「どうすっかなぁ……」
「ほい、塗り終わったよ」
「サンキュー」
「何か攻略法でも思いついたかい?」
「一つだけ方法がないでもないが、とりあえず試してみるしかないな」
という訳で一つ思いついた方法を試してみることにする。
「いいか、さっきのオレみたいになりたくなかったら、合図するまで顔を出すなよ」
エイダをファイアボールの影響範囲内から下がらせ、一人通路の入口に立つ。ここから一歩でも踏み込めば火の玉が飛んでくる。ベッキーは一つ深呼吸をすると、意を決してその一歩目を踏み込んだ。
通路の奥からボッというファイアボールが射出された音が聞こえてくる。そのまま意識を通路の奥へと集中する。巨大な火の玉がこちら向かってまっすぐ飛んでくるのが見える。とんでもない迫力だが、ここで怖じ気付いていても待っているのは確実な死だ。
ファイアボールがあと一ブロックと迫ってきたところで、斜め左の感圧板に飛び移る。予想通り、ボッという次の火の玉が射出された音が耳に届く。ここからが勝負どころだ。一発目のファイアボールが先程同様に背後の壁にぶつかり派手に爆ぜる。爆風が背中を押し、肌を焼くような熱気に冷や汗が吹き出す。
二発目のファイアボールを一発目同様にある程度引き付けて、今度は右斜の感圧板に飛び移ることで避ける。あとはこれを繰り返すだけだ。とはいえ通路の奥へ行く――つまり射出口に近づく度にタイミングはシビアになってくる。火の玉が目前に迫る度に心臓が早鐘を打つ。ここまでの恐怖を感じるのはいついらいだろうか? エティン戦もそうとうに恐ろしかったが、ここまでの直接的は死は感じなかった気がする。
そして最後のファイアボールをすれすれで避け、射出口の真ん前に着地する。さすがに最後の一ブロックまで感圧板になっているということはなかったようだ。ベッキーは震える手で額に浮かんだ汗を拭った。あとはエイダをどう誘導するかなのだが……と考えていると、そこで二つの射出口の間の壁に妙な違和感を感じ、ベッキーはそこへ取り付くと壁を調べ始めた。
するとその壁の一部がスライドし、その奥に一本のレバーが設置してあるのを発見した。きっとこのレバーが仕掛けを停止する装置に違いないと判断したベッキーは、躊躇いもなく思い切ってレバーを下ろした。
恐る恐る感圧板を踏んでみる。
「…………」
何も起きない。やはりこれが停止スイッチで間違いなかったようだ。
「お〜い、エイダぁ。もう普通に歩いても大丈夫だぞぉ」
その呼び声に、エイダはひょっこり顔を出すと、恐る恐る感圧板に足を乗せてみた。
「…………」
何も起きない。さすがベッキーだねと独りごちながら、エイダは悠然と感圧板の上を歩いていき、相棒と合流を果たしたのだった。
そして今、二人はいかにも重そうな黒い石の扉の前に立っていた。
「残すところ、あとはここだけだな」
「この奥が最奥なのかね?」
「そうだと良いんだけどな――クソ、扉が分厚すぎて罠があるかどうか分からねぇな」
だいたいこれまでのパターンだと、碌なことにならないのだが、かといってこのままここで立ち往生していても始まらない。仕方ないこのまま開けるかと、ベッキーとエイダは、二人がかりで重い石の扉を押し開けた。
扉の向こうは黒い石壁に囲まれた小部屋になっている。向かい側に小さな祭壇があり、その上には何か偶像のようなものが見て取れた。
部屋に入ってみても他には何も見当たらない。仕方無くベッキーは祭壇を調べてみた。偶像に見えたものは、何かを象った小さな彫像で、周囲には厚く埃が積もっていた。
「この彫像が怪しいんだけ、ど――」
と、そこでベッキーの体がふらりと
「どうしたんだい!?」
「ああ、すまない。ちょっと立ち眩みがしただけだ。多分魔術を使いすぎたんだろう」
ここに来るまでに何度もトーチの呪文を唱えてきた、その疲れがここにきて出てしまったのだろう。
