「シモン、最近サボってないか? いくら仕事に慣れてきたからって、それはよくないぞ」
カルロスさんが腕を組みながら、じろりとこちらを睨む。その目は、まるで見逃しのない監査官のように鋭い。普段から冗談を飛ばす人だけど、こういうときだけは真顔になるのが、上司としての矜持なのだろう。
「そんなことありません! むしろ暇で困ってるくらいです。何か仕事くださいよ」
ちょっと張り切って言い返したのは、自分でもわかっていた。けど、ただダンジョン報告書をまとめるだけの日々に飽きが来ていたのも事実だ。もう少し、自分の力を試してみたい。
「よーし、分かった。じゃあ、エミリーの手伝いをしてこい。モンスター管理課の一員として、どうやって育成されてるかをこの目で見てこい。実地研修ってやつだ。な、エミリー?」
「ちょっと、勝手に話を進めないでよ……まあ、いいわ。シモン、ついてきなさい」
渋々といった様子で席を立つエミリーさんだったが、その背筋は伸び、足取りも力強い。背中越しに見えるその姿は、まさにプロフェッショナルそのものだった。
「ここが、モンスターを教育する場所よ」
案内されたのは、想像していた以上に広い施設だった。複数の区画に仕切られたスペースが並び、その中では色とりどりのモンスターたちが活動している。
スライムがぷるぷる跳ねていたり、オークが汗を滴らせながら腕立て伏せをしていたり。見渡す限り“育成”の光景で満ちていて、なんだか部活の合宿所に来たような気分になってくる。
「本当に教育してるんですね……」
思わず漏れた言葉に、エミリーさんはドヤ顔でうなずいた。
「もちろん。野生じゃないモンスターをダンジョンに投入するには、ある程度の“社会性”が必要なのよ。最近はオークにマナーも教えてるし」
「マナー……ですか……」
ナイフとフォークを持って食事するオークの姿が脳裏をよぎった。あまり見たくはない光景だった。
「さて、今日の仕事だけど……実はモンスターの育成が少し追いついてないの。特にクラーケンがね」
ああ、そういえば聞いたことがある。先週追加されたばかりの海中ダンジョンに、配置するモンスターが不足しているとか。
「ここにモンスターの作り方マニュアルがあるから、それを見てやってみて。カルロスからは『シモンは新米卒業』って聞いてるし、大丈夫でしょ?」
そのマニュアルは分厚く、まるで呪文書のようだった。表紙には《召喚・育成ガイド:上級編》と書かれている。
「もちろんです! でも、念のため最初だけ一緒にやってもらえると安心です」
「……しょうがないわね。じゃあ一体だけ、手本を見せてあげる」
ぶっきらぼうな口調のわりに、ちゃんと手を貸してくれる。こういうところがエミリーさんのいいところだと思う。
――数十分後。
「なんだ、意外と簡単じゃないか……」
クラーケンの素材を調合して、魔力で形を整え、最後に生命の気を吹き込む。マニュアルは読みづらい部分もあったけれど、一度コツを掴んでしまえば、流れるように作業できた。
目の前のクラーケンは、ぐにゃっとした足をぱたぱたと動かし、まるで「よろしくね」とでも言うように振り返ってくる。ちょっと愛着が湧いてしまいそうだ。エミリーさんの気持ちが分かる。
「どう? 順調かしら?」
エミリーさんがちょうどのタイミングで戻ってきた。冷静沈着なその目が、僕の作業台に走らせた視線だけで、状況を把握していく。
「ええ、もちろんです。すでに数匹、ダンジョンに投入しました」
自信たっぷりに報告すると、彼女の口元にうっすら笑みが浮かぶ。その瞬間だけ、少し褒められたような気がして、気持ちがほころんだ。
「ただ、一つだけ確認させてください。クラーケンの足って……十本でしたよね?」
無邪気に訊いたその言葉が、地雷だったことに気づいたのは、数秒後だった。
「クラーケンの足は八本よ!」
ピシッという音が、空気を裂いた気がした。エミリーさんの眉間にしわが寄り、あの優しい微笑みが霧散していく。
やってしまった、という自覚が、背筋を冷たく貫いていった。
「まさか……」
彼女の顔が真っ青になっていく。血の気が引くとはこういうことか、と教科書に載せたいレベルの表情だった。
「ま、まあ、いいんじゃないですか? 足が二本多いってことは、それだけ強くなってるってことで……経験値、増えますよね?」
なんとか空気を和らげようとしたが、完全に裏目に出た。
「そんな理屈あるか!」
分厚い本が飛んできた。反射的に頭を傾けて避ける。訓練の賜物だ。
「カルロスも大変ね……。シモン、もう元の仕事に戻ってくれる?」
「でも、せっかくなので提案です! 十本足のクラーケンは、発見したら報酬が出るってルールにしません? そうすれば、冒険者たちも喜んで探してくれますし」
賭けに出た。どうせ怒られるなら、前向きな提案で乗り切るしかない。
「じゃあ、あなたが探してきなさい! 報酬も手に入って、一石二鳥じゃない!」
また別の本が飛んできた。今度は避けきれず、額に命中。鈍い音がして、世界が少しだけぐらつく。
でも、その直後に聞こえた彼女の言葉には、ほんのりと笑いがにじんでいた。
「もし、生きて戻れたら……そのときは少しは認めてあげるわ」
声の調子もどこか柔らかかった。
……気のせいじゃないと、いいんだけどな。