、どうだったんだい?」
ターミル商会を出て少し歩いたところで、エイダが事の次第を訊いてくる。
「ダメだった。何か知ってそうなのは確かなんだけどな。奴隷からの解放を条件にしても何も話そうとしないんじゃお手上げだよ」
どうしたもんかなぁ、と手の平を上に向けて肩を竦めると首を横に振る。
買い取って拷問するなりして無理やり吐かせるという手段も取れなくはないが、それはできればやりたくない。性に合わないからだ。
「じゃぁ、これからどうするんだい?」
「ひとまずアルミナを手に入れたいから、例のアルミナインゴットを出し渋ってる街まで行ってみようかと思ってる」
「例の街っていうとハルツームか……」
「ん? どうかしたのか」
「いや、なに。距離かちょっとね……遠いんだよ」
「どれくらい掛かるんだ?」
「そうだね……途中にある宿場町まで馬車で10日くらいか。ハルツームはそこから更に南へ10日ほどの場所にあるんだよ」
「そんなに遠いのかよっ」
単純計算で20日の行程になる。それも最短でだ。天候によっては馬車の速度が変わるだろうし、場合によっては車輪の故障もありえるだろう。それに何よりハルツームまでの間には例のアルミナインゴットを強奪した野盗が出没する。出逢えば戦闘になるのは必至で、その
閃光手榴弾が使えて、尚且つマルティナがいれば10や20人は物の数ではないが、しかしその閃光手榴弾はあと一発しかなく、頼りのマルティナも修行中でここにはいない。エイダも相当に腕が立つし頼りになるが、マルティナの戦闘力には遠く及ばず、必勝出来るかといわれれば、少し心許ないというのが正直なところである。
そういった諸々込みで考えると、一月近く掛かるものと見ておいた方がいいだろう。
「どうする。それでも行くかい?」
「う……往復で下手すりゃ二ヶ月か。こりゃこの案は無しだな」
しかしそうなると、今後の方針を考え直さなくてはならない。どうしたものかと考えあぐねていると、エイダが提案してきた。
「ここはギルドに戻って、普通にクエストを受けてみないかい?」
「クエストか……」
確かに言われてみれば、ここしばらくクエストを受けていない。冒険者ギルドの規約にも月に何度かクエストを熟さないといけないノルマがあった気がするし、ここはエイダの経験を増やす意味でも、ノルマ達成を目指してクエストを受けまくるのもありかもしれない。
「そうだな。それじゃ一度ギルドへ戻ってクエストでも見てみるか」