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第1話

 皮膚を切りつけるような鋭い風が吹いてくる。私は冷たい水で冷え切った指先に息を吐いた。一瞬、温まったような気がしたけれど、指先はすぐに氷のようになり、真っ赤に染まった。


「冬の洗濯はきついな……」


 私は思わず、そう呟く。


 洗濯物の山は、あと半分ほど残っている。やはり、御屋敷に住む人間全員の着物を洗濯するとなると、どうしても量が多くなるものだ。本来なら、三人以上でやる仕事だけど、他の奉公人が私を手伝ってくれることなどない。


「瀬羅。まだ洗濯が終わってないの?」


 桶を前にしゃがみ込む私の頭上から、冷たい声が降ってくる。顔を上げると、不機嫌そうな表情をした文子ふみこが立っていた。文子は奉公人の中で一番年上だ。だからなのか、彼女は奉公人たちを束ねる存在となっている。文子は面倒見が良い性格で、慕っている奉公人は多い。そんな彼女ですら、いつも私にだけきつく当たる。それはきっと、私が普通じゃないからだ。でも、今更何も思わない。嫌われるのには、すっかり慣れてしまっている。私は文子の尖った視線を無視し、洗濯を再開した。


 文子は深く溜息を吐いた。彼女の口から漏れた息が、白く揺らいで冬空に溶けていく。


(魂が抜けているみたい)


 私はそう思って、文子の顔をぼんやりと見つめた。文子はそれが気に食わなかったのだろう。私を睨みながら、私にこう言った。


「なんて気持ち悪い子なの。やっぱり、〝災いの子〟は何を考えているかわからないわ。さっさと病気にでもなって死んでしまえばいいのに!」


 〝災いの子〟――。もう数えきれないくらい投げかけられてきたその言葉に、未だにきゅっと心臓が縮む。

 ――私は、存在しているだけで周囲を不安にさせる。


******


 私の母、みやびは名家である桜小路さくらこうじ家の末娘として生まれた。両親から蝶よ花よと育てられた母は、おっとりとしていて純粋な心を持つ少女だったという。


 やがて母は両親が薦める相手と結婚し、実家を出た。夫となった男性は桜小路家と同等の名家の長男で、名前を来栖くるすあまねという。美しかった母に心を奪われた周は、大層母を溺愛したらしい。


「周さまと雅さまは、この村一番のおしどり夫婦ね」


 近所でもそう囁かれるほど、二人は仲が良く、笑顔の絶えない家庭を築いていたそうだ。


 夫から愛され、何不自由ない暮らしを送れる。そんな母を周囲の誰もが羨み、一方で祝福していた。


「こんな日々が、ずっと続きますように」


 当時、母は毎日のようにそう口にしていたという。


 でも――母の人生は、私を産んだことで一変してしまう。


 十六年前の初夏。


 庭に朝顔が咲き誇る時間に、母は産気づいた。この年の夏は比較的涼しかったが、母の額には玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。


「雅、頑張るんだ」


 周は優しく母の手を握る。母はこの時握られた手が、とても力強いものに思えた。初めの陣痛が来てから、どんどん時が過ぎていき、気が付けば空が赤く染まり始めていたという。


 母の疲労が限界まで高まりつつあったその時。


「あ、あぁ……!」


 母の叫び声とともに、私はこの世に生まれ落ちた。長い出産に立ち会った使用人たちも疲れと安心感から、思わず涙を流す。部屋は感動的な空気でいっぱいになる。そんな尊い時間を崩壊させたのは、周の声だった。


「なんだ? この赤ん坊は……!」


 私を一目見るなり、周は烈火のごとく怒りだし、母のことを責め立てた。

 私が――白い髪に、赤い瞳の奇妙な見た目をしていたから。


「こんな不気味な見た目の赤ん坊は、私の子ではない! 雅、どういうことだ! どこの男と不貞をはたらいた!?」

「信じてください、周さま。その子は私と周さまの子です。神に誓って本当です……!」


 母は必死になって自らの潔白を訴えたが、周も義両親も、友人でさえ信じてはくれなかった。無理もない。白髪で赤目の赤子なんて、今まで誰も目にしたことがなかったのだから。


 結局、母は周に離縁を言い渡され、来栖家を出ることになった。行き場のない母は、私を連れて、実家である桜小路家に戻ったのだった。


(大丈夫。お父さまとお母さまなら、この子……瀬羅も受け入れてくれる)


 母はそう信じて、桜小路家の門を潜った。しかし、母に待ち受けていたのは実の両親からの叱責だった。


「雅、お前はとんでもないことをしでかした!」

「あんな子を産むなんて……私たちの娘とは思えないわ」


 両親の言葉に、母の心は崩壊しかけた。それでも、母は両親に土下座をしたのだという。


「私のことは、赤の他人と思っていただいて構いません。だからどうか……どうか、私と瀬羅をこの屋敷に置いてください! 何でもします。お給金もいりません。ただ、ここに住み込みで働かせてください!」

「うるさい! 出ていけ!」


 額を地面にこすりつけ、屋敷に置いてほしいと懇願する母を、母の父は何度も何度も蹴り上げたらしい。それでも、母は諦めなかった。


(私一人なら、どこに行っても生きていける。でも、瀬羅は……瀬羅だけは、守らないといけない!)


 母はその思いだけで、頭を下げ続けた。母の両親も根負けし、家族の縁を切ることを条件に母を桜小路家で住み込みの女中として雇うことにしたのだった。


 それから、母と私は桜小路家の離れでひっそりと暮らし続けた。


 ――災いの親子。


 そう、村中から蔑まれながら。


******


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