「二人とも、大事な話がある」
カルロスさんがいつになく真剣な顔をしている。背筋を伸ばしてこちらを見据えるその姿からは、いつものゆるさが消えていた。
その様子に、僕とエミリーさんは顔を見合わせる。何事だろうかと、自然と身構えてしまう。
「トップから――」
「はいはい。また、上からの無茶振りってことね」
エミリーさんは、すっかり慣れた調子で遮るように言った。最近、このパターンが多すぎて、すでに予測できるようになっている。苦笑いすら浮かべていないのが、逆に深刻さを物語っている。
それにしても、本当に上層部は現場のことを何も分かっていない。空調の効いた会議室でホワイトボードを前にして、思いついたアイデアをそのまま投げてくるような感覚だ。
「それで、今回はどんな話かしら?」
半ば諦めのような口調でエミリーさんが続けると、カルロスさんは苦笑いを浮かべながら言った。
「あー、エミリーには言いづらいんだが、『モンスターをかっこよくしろ』との指示だ」
一瞬、部屋の空気が止まった気がした。
……かっこよく?
意味が分からず、思わず口の中で繰り返す。
外見をイケメンにしろとか、そういうことだろうか? あるいは、派手な演出を加えろという意味か?
「それ、無理難題よ。モンスターそれぞれに特徴があるの。それを変えろだなんて……」
案の定、エミリーさんが噛みついた。彼女にとってモンスターは個性があって、育成にも時間と愛情をかけてきた存在だ。それを「かっこよくしろ」とは、随分な言い草だ。
机に手をついて身を乗り出しながら、彼女の目がキッと細められる。怒っているというより、呆れ果てているように見えた。
「まあ、安心しろ。今回は、すでに俺に案がある」
カルロスさんは余裕の笑みを浮かべながら、こめかみをトントンと指で叩いた。
「二人とは、ここが違うからな」
自信満々の様子だが、その態度が逆に不安を煽る。
――嫌な予感しかしない。
「モンスターの名前を変える」
「はあ? それ、本気?」
エミリーさんがあきれ果てた声を上げる。口が開きっぱなしで、しばらく閉じる気配がない。
僕も思わず、「聞き間違いじゃないですよね?」と確認したくなった。
「それで、具体的には……?」
恐る恐る僕が尋ねると、カルロスさんは得意げに語り出した。
「図鑑を見ていて気がついたんだ。同じモンスターでも、地方によって呼び方が変わることに。たとえば、ドラゴンは別の地域だと『龍』と呼ばれるらしい」
ふむ。確かに、それは新しい視点だ。
「それ、かっこよくする話との繋がりが見えないんだけど」
エミリーさんがバッサリと切り込む。こちらとしても、正直なところ、首をかしげたくなる理屈だ。
だが、カルロスさんは「チッチッチ」と小さく舌を鳴らし、人差し指を左右に振る。
「甘いぞ、エミリー」
まるで教壇に立つ教師のような口ぶりで、話を続ける。
「ある地方ではな、『濁音がついていると、モンスター感が増す』と聞いた。つまり、『ドラゴン』の方が『龍』よりも強そうに聞こえるってことだ」
なるほど……一理あるような、強引なような。
「そこで、だ。鬼の名前を変える」
「ちょっと、どういうこと? 鬼は鬼じゃない!」
エミリーさんが椅子をきしませて立ち上がる。怒気というより、混乱と戸惑いが混ざった声色だ。
「エミリー、焦るな。鬼は地域によっては『オーガ』と呼ばれている。安心しろ、図鑑にちゃんと書いてあった」
カルロスさんは落ち着いた様子で説明するが、あまり説得力がない。
「じゃあ、カッパはどうするんですか……?」
僕が何気なく投げた疑問に、彼は即答した。
「知らん! 図鑑にも別名は書いてなかった」
開き直りにも似た潔さ。ある意味、清々しい。
「よし、シモン。ジャスミンに伝えてこい。名前変更だってな」
そう言われた僕は、思わず「えっ」と声が漏れたが、逆らえる空気ではなかった。
──そして、その日の午後。
ジャスミンさんがドアを開けて入ってきたときの顔は、雷雲のように暗かった。
「問題発生です。名前が変わったことで、冒険者たちが混乱しています。それに、オーガとオークという、名前が似たモンスターがいることで手がつけられない状態です」
鋭い視線が真っ直ぐカルロスさんに突き刺さる。僕はそっと一歩引く。今回はただの伝達係だ。責任は……ないはずだ。
「うーん、予想外だな。どうしたものか……」
カルロスさんは、頭をかきながら曖昧に笑う。が、その背中には冷や汗がにじんでいるようだった。
エミリーさんは腕を組み、完全に怒っていた。もはや一言も発しないあたりが、逆に怖い。
「よし、名前は戻そう。別の方法で、かっこよさを出す」
手のひら返しが早すぎて、風すら起きそうだった。
「まあ、それでよしとしましょう」
ジャスミンさんは、深いため息とともに納得してくれたが……問題は、これでは終わらなかった。
「うちの子たちの名前を変えたんだから、あなたも名前を変えなさい。濁音をつけて『ガルロズ』ってね」
エミリーさんの声は冷ややかで、なおかつ楽しんでいるようにも聞こえる。まさに、悪魔の微笑み。
「冗談きついぜ、エミリー」
カルロスさんの顔が引きつる。その額に、一筋の汗が流れていた。
「シモン、あなたも協力しなさい。別案が出るまで、カルロス呼びは禁止よ」
僕は静かにうなずいた。従うしかなかった。さもなければ、僕の名前が「ジモン」に変えられていたかもしれないのだから。
「さて、いつになったら名前が戻るのかしら」
エミリーさんの笑顔は、しばらく封印していた鬼の形相を思い出させるような――そんな、完璧な勝利者の顔だった。