「シモン、ケルベロスは知ってるよな」
カルロスさんが、いつもの低い声で僕に問いかけた。
「カルロスさん、バカにしてませんか? いくら僕が新米でも、それくらい分かりますよ」
モンスター管理課に所属している以上、ケルベロスの名前くらい知らないはずがない。まあ、少し前にクラーケンの足を十本にしてしまったのは事実だけど、それとこれとは別だ。
「すまないが、エミリーのところに行ってくれ。問題発生らしい」
カルロスさんの顔には、いつものように感情が読み取りづらい。だが、口調のわずかな硬さに、少しだけ面倒ごとから逃げているような雰囲気がにじんでいた。
「えーと、具体的には?」
僕が尋ねると、カルロスさんは短く答えた。
「行けば分かる。ケルベロスに関する問題だ」
嫌な予感しかしない。案の定、エミリーさんの部屋では――
「へー、カルロスは逃げたわけね」
エミリーさんは肘をついたまま、皮肉な笑みを浮かべていた。彼女の机の上には、散乱した報告書と図面が広がっている。嫌な予感が、背中をぞわぞわと這い上がってくる。
やっぱりだ。また面倒な問題を押し付けられた。あの人、時々こうやって“判断を後回しにする”スキルを使ってくる。
「まあ、いいわ。シモン、当然だけどケルベロスは分かるわよね?」
「もちろんです!」
エミリーさんの視線は冷たい。どうも最近、僕は信用されていない気がする。
「じゃあ、彼らが三つの頭を持っているのも知ってるわね。さて、本題よ」
彼女は机に広げた図面を指さす。それは第一層、ケルベロスの配置エリアのものだった。
「普段、ケルベロスは交互に寝るの。つまり、二つの頭が起きていて、もう一つが眠るって感じ。でも、琴の音色を聴かせると三つとも眠るわ」
「そうですね」と、僕はうなずいた。これは基礎知識だ。
「でも最近は、琴の音がなくても三つの頭が一斉に眠るのよ」
え? そんなことがあるのか。冒険者にとっては有利になってしまうじゃないか。警戒が緩んだケルベロスなんて、ただの大型犬みたいなものだ。
「彼らは『誰が先に寝るか』で争いだしたのよ」
エミリーさんの言葉に、僕は眉をひそめた。そんなことで?
「でも、今まではそんな事はなかったはずでは……?」
「ええ、そう。でもね、琴を忘れた冒険者がこう言ったらしいのよ。『お前たち、不満はないのか』って」
「不満? でも、それと『誰が先に寝るか』が結びつかないんですが」
まるで意味が分からなかった。頭をひねっていると、エミリーさんが説明を続けた。
「その冒険者は『二つが寝ている間に、一つが見張ればいい』と入れ知恵したのよ」
ああ……少しずつ状況が見えてきた。確かにその理屈は合理的だけれど、問題もある。
「つまり、今まで通りの順番で寝ると不公平になるってことですね。誰かが二回見張る羽目になるから」
「そうよ。だからみんな、損したくないから先に寝ようとするの。結果、三つとも眠ってしまう」
エミリーさんはため息をついた。モンスターの心理って、時に人間よりも複雑だ。
このままではまずい。彼らが一斉に眠ってしまえば、ダンジョンのバランスが崩れる。簡単に先に進まれてしまうからだ。
「では、こうしてはどうでしょうか。ケルベロスの隣にマンドレイクを配置するんです。彼らは騒ぐのが得意ですから、ケルベロスも眠らないはずです!」
我ながら、かなり冴えた案だと思った。マンドレイクの悲鳴で眠気も吹き飛ぶはず。
「いい提案だと褒めたいけれど、問題があるわ。彼らは引き抜かれた時だけ叫ぶのよ……」
そういえば、そうだった。まさかの“条件付きパニックメーカー”だったとは。うかつだった。
「じゃあ、これはどうですか? 一回、彼らを配置から外します。その上で、もとの寝方に戻るように教育しなおす」
やや強引だが、立て直すにはこれしかないと思った。だが――
「それじゃあ、私の仕事が増えるだけじゃない! それに、その間は誰が次の階層への入り口を守るのよ」
怒り気味のエミリーさんに、僕はひとつの案を口にした。
「ゴーレムです」
「ゴーレム?」
エミリーさんの眉がピクリと動いた。すでに何案か失敗しているだけに、期待と警戒がないまぜになったような反応だった。
「ええ。彼らは自然に巨大化します。入り口を塞ぐのに最適です。それに――」
「それに?」
「ゴーレムも喜びますよ。『立っているだけでいいから楽だ』って」
思わず苦笑いがこぼれた。あの鈍重な巨体で、のんびりと楽している姿が目に浮かぶ。
エミリーさんも少しだけ口元を緩めた。
「……まあ、悪くないわね。シモン、たまには役に立つじゃない」
“たまには”が余計だったけど、とりあえず一件落着だ。