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第61話:ナージェリン遺跡と長い夜④

「一体何が起きたんだ!? ここはどこだいっ?」


 突然の出来事に、エイダは泡を食って周りを見渡した。今しがた通ったばかりの通路は壁で塞がれており、どんなに押しても体当たりをしてもびくともしない。その壁を含め、周りの壁は、それまでローマン・コンクリートに酷似した材質のものだったのに対し、今は古びた石組みへと変貌している。明らかに、全く別の場所に転送されたとしか思えない状況だった。


「まぁ落ち着けって」


 取り乱すエイダをひとまずなだめる。ベッキーの落ち着き払ったその態度と言葉に、エイダもすぐに落ち着きを取り戻していった。


「取り乱しちまってすまない」


「いいってことよ」


「それにしても、これってどういう状況なんだい?」


「どこか別の場所に転送されたな」


 石組みの壁をノックの要領でコツコツと叩きながら答える。


「転送……つまり罠に嵌ったってことかい?」


「う〜ん、罠といえば罠なんだろうが、この場合は『招かれた』と言うべきだろうな」


「『招かれた』? どういうことだい」


「その前に。ここに転送される直前に、足下に〝и〟の文字が浮かんだのを見たか?」


「いや。そんな余裕なかったからね」


「オレは確かに見た。まぁ、これはあくまでオレの推論なんだけどな。オレがこの身に宿してる〝и〟の石版に反応して、転送装置が作動したんじゃないかと考えてる」


「それってつまり……」


「ああ。この遺跡――いや、迷宮ダンジョンだろうな。その最奥にも別の石版が眠っている可能性が高い」



 その通路は不気味な気配を漂わせていた。


 通路の壁面を形作る古びた石組みには、奇怪な生物を象ったレリーフがびっしりと彫り込まれ、魔術温存のためと取り出した松明の淡い光の下で、まるで生きているかのようにうごめいた。


 すっかり静寂に支配されたこの迷宮の中にあって、二人の冒険者は、今までにない不安を味わっていた。


 通路は、ところどころ枝分かれしながら、うねうねと奥に続いている。ベッキーはそれらを一つひとつマッピングしながらエイダとともに進んでいった。


 やがて通路の向こうに広大な空間が開けた。そこは、以前エティンと遭遇した広間よりも一回り小さな造りだったが、それでもオーガが何十体と入れるくらいには大きな広間だった。


 広間には、何を象ったものなのだろう、奇っ怪な彫像が立ち並び、その中央には巨大な六芒星が描かれてあった。


「いかにも何か出てきますって感じだよな」


「同感だね」


 かといって通路はその六芒星の向こう側にしかない。ここは意を決して広間に入る他ないようだった。


「またエティンが現れるとかないだろうね……」


「広間の大きさからしてエティンはなくても、オーガくらいはありえそうだよな」


「まったく勘弁して欲しいね」


 松明をもう一本用意し、二本とも広間の中央付近に投げ入れる。そうすることで光源を確保した二人は、戦闘態勢に入るとゆっくりと広間へと足を踏み込んだ。すると案の定六芒星が反応し、不気味な紫色の光を放ちだす。すると六芒星の中央から黒い靄のような影が湧き出し、空中で実体化し始めた。


 それは大きいものでも人間の子供程度で全身無毛。尖った耳を持ち、先端が三角形の尻尾と、コウモリのような翼を生やした姿をしていた。


「インプか」


 ひとまず巨人族ではなかったことに安堵する。空を飛ぶのが厄介ではあるが、さほど脅威となる存在ではなかった。


 ところが、束の間の安心感は、エイダの悲鳴じみた声で破られた。


「おいおいっ。どんだけ出てくる気だい!」


 黒い靄のような影は留まることを知らないかのように次から次へと湧いてくる。実体化したインプの数は、今や10や20では利かなくなっていた。いくら一体一体が弱いとはいえ、これはさすがにマズい。


「クソったれめ!」


 盛大に毒づきながらクロスボウでインプを撃ち落としていく。エイダも飛来してくるところを次々と切り捨てていくが、いっこうに数が減らない。石畳は酷い臭いのするインプの体液で緑色に染まっていった。


 いったん通路へ退避することで、一度に相手取る数を減らしつつ死物狂いで迎撃していく。そしてどれだけの時間が経過しただろうか、クロスボウの矢はとうに撃ち尽くし、短剣で応戦していたベッキーの耳に「これでラスト!」というエイダの声が飛び込んできた。


「マジ、クソすぎんだろ……」


「腕の筋肉がパンパンだよ……」


 二人してその場で倒れ込むように大の字になる。肩で息をするその姿は、インプの体液と自身が流した血とでドロドロという酷い有り様だった。ただ幸いだったのは、見た目に反して軽傷ということだろう。


