静まり返った室内に、キーボードの打鍵音が軽快に響いている。
「マルティナの元気な返事を合図に、二人は出口を求めて彷徨うのであった。――と」
そこまで書き上げて、誠士郎はキーボードを操る手を止めると、ふ〜と軽く息をつく。
ノートパソコンの右下に表示された時間に目をやると、『4:38』となっていた。
「もうこんな時間か……」
呟くように独り言ちて、う〜んと背伸びをする。
そこへ、背後からスッと音もなく、誠士郎の首に抱きつく白い腕があった。ふわっと砂糖菓子のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「何じゃまだ起きておったのかや?」
そして鼻に掛かったような甘ったるい声で、耳元に囁いてくる。
「ごめんアーシャ。起こしちゃったかな?」
誠士郎は気持ち振り返ると、背後に向かってそう謝った。
するとアーシャは逆に頬をぷくぅと膨らませると、抱きつく腕に力を込めた。
「苦しいよアーシャ」
本当に苦しいわけではないが、その腕をタップしてみる。彼女はよく寝る。その安眠を邪魔してしまったのだから怒って当然だ。誠士郎がそんな風に考えていると、
「まったく、最近のお主は可愛気が無い!」
とアーシャは不満を漏らし、更にこう続けた。
「こんなにもお主の理想のおっぱいを押し付けておるというのに、最近はまったく反応せんではないか! あの、ちょっと耳元で囁いただけでも顔を真赤にして狼狽えていた
どうやら安眠を邪魔されたことで怒っているわけでは無いらしい。というか耳元で叫ぶの止めてもらっていいですか?
「どこに行ったも何も、僕達は出会ってから半年近く経つんだよ? しかもその間に同じことを何度も繰り返さされば、そりゃ免疫もできるってもんさ」
ようは慣れである。
しかしアーシャは、どこをどう解釈したのか、目に涙を浮かべてこう言った。
「わっちの体には飽きたというのかや!?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。それにそもそもそういう関係じゃないだろ」
ご近所に聞かれたら変な噂を立てられかねないじゃないか。
「ま、そうれもそうじゃな」
そう言うとあっさりと離れていくアーシャ。くそ、やっぱり嘘泣きだったか。
「まったく……あ、そうだ。ずっと疑問に思ってたことがあるんだけどさ」
「何じゃ?」
「一度発動した
特に気になるのがローリング・ストーンだ。あの巨石を再度元の場所に仕掛け直すには、相当な労力とと手間が必要だろう。これまで異世界のいろいろな話を聞かせてもらってきたが、そういった舞台裏的なところは正直な話、知らないことのほうが圧倒的に多い。
「ふあぁ……そう言えば話したことはありんせんな」
誠士郎の疑問に、アーシャは欠伸混じりにそう前置くと、言葉を続ける。
「あれらは全部、迷宮や遺跡の
「でもあの世界の魔力って汚染されてるから、まともに働かないんじゃなかったっけ?」
「そうでありんすな。しかしそれは人族を初めとしたあの世界に生きる者たちに限った話なんじゃ」
「そうだったの?」
「そうでありんす。現に転送装置は魔力で正常に動いておったじゃろ?」
そう言われて過去に聞いた話を、頭の中で振り返ってみる。そういえば確かに、正常に動いていたなぁと思い至った。けれど、何と言うかそれって……
「……確かに正常に動いてたけど、何だかご都合主義的な何かを感じるな」
「クフッ。確かにお主の言う通りじゃな」
誠士郎の素直な一言がよほど面白かったのだろう、アーシャはクククッと腹を抱えて笑った。
「迷宮や遺跡というものは、魔族や人の手で造られたものがほとんどじゃからのぉ。正直な話、わっちもそのすべてを把握しておるわけではありんせんのじゃ」
「なるほどなぁ……」
「訊きたいのはそれだけかや?」
ああ。と答えると、アーシャはもう一度寝直すと言ってベッドに潜り込んでいった。
それを見送りながら、ふと思う。
ベッキーたちはその辺りのことをどう考えているんだろうか?
アーシャに訊いてみようかと思ったが、既に寝息を立て始めていた。二度も起こすのは流石に可愛そうだと感じた誠士郎は、そっとノートパソコンを閉じると、日課のランニングの準備を始めたのだった。