最近、モンスター管理課は、あることに頭を悩ませていた。ヤマタノオロチがホームシックになっていたのだ。それも、一つの首だけ。なんとも変な話だ。
「ホームシックか。そんなもん、時間が経てば治るさ」
カルロスさんは、相変わらず投げやりな調子で言い放ち、手元の分厚い小説から目を離そうとしない。どうやら今は、魔王が恋に落ちるラブストーリーに夢中らしい。まあ、いつものことだけども。
「ちょっと、対策を真剣に考えてよ! これは、由々しき事態よ!」
向かいのデスクでは、エミリーさんが書類をバンと叩いて主張する。真剣そのものだ。
この二人の感覚を足して二で割れば、ちょうどいいと思うんだけどな。僕は、たぶん、そんな中間タイプのはず。……たぶんね。
ホームシック――それは母国が懐かしくなる現象。ならば、母国の仲間がそばにいれば、少しはましになるかもしれない。
僕は、机の端に置いた資料を見ながら、ふと思いついた。
「一つ提案ですけど。同じ国出身の鬼と一緒にしてはいかがでしょうか。一人だから、ホームシックが悪化するはずです」
もちろん、ヤマタノオロチは首がたくさんあるのだから、すでに仲間が多いと言えなくもないけど……それとこれとは話が別、だと思う。
「なるほどね、試す価値はありそうね。早速、二匹の配置を変えてみるわ」
エミリーさんは資料を手早くまとめながら、久々に柔らかな笑みを浮かべた。
どうか、うまくいってほしい。
──数日後。
結果は、予想外だった。ホームシック問題は、さらに悪化していた。
ヤマタノオロチのホームシックが、同室の鬼にもうつってしまったのだ。
どうやら、首一本が毎晩「会いたいなあ、故郷の川辺……」と語り続けたらしい。鬼もさすがに耐えられなかったようだった。
「いやぁ、こんな結果になるなんてな。これは、シモンの責任じゃない。最善を尽くしたんだからな」
数日前の読書人はどこへやら。カルロスさんは、眉間にしわを寄せて資料とにらめっこしている。
いや、最初からそうであってほしいんだけど。
「ねえ、一つ考えがあるんだけど」
エミリーさんがそっと手を挙げた。その声は、いつになく自信なさげだった。彼女がこういう調子なのは珍しい。
「もう一匹、同じ地方のカッパを連れてくるのは、どうかしら? その子には、祖国の味を――つまり、キュウリの漬物という食べ物を持ってきてもらうのは?」
カッパというモンスターは初めて聞いた。僕の勉強不足なのか、それとも専門家ならではの知識なのか。とにかく、「キュウリの漬物」という単語に、なぜか少しだけ期待感が生まれた。
「試す価値はあるな。よし、上に掛け合ってみるぞ」
カルロスさんも、珍しく即決だ。少なくとも彼も、今の状況を深刻に捉えているようだった。
──そしてまた数日後。
カッパがやって来たことで、状況は一変した。
カッパは、見るからにおだやかで優しそうな個体だった。持参したキュウリの漬物を、ヤマタノオロチと鬼に分け与えると、あっという間に場の空気が和んでいく。
それどころか、例の首は「ああ……祖国の味だ……」と泣きそうになっていた。
「いやぁ、何とかなるもんだな。さすが、専門家だ」
「カルロス、持ち上げても何も出ないわよ」
二人は冗談を交わしながら笑いあっていた。
けれど、僕はどうしても気になっていた。このままでは、また別の火種が生まれるかもしれない。
「あのー、その件なんですけど。他のモンスターが、『特定の地方だけ優遇するな』って文句を言っていて……」
案の定だった。カルロスさんの顔から、あっという間に笑みが消える。
「こうなれば、他の地方のモンスターも平等に連れてくるしかないな。エミリー、頼んだぞ」
「……はいはい。やるしかないわね」
エミリーさんは肩をすくめながら、分厚い「モンスター入国申請書」を机に広げた。
その指先は、もうすでに慣れた動きでペンを走らせている。
これで、不満が収まればいいのだけれど。
──さらに数日後。
無事に他の地方のモンスターも増え、不平等問題は解決した。
……が、当然のように、まったく別の問題が発生した。
「モンスターの食費か。盲点だったな」
カルロスさんが頭を抱えるのも無理はない。
増えたモンスターの数に比例して、食材の消費量も爆発的に増えていたのだ。
「カルロスさん、食費が多くなっても問題ないのでは? 上に申請すれば……」
僕がそう言いかけた時、エミリーさんが何かの書類をスッと差し出してきた。
「これが問題なのよ。使用した経費が少ないほど、モンスター管理課の給料は増えるのよ」
思い出した。以前、ヤマタノオロチの「飲み合わせ問題」の時に聞いた話だ。
つまり、今の状況は――。
「シモンも察したみたいね。そう、私たちの給料が減るってこと」
エミリーさんはそう言って、肩をすくめて笑った。だが、その顔には、どこか満足げな光が浮かんでいる。
「まあ、モンスターが楽しいんなら、いい気がするけどね」
さすが、モンスター専門家。この人はいつだって、モンスターの心を最優先に考えている。ここはモンスター管理課。主役はあくまで、あの不思議で愛すべき彼らだ。
……とはいえ、毎月これが続くのは、さすがに勘弁してほしい。