 それにしてもどんな石版が隠されているのか知らないが、しょっぱなからこれでは身が保たない。とはいえ脱出しようにも出口はこの先にある筈で、どのみち嫌でも進まざるを得ないのが現状なのだった。


「まったく、永い夜になりそうだぜ……」


 寝転がったままポーションを呷り、傷と、スタミナを回復する。辺はガズ溜まりトラップかと思うくらいの酷い臭いに包まれていたが、二人はぐったりとしたまま動かなかった。


 そうやってどれくらいの間寝転がっていただろうか。ようやくベッキーが億劫そうに上半身を起こした。


「そろそろ行けそうか?」


「ああ、大丈夫だよ」とエイダも上半身を起こした。


 そして二人してゆっくりと立ち上がる。その動きは快活とはまるで正反対の緩慢なもので、二人の疲労っぷりを如実に表していた。もっとも、肉体的というよりは精神的な疲労の方が強かったが。


 松明の火はとうに消えていた。仕方がないのでトーチの呪文を唱える。


魔核コアはどうするんだい?」


 死屍累々とおびただしい数のインプの死体を親指で示しながら尋ねる。


「取りたいか?」


「遠慮したいね」


「なら放って置こうぜ」


 でもこれだけはと、まだ使えそうなクロスボウの矢を回収して回る。文字通り足の踏み場もないほどに転がるインプの死体を踏みつけながら広間の入口まで来る。広間の中もそこいら中にインプの死体が転がっている。殺りも殺ったりとはこういうことをいうのだろう。


「これ、また広間に入った途端インプが湧いてくるってことはないだろうね?」


「おい、怖いこと言うなよ。ほんとにそうなったらどうする」


 もしそうなったら反対側の通路へ強行突破でもしない限り、数の暴力に圧されて同じことの繰り返しだろう。そうなれば詰みだ。


 二人はしばらく間逡巡していたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、意を決して広間へと再度踏み込んだ。


「「…………」」


 そのまま様子を見る。六芒星は反応しない。どうやら打ち止めのようだ。ベッキーとエイダは揃って深い安堵の溜め息を吐いた。それでも六芒星の上を歩く時はおっかなびっくりな足取りで通り過ぎ、反対側の通路に入ったところで再度ため息を吐いたのだった。


 マッピングを続けながら更に奥へと進んでいく。六芒星の広間を離れるにしたがって不気味な気配は薄れていき、通路の壁面を織りなす材質も、いつしか古びた石組みから大理石へと代わっていた。


 そこはいかにも何かありますよと云わんばかりの怪しい通路だった。


 今いる通路から直角に右へ伸びる、一見何の変哲も無い通路なのだが、まず左の壁に生々しい焦げ跡があり、それだけでも十分怪しい上に、ひょっこり覗いた範囲内すべてが感圧板になっているのだから怪しまない方がどうかしていた。


 とはいえここ以外進める道がない。まずはどんな仕掛けなのか試してみることにする。エイダを後ろに下がらせ、一番手前の感圧板を踏んでサッと足を戻す。すると通路の奥からボッというどこかで聞き覚えのある音が聞こえた。自分も下がり、何の音だったかと記憶を探ってみる。しかし何の音だったか思い出せないまま数秒が過ぎ、


「ん? 何も起きないぞ」


 踏み込みが甘かったかと通路を覗いてみる。その途端、巨大な火の玉が顔の直ぐ側を通り過ぎ、背後の壁にぶつかり爆裂した。


「ギャーッ、アチチチチチッ!」


 その時に生じた火の粉をしこたま全身に浴びたベッキーは、悲鳴を上げながら転げ回った。エイダも慌ててベッキーの燃えている部分を手で叩き消火を手伝う。


「クソッ、酷い目にあったぜ……」


 髪の毛チリチリパーマ状態で、どっかとその場で胡座をかき毒づくベッキー。その首筋の火傷部分に傷薬を塗り込んでもらいながら、この仕掛けについて考える。


 床の感圧板を踏むことで、通路の奥にあるのだろう射出口からファイアボールが飛んでくる仕組みなのだろうことは分かる。それも感圧板が二列になっていることから、射出口も二門あるだろうことも。あのボッという音はファイアボールが射出されたときの音だ。昔実験中に失敗して、実験器具から派手に火が吹き出したときに鳴っていた音にそっくりだった。


 それはともかく。問題なのは見える範囲の床がすべて感圧板になっていることだ。おそらくどの感圧板を踏んでもファイアボールが射出される仕組みに違いない。あの規模のファイアボールだ、もし直撃でもくらおうものなら最悪即死すらあり得るだろう。


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