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第36話 サイクロプス、視界不良につき

「今日は珍しく暇だな」


 カルロスさんが椅子にもたれたまま、腕を大きく上に伸ばして欠伸をかみ殺す。背骨がポキポキと鳴っている。


「そうですね。いつもこの調子ならいいんですけど」


 僕もつられて背中を伸ばす。執務室は静かで、珍しく空調の音さえ心地よく感じられた。ここ最近、対応に追われて昼食すら落ち着いて取れなかったことを思えば、まるで夢のようだ。


 そんなのんびりした空気を打ち破るように、バンッと扉が開いた。


「ちょっと、二人とも! 暇じゃないでしょ! サイクロプスが大変なことになってるのよ!」


 エミリーさんが仁王立ちで現れる。肩は怒りで小刻みに上下し、腕まくりのシャツの袖がどこか戦闘態勢を思わせた。


 彼女の怒りももっともだ。昨日からサイクロプスが結膜炎になっている。一つ目のモンスターにとって、それは命取りに等しい。視界がなくなれば、もはやただの大きな的だ。


「でもよ、モンスターの管理担当はエミリーだろ? 俺たちには関係ないな」


 カルロスさんが肩をすくめながら言う。冗談交じりに見えるが、どこか気まずそうに目をそらしている。少し心は痛むが、役割分担という意味では正論でもあった。


「あら、冷たいじゃないの。いいわ、私が解決するから」


 エミリーさんは舌打ちこそしないが、まるでそう聞こえるような鋭い口調で言い放つ。そして、後ろでちょこんと待機しているミイラ男の包帯を直しながら、僕たちに背を向ける。


「お、そうだ。ある地方だと『スイカ割り』っていう遊びがあるらしい。サイクロプスに包帯を巻いて、やらせればいい。包帯なら、そこにあるからな」


 カルロスさんが茶目っ気たっぷりにミイラ男を親指で指さすと、そのミイラ男がそっと一歩下がる。どうやら自分の包帯が取られると察したらしい。


 もし包帯を取ったら、その中から何が出てくるのだろう。僕はつい想像してしまい、首筋がひやりとした。


「分かったわ。サイクロプスは、しばらく休養よ。何か解決策があればいいんだけど……」


 エミリーさんは腕を組んで、深いため息をつく。その姿は普段の快活さとは違い、どこか母親のような包容力があった。


 そして、そのまま黙って部屋を出て行った。残された僕たちは、しばらく沈黙の中で視線を交わした。





 数日後。事態は好転しないままだった。サイクロプスの結膜炎は一向に治る気配を見せない。


「おいおい、まずくないか? 欠勤が長引くと、三層目のモンスターが不足しちまう!」


 カルロスさんがコーヒーカップを机に置きながら言った。コップの中で黒い液体が波紋を描く。


 欠勤という表現には苦笑せざるを得ないが、たしかにその通りだった。


「そうなのよ。それに、あの子が可哀そうなの。自分で壁にぶつかって、涙をぽろぽろこぼして……もう見てられないわ」


 エミリーさんは、眉をひそめておろおろと両手を胸元で組む。モンスターを「子」と呼ぶ彼女の優しさが、にじみ出ていた。


「まずは、サイクロプスの穴埋めが必要ですね。エミリーさん、適切なモンスターいますか?」


 僕が問いかけると、彼女は顎に手を当てて真剣な顔で考え込んだ。


「うーん……三層目となると冒険者も猛者ばかり。その相手をするなら……ケルベロスかしら。ちょうど、こないだ仕上がったばかりだし」


 サイクロプスは一つ目、対してケルベロスは三つの頭を持つ。視覚的には両極端だ。難易度も跳ね上がるが、やむを得ない。


「よし、それでいこう! サイクロプスの結膜炎が治るのを気長に待つぞ」


 カルロスさんが手を打って方針を決定すると、僕たちもひとまず納得して頷いた。





 そして、さらに数日後。ギルドのジャスミンさんからの緊急連絡が入った。


「冒険者がケルベロスに苦戦している」とのことだ。


「まあ、そうなるか……。っても、サイクロプスがこれじゃあな」


 僕たちは、ソファに横たわるサイクロプスを前に、重い沈黙に包まれていた。


 その目は真っ赤に腫れ、ガーゼを貼った顔がどこか子どものように見える。巨大な図体とのギャップが、余計に痛々しい。


「今って、どんなモンスターを育成してるんですか?」


 僕の問いに、エミリーさんは育成記録が詰まったノートを開き、指でなぞっていく。


「ミイラ男、キョンシー……あとはデュラハンくらいかしら」


 なるほど、戦力として使えそうな名前もあるにはある。だが、どれもどこかクセが強い。


 そこでふと、ひらめいた。


「デュラハンですよ、デュラハン!」


「おい、シモン。落ち着けって。デュラハンがどうしたんだよ」


 カルロスさんが怪訝そうに顔をしかめる。


「デュラハンは、首と胴体がちぎれたモンスターです。その首をサイクロプスに持たせるんです。そうすれば、デュラハンの首の指示によって、サイクロプスは適切な行動がとれます!」


 僕は勢いのまま説明を続けた。自分でも、これはなかなかの妙案だと思う。


 カルロスさんは指をパチンと鳴らして立ち上がった。


「それだ! お前、天才か?」


 勢いよく僕の背中を叩いてくる。ちょっと痛いけど、褒められるのは嬉しい。


「さすが、シモン。デュラハンの本体は鍛えているところだから、ちょうどいいわね」


 エミリーさんも嬉しそうに微笑みながら頷いた。


「よし、サイクロプスの再投入だ!」


 カルロスさんは両肩をぶんぶんと回し、なぜか自分が戦う気満々だ。


 新コンビの戦いがどうなるかは未知数だが、冒険者たちは間違いなく度肝を抜かれるに違いない。


 巨大な一つ目のモンスターが、手に持った首から「右だ! 左だ!」と指示を受けながら戦う姿――。


 そのシュールすぎる光景を想像して、僕はこらえきれずに笑ってしまった。


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