「「あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁ――」」
ベッキーとマルティナの悲鳴が竪穴に木霊する。
竪穴はベッキーが想定していた以上に深かく、
(あ、これは死んだかも)
ベッキーは半ば己の死を覚悟した。
このままどこまでも落ちていくかと思われたが、幸いなことに落下地点には山と積まれた干し草があり、それがクッション代わりとなったおかげで怪我一つ負うことは無かった。
そうでなくては、最悪死んでいたか、良くても複雑骨折は免れなかったであろう。竪穴はそれほどの深さがあった。
しかしこれは、同時に不幸なことでもあった。
何とそこは、ゴブリン共の巣窟だったのだから。
「無事かマルティナ!?」
そうとは気づかず、妹のマルティナの安否確認を最優先した結果、
――ボカッ
「――ガッ!?」
たまたま近くにいたゴブリンに、棍棒で後頭部を強かに殴られ気を失う羽目になってしまった。
そしてそれはマルティナも同じで、二人仲良く混濁した世界へと落ちていったのだった。
「――んっ」
誰かの声がする。
「――さんっ」
それはベッキーにとって掛け替えのない――
「姉さんっ!」
そうそれはマルティナの呼ぶ声だった。
「ハッ、ここは!? ってなんじゃこりゃぁ!」
その呼び声にハッとなって目を覚ます。そして自身の置かれた状況に思わずツッコミを入れていた。まるで豚の丸焼きのように、横に通した木の棒へ手足を括り付けられていたのだ。
しかも身ぐるみ剥がされて、今は下着だけというあられもない姿になっていた。
「良かった、気がついたんだね姉さん」
ここからでは角度的に見えないが、お尻の向こうからマルティナの安堵した声が聞こえてくる。
そのマルティナも、ベッキー同様に手足を横棒に括り付けられていた。
ベッキーは何とかこの拘束を解けないかと手足を動かす。
しかしきつく結ばれた縄は、そんな程度では到底解けそうになかった。
「クソッ、思ったよりも固いな。マルティナはどうだ?」
「さっきからやってるけど、なかなか解けそうにないよぉ」
そんな二人を遠巻きに眺める者たちがいる。人間の子どものような背丈、くすんだ緑色の肌に尖った耳――ゴブリンである。
ゴブリンたちは皆一様に、その醜悪な顔にニヤニヤとしたいやらしい笑みを浮かべている。まるで脱出できるものならやってみろ、とでも言っているかのようで、非常に腹が立つ。
「このっ、ゴブリンの分際で!」
縄が解けたら全員皆殺しにしてやる。絶対にだ!
憤怒に燃えながら、必死に手足を動かすベッキーとマルティナ。
しかし縄はなかなか解けそうにない。そこへゴブリンが両手いっぱいに何かを持って二人の下に近づいてきた。何事かとそちらを見てみれば、それは薪だった。
その薪を、せっせと二人の下に積み上げていくゴブリン。どうやら文字通り二人を丸焼きにしようとしているようだ。
「クソッ、冗談じゃねぇぜ!」
こんな奴らに食われて死ぬくらいなら、あのとき巨岩に潰されていた方が何倍もマシというものだった。
だが手足を拘束する縄は一向に解ける気配がない。頑張って上体を持ち上げ縄に噛みついてみるがびくともしない。使える魔術の中で現状を打破できそうなものがないか考える。焚き火の炎くらいならファイア・シールドで防げるだろうが、脱出の決め手にはならない。
いっそのことファイアボールで縄を焼いてみるかとも考えたが、縄と一緒に手足まで燃え尽きそうで、怖くて出来なかった。
そうこうしている内に薪を積み終わったゴブリンが、今度は火打ち石をカチカチやり始めた。
「〝и〟〝⁐〟〝♰〟」
ゴブリンに気付かれないように、小声でファイア・シールドの呪文を唱える。するとたちまち薄い半透明な膜に全身覆われるベッキーとマルティナ。これでしばらくは保つだろう。となれば、後はこの忌々しい縄を何とかするだけだ。
と、その時だった。一部のゴブリンが、何やら騒ぎ始めた。