「本当に大丈夫なんだろうね?」
「ああ、問題ない――っていうかちょっとマズいことになってないか?」
ふらついた時に彫像に触れたからだろうか、いつの間にか彫像の背後の壁が下に滑って黒い穴が現れていた。しかもその向こうからもの凄い轟音がする。
「マズい! この音は水だ!」
音の正体にいち早く気づいたエイダがそう叫んだその瞬間、穴の中から轟音とともに大量の水が勢いよく迸った。ベッキーとエイダはその勢いに負け、扉のある場所まで奔流に押し流されてしまった。
素早く立ち上がり、周りの状況を見渡して思わず悪態をつく。
「おいおいおいっ。火の次は水攻めかよ!」
辺はすっかり水浸しになっていた。気がつくと、もう膝の高さまで水位が上がっている。二人は慌てて入口の扉に取り付き、扉を引っ張ってみたが、いつの間にか閉まっていた重い扉はビクともしない。そうこうする内に水位が腰まで上がってきたが、壁はすべて一枚岩で、他に出口は見当たらない。このままでは二人仲良く溺死である。
「どこかに水を排出する仕掛けがある筈だっ。それを探すぞ!」
水の中に潜り、必死になってそれらしい仕掛けを探して回る。すでに水はエイダの胸にまで上がってきており、背の低いベッキーに至っては、エイダに引っ張り上げてもらわなくては呼吸もままならない状態だった。
何度も浮上し呼吸をしてはまた潜る。それを何度も繰り返し、仕掛けを探すがどこにも見つからない。ついには、エイダですら立ち泳ぎをしなくては呼吸できないところまで水位が上昇してしまう。このままでは遠からず本当に溺死してしまうだろう。
「クソッ、このままじゃ――」
もはやこれまでかと絶望に駆られたその時、偶然振り上げたベッキーの右手が天井の僅かな起伏に触れた。
「――っ!?」
考えるよりも早く、ベッキーはその起伏を思いっきり押し込んでいた。
その途端水の流入が止まり、床が三分の一ほど横へスライドしたかと思うと、そこに排出口が現れた。部屋いっぱいに溜まった水が、今度は一気に排出されていく。このままでは奔流に乗ってどことも知れない場所に流されかねない。二人は排出の勢いに耐えようと、必死になって小さな祭壇にしがみついた。
それからどのくらい経ったのだろう。ベッキーは、誰かが自分を揺さぶっているのに気づいて、ゆっくりと目を開けた。どうやらいつの間にか気を失っていたらしい。最初に心配そうなエイダの表情が映り、次にすっかり水が抜けきった部屋の様子が見えた。
「大丈夫かい?」
「ああ。エイダも大丈夫そうでなによりだ」
「アタシは海の女だからね。こんな場所で溺死するなんて恥ずかしい真似はできないのさ」
白い歯を見せニッと笑う。そんなエイダに手を借りてその場に立ち上がると、改めて部屋の様子を確認する。部屋中水浸しで、これで魚でも跳ねていればそれっぽかっただろうが、生憎と魚の姿は無かった。排水口も気を失っている間に床がもとに戻り、隠れてしまったらしい。あとは祭壇の裏手に開いた水の流入口がその口を開けたままだった。
もしかしてと思い、その流入口の内部を調べてみる。
「やっぱりあった」
流入口の奥、そこには水で濡れて光を放つ、上階へと続く階段が隠されていた。その階段を登っていくと、天井から水が滴っっている部屋へと辿り着いた。おそらくあの天井の向こうに水源があるのだろう。
またぞろ天井が開いて大量の水が降ってきやしないかと、ドキドキしながら部屋の中を見渡す。下の部屋と同じく黒い石壁に囲まれた小部屋になっており、今立っている場所とは反対側に、これまた重そうな黒い石の扉が一つあった。おそらくだが、あの扉の向こうが最奥なのではないだろうか。
念の為、扉に取り付き罠の有無を確認するが、やはり下の部屋と同様に扉が分厚すぎて分からなかった。とはいえここを開ける以外に道はないのだ。ベッキーとエイダは、二人がかりで重い石の扉を押し開けた。
