とある遺跡の奥深く。そこから連なる洞窟の中で、
「前にもこんなことなかったっけぇ!?」
「あったな! 懐かしいぜっ!」
「懐かしんでる場合じゃ無いと思うんだよぉ!?」
口々にやいのやいの叫びながら、身長差が著しい凸凹コンビの少女が二人、必死の形相で全力疾走していた。
言わずと知れたベッキーとマルティナである。
今二人は、いつぞやの再現のように、轟音を轟かせながら迫る巨大な丸石に追いかけられていた。巻き込まれれば怪我じゃ済まないのは、今回も日を見るよりも明らかだ。
二人が走る洞窟は真っ直ぐな一本道で、見える範囲に逃げ込めそうな扉や横道は見当たらない。それどころか鍾乳石が乱立しているせいで走り難い事この上なかった。
その道は緩いながらも進行方向に向かって下り坂になっており、時が経つにつれて巨石の速度が加速度的に上がる仕組みになっている。二人の逃走を阻んでいる鍾乳石などものともせずに砕きながら、巨石はどんどんと速度を上げてきていた。
「ゴブリンが六匹!」
気配を察知したマルティナが叫ぶ。
薄暗がりの向こう、通気孔かはたまた明り取りか、そこから入り込む光の中に通路を塞ぐように立つ子どものようなシルエットが見える。確かにゴブリンのようだ。
ゴブリンたちはは二人の接近に気がつくと、数で勝っているからだろうか、いやらしくも余裕の笑みを浮かべ――
次の瞬間、泡を食ったように手にした獲物を放り捨て、回れ右して逃げ出した。
そこへベッキーとマルティナの二人が追いつき合流する。
奇しくも同じ脅威から逃げ惑う同士となった二人と六匹。
種族という垣根を越えた熱い友情がそこに芽生え――
「どけっ」
「邪魔ぁっ」
――る訳もなく、二人はそれぞれ邪魔なゴブリンを押し退け我先にと走り続ける。
その拍子にすっ転んだ二匹のゴブリンが、おそらく文句だろう口々に何かを叫んだが、次の瞬間には派手に潰れる湿った音とともに沈黙した。
否応なしに二人と四匹の足に拍車が掛かる。
だが二人のスタミナも無限ではない。加速してくる巨石に対し、こちらは徐々に速度が落ちてきていた。もはやこれまでかと諦めかけたその時、緩いカーブを曲がった先に自然のものと思しき明かりが見え――
――てはこなかった。そうそう都合よく出口は現れないという現実を突きつけられる二人と四匹。
ただその代わりに、終点の壁の手前にここからでは底が伺い知れない大きな穴が口を開けていた。
「死んだぁ!?」
悲観したマルティナが目の端に涙を浮かべて叫ぶ。
「一か八かだ、あの穴に飛び込めッ!」
ベッキーのその叫びに、マルティナとその他四匹が一斉に大穴へと身を投じる。そこに半拍遅れて、巨石が壁に衝突する耳を
「「あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁ――」」
人間は単独で空を飛べない。それは自明の理である。
そしてそれは翼を持たないゴブリンにしても一緒だ。
二人とその他四匹は、悲鳴を長くたなびかせながら、為す術無く大穴を落下していったのだった。
* * *
南アメリア大陸の東端に位置する港町『エスピリト』。
アメリア帝国において東の玄関口にあたる港町なのだが、その規模は意外に小さい。
北の航路は魔族領があるリタニア大陸に塞がれており、東には目と鼻の先にアフリマ大陸が、南の航路にはラティカ有するラティカ大陸と、アフリマ大陸の南端を迂回した先にセニア公国を有するセニア島があるにはあるが、セニア公国は小国故にあまり取引が無く、ラティカに至ってはそもそも国交すらない始末なため、規模を大きく拡大する必要性が無かったのである。
「う〜んっ。やっぱり陸上のほうが落ち着くな」
「だねぇ〜」
下船するなり二人して大きく背伸びをして、感触を確かめるように踵でコツコツと地面を叩く。
今度の船旅は五日ほどで、以前のユーシア大陸〜アフリマ大陸間に比べれば目と鼻の先とも言える距離だったが、自然と体が安定した地面を求めてしまうのは、地上に長く住まう者としての自然な摂理なのかも知れなかった。
「ここがエスピリトか……」
漁船からのお零れを狙っているのだろう、カモメとも、うみねこともつかないような海鳥が飛び交っている様を見るともなしに見やり、次いで周りを見渡してみる。
揺らめく
朝マズメを狙ってきたのだろう、欠伸をしながら竿を垂れる釣り人に、何でも無い風を装いつつも、釣った魚を掻っ攫おうと虎視眈々と待ち構える猫たち。
「…………」
何と言うか、ものすごく牧歌的な風景が広がっていた。とてもではないが北のインディス帝国との間で戦争状態にあるとは到底思えない。
不思議に思ったベッキーは、そこいらで暇そうにしていた衛兵の男を捕まえてその辺りのことを訊いてみた。
「インディス帝国と戦争中と聞いてたんだが、違うのか?」
するとその衛兵の男は、ああという顔つきになってこう言った。
「確かに北の方では戦争してるようだな。でも海戦が主な上にこの国は縦に長いから、この辺やもっと南の方なんかは平和そのものだよ。ま、上陸されたらあっという間に戦火がここまで広がるんだろうけどな」
「なるほどな。それならこの風景も頷ける」
とそこへ一匹の黒い毛並みをした猫が衛兵の足に擦り寄ってきた。衛兵の男は相好を崩してその場にしゃがみ込むと、猫の顎の下を人差し指で撫で始めた。
「そういうあんたらはアレか、黄金で一山当てようってところかい?」
「ん? 黄金がどうかしたのか?」
「何だ知らないのか。大陸の西端に南北に連なる山脈があるんだけどな、そこで金鉱脈が次々と見つかって、一攫千金を狙った採掘者が殺到してるんだ。聞いた話によると現地はお祭り騒ぎらしいぞ?」
「へぇ〜、そんなことになってるのか」
餌を貰えないと判断したのか、スッと離れていく黒猫。衛兵の男がそれを名残惜しそうに眺めながら言う。
「興味なしって顔だな」
「まったく興味がないと言ったら嘘になるが、オレたちは冒険者だからな。一攫千金を当てるなら、やっぱ迷宮か遺跡じゃないと張り合いがない」
「そういうもんかね。俺にはどっちも同じに見えるが……おお、そうだ! そういうことなら最近発見されたっていう遺跡に行ってみたらどうだ? 場所は冒険者ギルドで教えてくれるはずだ」
「そいつは丁度良かった。これから冒険者ギルドへ顔を出そうかと思ってたところだ」
とそこで、まるでタイミングを図っていたかのようにキュルルル〜とお腹の音が鳴った。音の発生源は言わずもがなマルティナだ。お腹を擦りながら切なそうにしている。
「その前にお肉が食べたいです!」
シュタッと片手を上げながらマルティナが希望を口にする。
「だそうだ。どこかおすすめの飯屋を知らないか?」
苦笑交じりに、試しに訊いてみる。
「それなら俺の行きつけの店を紹介するよ。
衛兵の男はそう言うと、丁寧にそこまでの道順を教えてくれた。なかなか面倒見の良い人柄のようだ。
ふとその時、ベッキーの脳裏に師匠の言葉が蘇る。
――猫好きに悪いやつはいないよ。
確かにそうかも知れないなと思う。
「気をつけて行ってこいよ」
「ああ。ありがとな」
「まったねぇ〜」
ベッキーとマルティナは、衛兵の男に礼を言うと港を後にしたのだった。