「インターンシップも終わったことだし、しばらく通常運転……と言いたいところだが、ボスから新たな指令がきた」
カルロスさんは、机にどっかりと肘をつきながら、露骨に「めんどくせぇ」というオーラを漂わせていた。おかげで、部屋の空気が一瞬にして重くなる。
もしライルさんがこの場にいたら、「社会人としての自覚が足りない」とでも言って雷を落とすことだろう。カルロスさんは、その一撃を予感してか、どこかうつむき気味だ。
「それで、具体的にはどんな内容なの?」
エミリーさんが、読みかけのモンスター図鑑をぱたんと閉じて顔を上げる。表紙には『第九版・魔族行動学』の文字が光っている。
「それがな、まーたイベントを考えろという指令だ」
カルロスさんは、ため息混じりに告げた。わざとらしく背もたれに体重を預けて、首をコキコキと鳴らす。
イベントの立案。それは、この間ラルクくんが提案してくれたばかりだった。けれど、せっかくのハロウィン案も、「男女別ダンジョンを作るのは手間がかかる」と、設計部の一言であっけなく却下されてしまった。苦労した時間が虚しく蘇る。
「一難去ってまた一難ね。で、どんなご要望なのかしら?」
エミリーさんの声には、少し疲れがにじんでいた。図鑑を指でトントンと叩きながら、肩をすくめる。
カルロスさんは、「一ヶ月持たせろとのことだ」と、申し訳なさそうに言う。
エミリーさんの顔が固まる。どうやら、予想外だったらしい。
「カルロスさんが責任を感じる必要はないですよ」
僕はそう言いながら、彼の表情を観察する。軽く言ったつもりだけれど、カルロスさんの顔からは明らかに「納得してねぇぞ」と書いてある。まあ、わかるけど。
「それに、ボスからの指令というより、ダンジョン運営部としての方針でしょ?」
「まあ、そういうことだ。まったく、上も無茶苦茶だぜ。現場のことを分かってない」
僕もダンジョン運営部のトップと会ったことはないが、その現実感のなさは噂ではよく聞く。会議室から出てこない、という話すらある。
「問題は、一ヶ月持たせる方法ね。二人は何か案はある?」
エミリーさんが僕たちに視線を向ける。あの観察力鋭い瞳が、「逃げようとしても無駄よ」と言っているようだ。
だが、僕たちには当然、名案なんて用意されていない。ただ、申し訳なさそうに首を横に振るしかなかった。
「スタンプラリーじゃあ、ダメですからね」
僕がそう呟いた瞬間だった。
「待った! スタンプラリーじゃなくても、いい方法があるぞ! クロスワードだ!」
カルロスさんが急に身を乗り出して、声を張り上げる。まるで大発見をした考古学者のように、目を輝かせている。
「でも、それってダンジョンに行かなくてもできるんじゃない?」
エミリーさんが冷静にツッコミを入れる。さすが、理性担当。
「ぐ、反論できねぇ……」
カルロスさんは椅子にもたれかかるようにして崩れ落ち、再び座り込んだ。その姿は、まるで夢破れた詩人のようで、ちょっとだけ哀愁が漂っている。
問題は、いかに冒険者をダンジョンに「行かせるか」だ。クロスワード、という言葉で何か閃きそうな感覚はあるのに、あと一歩届かない。
「一ヶ月持つ。一ヶ月? そうだ、狼男ですよ!」
僕の口が、思考よりも早く動いた。なぜか、直感的に「これだ」と感じたのだ。
エミリーさんが、わずかに驚いた表情を浮かべる。そして、すぐにいつもの分析モードに切り替わる。
「それで?」
「こういうのはどうでしょうか。文字数に合わせたモンスターを討伐するイベント。たとえば、三文字のモンスターを倒せばポイントがもらえる。オークならOK、四文字ならキマイラ。最後の五文字目には、強敵を配置して、イベントの締めにする」
「なるほどな。言葉遊びと討伐を組み合わせるってわけか。五文字目は……そうだな、ケルベロスやスケルトンも使えるな」
カルロスさんの声が弾む。さっきとは打って変わって、生き生きしている。
僕は続ける。
「で、一文字目に『鬼』、二文字目に『狼男』。狼男を満月の日しか現れない設定にすれば、それだけでイベントが引き延ばせます。一ヶ月に一度しか討伐できないボスキャラがいるとなれば、必然的に長期イベントになる」
エミリーさんは、目を細めて笑った。
「シモンの考えが読めたわ。一見単純に見えて、すごくよく考えられてる。しかも、最初の一体は鬼。これなら初心者でも参加できる。狼男の出現条件を限定すれば、自然に期間が延びる。さすがだわ」
エミリーさんの言葉に、少しだけ照れてしまう。
「待てよ……ってことは、初心者が狼男に挑むには時間がかかる。つまり、一ヶ月以上の期間が必要になる。ははっ! こりゃ、大手柄だ!」
カルロスさんは、満面の笑みで室内をスキップし始めた。見ているこっちが心配になるレベルだ。
「じゃあ、早速、上に報告ね」
エミリーさんが席を立ちかけた瞬間、僕はそれを止めた。
「エミリーさん、報告はもう少し後にしましょう」
「どうしてかしら?」
少し首を傾げて問われる。
「うちの課が優秀だと思われたら、また無茶振りがきます。ギリギリまで報告しなければ、さすがの運営部も急な依頼は出しにくいはずです」
エミリーさんは一拍置いてから、ふっと微笑んだ。
「なるほどね。確かに、その方が賢いかも」
僕はカップを手に取り、少し冷めたコーヒーをひと口すする。ほんのわずかに苦味が増していたが、それもまた良い。
現場を知らずに、命令だけを下してくる上層部。その指示にただ従うだけでは、こちらが持たない。
今回は、その理不尽にささやかな一矢を報いた気がして、ちょっとだけ誇らしい気持ちになった。