「シモン、朗報だ。かなりの資金がうちに投入されることになった」
カルロスさんは、珍しく少しだけ笑っていた。けれど、それは口角がわずかに動いた程度で、相変わらずの仏頂面だ。
「カルロスさん、どういうことですか? だって、うちの予算は少ないはずです。悲しいですが……」
僕たちがどれだけ必死にモンスターを育てても、現実は変わらない。給料は安いし、予算も雀の涙。ダンジョンの安全を支えているのは僕たちなのに、報われることは少ない。
「それが、ある大富豪が遺言を残したんだ。『自分の遺産は、若者のために使ってほしい』と」
大富豪が亡くなって、その遺産が回ってくる。どこか複雑な話だった。悲しい知らせのはずなのに、僕たちは資金という現実的な恩恵を受ける。浮かれるのも申し訳ない気がする。
「じゃあ、モンスター教育に回しましょう。ドラゴンが育成不足だったはずです」
少しでも意味ある使い方をしなければ、と思った。でも――
「そうはいかないんだ。大富豪の言う『若者』というのは冒険者を指している。だから、モンスターがいなくちゃ困るってことで、うちにも資金が投入されるんだ」
やはり、直接的に恩恵を受けるわけではないようだ。
「ということは、つまり『かなりの資金』というのは、あくまでうちの基準ということですか?」
カルロスさんが、静かにうなずいた。わずかな資金とはいえ、使い道を間違えればすぐに尽きる。それでも、何もないよりはずっといい。
「そして、これで話は終わらない。ギルド側、つまりジャスミンは『新米冒険者応援キャンペーン』を展開するらしい。エミリー、俺の言いたいことは分かるな?」
エミリーさんは読んでいた本を閉じ、やれやれといった様子で視線をこちらに向けた。
「第一層に冒険者が増える。つまり、ゴブリン不足の可能性が出てくるわね」
言葉を口にするその瞬間、皆の顔が険しくなった。
「あのー、ゴブリンが討伐され過ぎると、ギルドにも報酬問題が浮上するのでは? つまり、報酬を出せなくなって、すぐにキャンペーンが終わる可能性は……?」
「そう願いたいが、何とも言えん」
カルロスさんの顔には疲労と苛立ちが滲んでいた。もはや誰もが、この先に待ち構える問題を予感していた。
ゴブリンの育成に注力すれば、今度は他の層のモンスターが足りなくなる。第三層の突破が容易になれば、それもまた問題だ。バランスが崩れる。全体が歪む。
「まずは、様子見をするしかないわね。急ピッチでゴブリンを教育するわ」
エミリーさんの目は、いつになく真剣だった。だが、その声にはどこか不安が混じっていた。
「結局、ゴブリン不足に陥ったわね……」
その後数日、僕たちは全力で育成に励んだ。それでも間に合わなかった。
「このままじゃ、私たちが潰れる未来が見えるわ」
ギルドの要望と現場の現実。その狭間に僕たちは押し潰されそうになっていた。
「俺ら、睡眠不足で痩せてきたな。このままじゃ、骨だけになるかもな」
カルロスさんの冗談とも本気ともつかない一言に、誰も笑えなかった。けれど――その言葉が僕の脳裏にひとつの光を灯した。
骨。つまり、スケルトン。
「提案なんですが、スケルトンを第一層に配置してはいかがでしょうか。彼らは簡単には討伐されません。バラバラになっても、すぐに復活しますから」
少し酷な策かもしれないが、このまま全滅するよりはマシだ。僕たちが潰れれば、冒険者だって安全にダンジョンを歩けなくなる。
「よし、それでいこう! 作戦がうまくいけば、ギルド側も諦めるだろうさ」
カルロスさんの声に、かすかに希望が混じっていた。
「スケルトンを配置なんて、新米には厳しいですよ? 少しはギルドの立場も考えてください」
ジャスミンさんが珍しく強めの口調で言った。いつも穏やかな彼女が、ここまで怒るのは珍しい。
「どっちも立てるとなると、なかなか難しいぞ?」
カルロスさんも言い返すことができず、腕を組んで唸るばかりだった。
「えーと、新米冒険者も楽しくなるようなキャンペーンをすればいいんですよね? スタンプラリーなんてどうでしょうか?」
場に沈黙が広がった。だが、数秒後にはその沈黙がぱっと弾ける。
「スタンプラリー?」
エミリーさんが首をかしげる。
「そうです。スタンプラリーで、ゴブリン、スケルトン……みたいにモンスター一種類討伐につき一ポイント。これなら、討伐数の偏りを防げるのでは?」
自分でもいい案だと思った。シンプルだけど効果的。全てのモンスターに平等な出番があり、冒険者にも楽しみがある。
「なるほど、それは名案だ! ジャスミン、どう思う?」
カルロスさんがすぐさま反応した。
「うん、いいと思う。じゃあ、考えましょう。どんなモンスターを配置するか」
ジャスミンさんは、にこにこと嬉しそうにノートを取り出す。どう見ても、もう完全にモンスター管理課の人間だ。
その光景を見ながら、僕はふと思った。
あの大富豪が空の上から、今の僕たちを見ていたらどう思うだろうか。
きっと、笑ってくれる気がする。ちょっとだけ、誇らしく。
「あなたの遺したこの資金で、僕たちは新しい未来を作ります。どうか、空の上で見ていてください」
僕は静かに、けれど確かな気持ちで、そう呟いた。