扉の向こうはこれまでと同様に黒い石壁に囲まれた小部屋になっている。向かい側に小さな祭壇があり、その上には薄い石の板がひとつ置かれているのが見えた。
部屋の中に入り、祭壇を確認する。その石の板には〝ε〟の文字が刻まれている。間違いない魔術の石版だ。ということはここが最奥だとみて間違いないだろう。
「ようやく石版とお目見えか……これでしょぼい魔術だったら怒るぞオレは」
またあの脳に直接焼印をされたような感覚を味わうことになるのかと思うと辟易するが、ここまできて引き下がる訳にもいかない。ベッキーは意を決すると、石版にそっと手を触れた。すると石版がスッと吸い込まれるように消え失せ、と同時に想像通りの不快極まる感覚が脳裏を襲う。こればかりは何度繰り返しても慣れる気がしない。
「大丈夫かい?」
祭壇に手をつき、脂汗を浮かべているベッキーに心配そうな表情を浮かべるエイダ。そんな彼女に片手を上げて、大丈夫だというアクションをする。スッと不快な感覚が消え失せると同時に脳内に浮かんだ情報に、ベッキーは思わずニヤリと笑みを浮かべていた。
「ベッキー?」
エイダは、その笑みにますます心配気な表情を深める。
「これは凄いぞエイダ」
しかしそんなことなどまるで意に介した風もなく、興奮したように「見ててくれ」と言うと、部屋の左端に移動するなりその反対側に向けて左の手の平を突き出し、
「〝
と呪文を唱えた。
その途端、ベッキーの手の平からバスケットボール大の火球が生まれ、正面に向かって飛んでいくと壁に衝突するなり派手に爆散した。
「……っと」
消耗が激しいのか、ふらりとふらつくき片膝をつく。だがその表情は晴れ晴れとしていた。
エイダの反応はとそちらを見てみれば、あまりの出来事にポカ~ンと口を開けていた。
「どうよ?」
自慢気な表情を浮かべるベッキー。
「凄いじゃないかい! 足がぷるぷるしてなけりゃもっと凄かったけどね」
やはりよほど消耗が激しいのだろう、立ち上がってはみたものの、両足に思うように力が入らず、生まれたての子鹿のようにぷるぷるしているベッキーを見て、エイダは称賛しながらも腹を抱えて爆笑していた。
「しょうがねぇだろ! 思った以上に消耗が激しいんだ」
そう言いつつも、つられて笑う。こりゃ本格的に魔術の特訓が必用だろうなと思いながら。
そしてひとしきり笑ったところで、
「さて、目的も達成したし、そろそろ脱出して帰ろうか」
ベッキーはそう言うと祭壇の裏側を調べだした。
「今回も転送装置が隠されてるのかい?」
「ああ。ここをこうして……こうっ」
すると祭壇の背後の壁が下に滑って、縦に長い長方形の空間が現れた。その空間の床面には円形の魔法陣が描かれており、どうやらこの魔法陣に乗れということらしい。二人はさっそく魔法陣の中央に立つと、その時を待った。
魔法陣が何かに反応するように明滅しだし、かと思った次の瞬間には、豚面が眼の前に立っていた。
「――へ?」
三者三様にポカンとした顔になる。一番早くに動いたのは、豚面――一匹のオルコだった。驚きとも怒りとも取れるような鳴き声を発しながら、手にした棍棒を振り下ろしてくる。
「危ねっ」
それを咄嗟に左右に分かれて回避する。その瞬間二人は大事なことを思い出していた。
そうだ、遺跡に巣食ったオルコを退治しに来たんだった!
迷宮でのインパクトが強すぎてすっかり本来の目的を忘れていた。だがしかし、そうとなれば話は早い。行方知れずの一匹がこいつというわけなら、この場でさっさと殺ってしまえば良いのだから。
ベッキーに向けられた二撃目を難なく躱し、その隙をついてエイダがオルコの首を刎ねる。最後の戦いにしては、何とも呆気ない幕切れであった。
討伐した証である
「まったく、長い夜だったぜ」
白み始めた空を眺めて、ベッキーはため息交じりにそう呟いたのだった。