「今日は珍しく暇だな」
カルロスさんが椅子にもたれたまま、腕を大きく上に伸ばして欠伸をかみ殺す。背骨がポキポキと鳴っている。
「そうですね。いつもこの調子ならいいんですけど」
僕もつられて背中を伸ばす。執務室は静かで、珍しく空調の音さえ心地よく感じられた。ここ最近、対応に追われて昼食すら落ち着いて取れなかったことを思えば、まるで夢のようだ。
そんなのんびりした空気を打ち破るように、バンッと扉が開いた。
「ちょっと、二人とも! 暇じゃないでしょ! サイクロプスが大変なことになってるのよ!」
エミリーさんが仁王立ちで現れる。肩は怒りで小刻みに上下し、腕まくりのシャツの袖がどこか戦闘態勢を思わせた。
彼女の怒りももっともだ。昨日からサイクロプスが結膜炎になっている。一つ目のモンスターにとって、それは命取りに等しい。視界がなくなれば、もはやただの大きな的だ。
「でもよ、モンスターの管理担当はエミリーだろ? 俺たちには関係ないな」
カルロスさんが肩をすくめながら言う。冗談交じりに見えるが、どこか気まずそうに目をそらしている。少し心は痛むが、役割分担という意味では正論でもあった。
「あら、冷たいじゃないの。いいわ、私が解決するから」
エミリーさんは舌打ちこそしないが、まるでそう聞こえるような鋭い口調で言い放つ。そして、後ろでちょこんと待機しているミイラ男の包帯を直しながら、僕たちに背を向ける。
「お、そうだ。ある地方だと『スイカ割り』っていう遊びがあるらしい。サイクロプスに包帯を巻いて、やらせればいい。包帯なら、そこにあるからな」
カルロスさんが茶目っ気たっぷりにミイラ男を親指で指さすと、そのミイラ男がそっと一歩下がる。どうやら自分の包帯が取られると察したらしい。
もし包帯を取ったら、その中から何が出てくるのだろう。僕はつい想像してしまい、首筋がひやりとした。
「分かったわ。サイクロプスは、しばらく休養よ。何か解決策があればいいんだけど……」
エミリーさんは腕を組んで、深いため息をつく。その姿は普段の快活さとは違い、どこか母親のような包容力があった。
そして、そのまま黙って部屋を出て行った。残された僕たちは、しばらく沈黙の中で視線を交わした。
数日後。事態は好転しないままだった。サイクロプスの結膜炎は一向に治る気配を見せない。
「おいおい、まずくないか? 欠勤が長引くと、三層目のモンスターが不足しちまう!」
カルロスさんがコーヒーカップを机に置きながら言った。コップの中で黒い液体が波紋を描く。
欠勤という表現には苦笑せざるを得ないが、たしかにその通りだった。
「そうなのよ。それに、あの子が可哀そうなの。自分で壁にぶつかって、涙をぽろぽろこぼして……もう見てられないわ」
エミリーさんは、眉をひそめておろおろと両手を胸元で組む。モンスターを「子」と呼ぶ彼女の優しさが、にじみ出ていた。
「まずは、サイクロプスの穴埋めが必要ですね。エミリーさん、適切なモンスターいますか?」
僕が問いかけると、彼女は顎に手を当てて真剣な顔で考え込んだ。
「うーん……三層目となると冒険者も猛者ばかり。その相手をするなら……ケルベロスかしら。ちょうど、こないだ仕上がったばかりだし」
サイクロプスは一つ目、対してケルベロスは三つの頭を持つ。視覚的には両極端だ。難易度も跳ね上がるが、やむを得ない。
「よし、それでいこう! サイクロプスの結膜炎が治るのを気長に待つぞ」
カルロスさんが手を打って方針を決定すると、僕たちもひとまず納得して頷いた。
そして、さらに数日後。ギルドのジャスミンさんからの緊急連絡が入った。
「冒険者がケルベロスに苦戦している」とのことだ。
「まあ、そうなるか……。っても、サイクロプスがこれじゃあな」
僕たちは、ソファに横たわるサイクロプスを前に、重い沈黙に包まれていた。
その目は真っ赤に腫れ、ガーゼを貼った顔がどこか子どものように見える。巨大な図体とのギャップが、余計に痛々しい。
「今って、どんなモンスターを育成してるんですか?」
僕の問いに、エミリーさんは育成記録が詰まったノートを開き、指でなぞっていく。
「ミイラ男、キョンシー……あとはデュラハンくらいかしら」
なるほど、戦力として使えそうな名前もあるにはある。だが、どれもどこかクセが強い。
そこでふと、ひらめいた。
「デュラハンですよ、デュラハン!」
「おい、シモン。落ち着けって。デュラハンがどうしたんだよ」
カルロスさんが怪訝そうに顔をしかめる。
「デュラハンは、首と胴体がちぎれたモンスターです。その首をサイクロプスに持たせるんです。そうすれば、デュラハンの首の指示によって、サイクロプスは適切な行動がとれます!」
僕は勢いのまま説明を続けた。自分でも、これはなかなかの妙案だと思う。
カルロスさんは指をパチンと鳴らして立ち上がった。
「それだ! お前、天才か?」
勢いよく僕の背中を叩いてくる。ちょっと痛いけど、褒められるのは嬉しい。
「さすが、シモン。デュラハンの本体は鍛えているところだから、ちょうどいいわね」
エミリーさんも嬉しそうに微笑みながら頷いた。
「よし、サイクロプスの再投入だ!」
カルロスさんは両肩をぶんぶんと回し、なぜか自分が戦う気満々だ。
新コンビの戦いがどうなるかは未知数だが、冒険者たちは間違いなく度肝を抜かれるに違いない。
巨大な一つ目のモンスターが、手に持った首から「右だ! 左だ!」と指示を受けながら戦う姿――。
そのシュールすぎる光景を想像して、僕はこらえきれずに笑ってしまった。