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第8話 嘘つき冒険者現る

 今日は出張の二日目。ギルドの受付では間違いなく厄介ごとが待ち受けている。そう思うと、朝から胃が重たい。昨晩は緊張のあまり、布団の中で何度も寝返りを打った。結局、一睡もできずに朝を迎えてしまった。


「おい、シモン。そんな顔してたら、ジャスミンから叱られるぞ!」


 食堂に向かう途中、声をかけてきたのはカルロスさんだった。いつも通りの快活な声だ。


「あ、カルロスさん。おはようございます」


 宿舎でこうして顔を合わせてると、あらためて「出張」という言葉の不自然さを感じる。毎朝会ってるのに、これで出張とは。


「今日は覚悟しとけよ。俺だって、ギルド受付での研修には手こずったからな」


 カルロスさんが……手こずった? あのカルロスさんが? その一言が、僕の不安に火を注いだ。苦戦する姿なんて想像できない人が、苦戦した場所で、僕が働く……。嫌な予感しかしない。


「まあ、今日で出張も終わりだ。俺は鬼の再配置に向けてエミリーと打ち合わせだ。お互い、頑張ろうぜ」


 肩を軽く叩かれて、少しだけ気が楽になる。よし、逃げられないなら腹を括るしかない。





「さて、今日は受付で働いてもらいます。武器屋とは勝手が違いますから、気をつけてくださいね」


 ジャスミンさんは笑顔だったが、その言葉の裏には妙な圧があった。たぶん、彼女なりの「応援」のつもりなのだろう。


 今回は、ミッションの管理が主な仕事らしい。冒険者に依頼を出し、成果を確認し、報酬を渡す。それをこなすことで、どんなモンスターが討伐されているか、現場の実態が見えてくるはず。きっと今後のモンスター配置にも役立つ情報が得られるだろう。


「あ、冒険者が来ましたよ。ファイトです!」


 ジャスミンさんの明るい声に背中を押され、カウンターへと立つ。レクチャーはないらしい。まあ、現場で覚えろってことか。いいところを見せるチャンスでもある。


「おい、小僧。ミッションを達成した。報酬をよこせ!」


 開口一番、それだった。カウンターをガツン、と叩いてきた男は、外見こそ穏やかな印象だったが、その態度は完全に威圧的だ。ギャップがすごい。いや、これが本来の姿か。モンスターと日々命をかけて戦っているのだから、当然といえば当然か。


「はい、もちろんです。今回はどのミッションをクリアしましたか?」


「鬼の討伐だ。ほら、これがその証明だ」


 男が差し出してきたのは、一枚の写真。そこに映っていたのは、――ゴブリンだった。しかも、よく見ると昨日僕が売っていた短剣と同じ革を巻いた個体だ。いや、これはどう見ても鬼じゃない。


「あのー、これはゴブリンです。ですから、報酬はゴブリン討伐の金額になります」


「はあ? どう見ても鬼だろ! お前、報酬を下げる気だな!」


 声を荒げ、こちらに詰め寄ってくる男。どう見ても無理筋なのに、押し切ろうとしている。まるで、力ずくで事実を書き換えようとしているようだった。


 ちらりとジャスミンさんの方を見ると、「ね、厄介でしょ?」という顔をしている。なるほど、これか……カルロスさんが「手こずった」というのは。


 さて、どうするか。この場を収める策はないか。


「おい、いつまで黙ってるんだ。さっさと報酬をよこせ!」


 机を叩き、怒号が飛ぶ。こういう相手には、正論だけでは通じない。少しでも冷静になってもらうために、まずは時間を稼がなければ。


「分かりました。金庫にお金を取りに行きますね」


 ――金庫なんて存在しない。でも、この場を離れる言い訳としては悪くない。奥に下がるふりをしながら、必死で頭を回転させる。


 落ち着け。今、カルロスさんが何て言ってた? そうだ。「鬼の再配置を考えている」って……つまり、今はダンジョンに鬼がいない!


 これだ――!


「報酬を渡すことはできません」


「はあ? 今なんて言った!」


 男の目が一気に鋭くなる。けれど、ここは引かない。


「報酬は渡せません。今、鬼はダンジョンに配置されていません」


 それは事実。討伐対象が存在しないのだから、その証明もまた、成立しない。


「な、なんだと……」


 冒険者の顔色が変わった。まさかそんな理由で拒否されるとは思っていなかったのだろう。そもそも、鬼が不在であることを知る術は、モンスター管理課にいない限り分からない。


「こちらがゴブリン討伐の報酬です。次のミッションでの活躍を期待しています」


 僕は平静を装いながら、適正な金額を手渡した。男は悔しそうな顔をしながらも、何も言えずに去っていった。





「お、シモン。出張も終わったな。どうだった、ギルドの受付は」


 宿舎に戻ると、カルロスさんが出迎えてくれた。変わらない笑顔。だが、今ならその笑顔の裏にある苦労が、少しだけ分かる気がした。


「かなり難しかったです。そうだ、ミッションが増えるかもしれませんよ?」


「どういうことだ? モンスターは増えてないはずだが」


 カルロスさんは眉をひそめ、首を傾げる。


「新種を見つけたんですよ。『人間』というモンスターを。『ギルドの受付で退治したらクリア』っていう、ミッションが追加されると思いますよ。それも、高報酬で」


 皮肉めいた冗談を口にした僕を見て、カルロスさんは一瞬だけ目を見開き――次の瞬間、声を上げて笑った。


「ははっ、そりゃ確かに最凶のモンスターだな!」


 僕もつられて笑った。たった二日間の出張だったけど、得たものは想像以上に大きかった気がする。冒険者も、モンスターも、そして――人間も、簡単には分類できない。それを知っただけでも、充分な成果だ。

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