「さっき、『トラップ設置課』から苦情が入った」
カルロスさんの声が、いつになく重たい。僕は反射的に背筋を伸ばす。
今度は別の部署か。ここ最近、部署同士の摩擦がやけに目立つ。まさかとは思うが、「ダンジョン運営部」の内部抗争って、もしかしてモンスター同士の争いよりも恐ろしいんじゃないだろうか……?
「カルロスさん、どんな苦情ですか?」
慎重に尋ねると、カルロスさんは眉間にしわを寄せながら資料を指でとんとんと叩いた。
「それがだな……。どうやら最近ゴブリンがトラップにひっかかる事故が多発しているらしい」
「ゴブリンが……トラップにですか?」
一瞬、言葉を失った。
ゴブリンといえば、一層目の常連で、初心者冒険者向けの配置モンスターだ。だからといって、彼らの知能が著しく低いというわけではない。むしろ、個体によっては器用に罠を避けるものだっている。
それなのに事故が多発しているとは、どうにも腑に落ちない。
「エミリーさんの教育ミス……って線はないですよね?」
自分で言っておきながら、すぐに打ち消す。あの人が手を抜くとは思えない。むしろ、モンスターにとっては母のような存在だ。
「『百聞は一見に如かず』と言いますから、現地に行きましょう」
立ち上がりながら、僕はリュックにダンジョン一層目の地図を詰め込む。あとは食料と飲み物、それから――。
「シモン、お前ダンジョンに行く気か? エミリーが一緒じゃなきゃ、襲われるのが目に見えている。彼女が戻るまで待機だ」
カルロスさんの声が、思ったよりも真剣だった。
……確かにその通りだ。僕たちは“管理側”とはいえ、ダンジョン内に一歩足を踏み入れれば、冒険者と変わらない。ただの「侵入者」に過ぎないのだから。
「エミリーが帰ってくるのは夕方だ。暗い中ダンジョンを歩くわけにいかないから、調査は明日だな」
そう言って、カルロスさんは机に肘をついて目を閉じる。静かに、でも確実に疲労が滲んでいた。
「へえ、なるほどね。それ、当り前よ」
次の日、エミリーさんの返答はあまりにもあっけらかんとしていた。どこか他人事のようにも聞こえる。
「え……? どういうことですか?」
彼女は呆れたように小さくため息をつき、ズボンの裾を持ち上げる。そこには、ド派手な青あざがくっきりと残っていた。
うわ、見るからに痛々しい。反射的に眉をひそめてしまう。
「もしかして、ゴブリンたちが……?」
僕が恐る恐る尋ねると、エミリーさんはキッと睨み返してきた。
「ちょっと、そんなわけないでしょ! これは、トラップにひっかかってできた傷よ。あの罠、巧妙すぎて見破るの無理よ」
その言葉に、僕は目を瞬かせた。あのエミリーさんが、見破れないほど巧妙な罠……。
「ってことは、ゴブリンが賢くても引っかかるのは当たり前だな。こりゃ、向こうの難易度調整ミスだ」
カルロスさんがぽつりと呟く。腕を組みながら、彼は思考を巡らせているようだった。
「ええ、そうよ。だから、あえてゴブリンがトラップに引っかかるように指導したの」
思いもよらぬ発言に、思わず僕は聞き返した。
「え、あえてゴブリンが引っかかる? どういうことですか?」
「つまり、こういうことよ」
エミリーさんは言葉を選びながらも、核心を突いてくる。
「トラップの難易度が高いと、初心者が引っかかって当たり前。冒険者になってルンルン気分の彼らが、いきなり罠でストレス溜まったら可哀想でしょ? だからね、『ここに罠がありますよ、注意してね』っていうアピールのために、ゴブリンを“失敗例”にしたわけ」
目から鱗だった。そうか、そういう発想もあるのか。
「なるほど。さすがエミリーさんです」
思わず尊敬の声が漏れると、エミリーさんは肩をすくめて苦笑した。
「持ち上げても何も出ないわよ」
とはいえ、まんざらでもなさそうだ。
「で、どうするよ。向こうの作ったトラップが難しすぎるんだろ? 難易度調整してもらうしかないな」
そう言うなり、カルロスさんは書類を抱えてスタスタと部屋を出て行った。その背中には、どこか戦いに向かう兵士のような覚悟がにじんでいた。
数日後、再び会議室に集まった僕たちは、新たな問題に直面していた。
「それで、トラップを変えてから数日経ったけど、冒険者の反応はどう? ジャスミン」
エミリーさんが軽く腰をかけながら尋ねると、ジャスミンさんは資料を手にして答える。
「えーと、初心者が見破れる難易度なので、問題なさそうです。でも……」
「でも?」
ジャスミンさんは小さな身体をいっぱいに使って、両手を広げた。
「トラップがわざとらしくでかいんです。これくらい!」
その大きさ、どう見ても人間の身長と変わらない。もはや罠というより、障害物レースの障害物だ。
「それでですね、今度は別の問題が出てきまして。大きいがゆえに、この前はドラゴンがトラップに引っかかりました」
場が静まり返る。
ドラゴンが……? ゴブリンでも初心者でもなく、まさかのドラゴンが。
「『トラップ設置課』の奴ら、難易度調整が下手すぎる。これじゃ、いたちごっこだぞ」
カルロスさんが頭を抱えたくなるのも無理はない。
「あのー、カルロスさん。一回、彼らをダンジョンに送り出しては? もちろん、エミリーさんが先導して。実際に現地に行けば、どう調整すれば分かると思います」
意を決して提案すると、カルロスさんはハッと目を見開いた。
「名案だ! だが、今度は別の問題が発生しそうだな」
「と、言いますと?」
「自分たち含め、人間が引っかからないトラップにするだろうさ。そう、『トラップがあるという思い込みを利用して、トラップをしかけない』という心理的トラップに」
僕は思わず、感心してしまった。
「それ、ナイスアイデアじゃないですか!」
すると、カルロスさんはにやりと笑って肩をすくめた。
「ああ、素晴らしい考えだよ。自分たちが何もしなくても給料がもらえるんだからな」
どこか遠くを見つめるその目に、僕は少しだけ、共感してしまった。