初めはファイア・シールドの呪文を使ったことが気付かれたのかとヒヤヒヤしたが、どうやらそうではないらしい。ゴブリンの言葉は分からないが、何か揉めているようだった。
何事だろうかと、ふとそちらへ顔を向けたベッキーは、ゴブリン共が手にしている
ゴブリンたちが奪い合うようにしているものそれは、閃光手榴弾だったのだ。
「わっ、おい馬鹿止めろ! それはおもちゃじゃねぇんだぞ!」
思わず叫んでしまったが、そもそも人間の言葉がゴブリンに通じるはずもなく、閃光手榴弾を巡っての争いは、ますます激化していった。
「マルティナ、絶対に右は見るなよ!」
そして、事情を察したマルティナが返事をするのと、コブリン共の手の中で閃光手榴弾が炸裂するのはほぼ同時だった。
バンッという炸裂音とともに、文字通り目も眩むようなまばゆい閃光が迸る。
閃光はともかく、音の影響は受けるだろうと覚悟していたベッキーだったが、幸いなことに、よってたかっていた何匹ものゴブリンが肉壁となってくれたお陰で事なきを得た。
それどころか、閃光手榴弾の影響でふらついた何匹かのゴブリンが、ベッキーたちを燃やしていた焚き火に突っ込む形でぶっ倒れたお陰で、二人を吊るしていた木枠が倒れ、ベッキーとマルティナは半ば放り出されるように地面に落下した。
バタバタと倒れる仲間たちに、動揺するゴブリンたち。そこへ追い打ちをかけるように、一つ、また一つと閃光手榴弾が炸裂する。
大混乱となったゴブリン共を尻目に、ベッキーとマルティナは倒れた拍子にようやく緩んだ手の縄を歯で解くと、今度は自由になった両手で足の縄を解く。
「ふ〜、やっと自由になれたぜ――っと危ね!」
縄の痕を擦っていたところに、閃光手榴弾の影響を受けなかったのだろう一匹のゴブリンが棍棒で殴りかかってきた。それを
とそこへ背後から、
「しゃがんで!」
とマルティナの声が飛び、ベッキーは咄嗟にその場にしゃがみ込んだ。
そこへシュッとマルティナの鋭い蹴りがベッキーの頭上を通り過ぎ、二撃目を放とうとしていたゴブリンの鼻っ面にクリーンヒットした。マルティナは鼻血を吹き出しながら昏倒するゴブリンの棍棒を拾い上げると、そのゴブリンの頭を潰しとどめを刺した。
ベッキーは、他の装備は――と素早く周りを見渡す。すると壁際の木箱の中から自分たちの衣服が飛び出していることに気がついた。しかもその木箱の前に、黒剣が無造作に転がっている。
「マルティナ、壁際の木箱だ! そこに剣がある」
その言葉に、マルティナは襲い来るゴブリンを棍棒でなぎ倒しながら黒剣のもとへと駆け出した。そして黒剣を拾い上げると、一足飛びでベッキーのもとへと戻るなり、次々と襲い来るゴブリン共の首を刎ねて回った。
そこからはもう、ゴブリン共にとって阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
「姉さんを縛っていいのはアタシだけだッ!」
「いや、お前もダメだよ!?」
マルティナはベッキーのツッコミなどお構いなしに、襲い来る者、逃げ惑う者を一切問わず、血祭りに上げていった。
そして、ものの数分で辺りは静寂に包まれる。動いているのは二人だけ。もちろんベッキーとマルティナである。
「ったく後頭部が痛いと思ったら、たんこぶ出来てるじゃねぇかっ」
後頭部を擦りながら毒づき、八つ当たりとばかりに足元に転がっていたゴブリンの生首を蹴り飛ばした。
「忘れもんはねぇな?」
身ぐるみ剥がされた装備やアイテムを取り戻し、装備し直したベッキーとマルティナ。
「は〜い。むしろ所持金が増えてホックホクだよぉ」
逆にゴブリン共が溜め込んでいたお宝を頂戴して、ニンマリご満悦なのであった。
「さて、んじゃ帰るとするか」
ここが遺跡のどの辺りにあたるのか知らないが、まぁゴブリンが出入りしていたくらいだ、どこからか外に通じてはいるんだろう。
「ほ〜い」
マルティナの元気な返事を合図に、二人は出口を求めて彷徨うのであった。