「しばらく、ユニコーンはダンジョンに配置できないわ」
朝の定例会議で、珍しくエミリーさんが深刻な声を出した。いつもなら明るいテンションで会話に割り込んでくるのに、今日は様子が違う。
机に両肘をついたまま、彼女は珍しく俯いている。
「何かあったんですか?」
気になってたずねると、エミリーさんはため息混じりに答えた。
「彼、角の生え変わりの時期なの。だから、自信喪失しちゃって」
一瞬、耳を疑う。角が生え変わる? ユニコーンに?
頭の中に、ツルッとした額の白馬が浮かび、思わず吹き出しそうになるが、ぐっと堪えた。
それでも、隣にいたカルロスさんは耐えきれなかったらしい。腹を抱えて大笑いしている。
当然、エミリーさんから強烈なゲンコツが飛んだ。鈍い音が響いて、会議室が静まり返る。
「いってぇ……! で、復帰までどれくらいかかりそうなんだ?」
カルロスさんが頭をさすりながら訊くと、エミリーさんは少し困ったように答えた。
「そうね……一か月かしら。角の状態次第だけど」
一か月。そのあいだユニコーン抜きでやりくりする必要があるのか。
ただでさえ個性的なダンジョンの管理は気を遣うのに、看板モンスター不在では面白みも欠けてしまう。
「配置は難しくても、どうにかして自信を戻す方法があればいいんですが……」
自然とそんな言葉が口から出ていた。ダンジョンの戦力というより、あのユニコーンにはどこか情が移っている気がする。
「そうだな……角がないと単なる白馬にしかならない。いっそ、白馬の王子様としてギルドに貸すか?」
カルロスさんがニヤリと笑う。冗談のようでいて、案外悪くない気もする。
本来は“白馬に乗った王子様がやってくる”というが、今回は“白馬自身が王子様”という珍展開だ。
「それ、案外いいかもね。町の女の子からモテれば、きっと自信も戻るわ」
エミリーさんも、いつもの調子を少し取り戻したようにうなずいた。
「じゃあ決まりだな。シモン、お前がジャスミンのところにユニコーンを連れていってくれ」
カルロスさんは「あー、俺もモテたい」とか呟きながら、椅子の背にもたれて伸びをした。
久々にギルドの玄関をくぐると、ジャスミンさんが変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。
「最近、連絡がなくて仲間外れの気分だったんですよ」
少し拗ねたように言うその声に、後ろめたさを感じる。
最近はすっかり、報酬を受け取りに来るときくらいしか顔を出していなかった。
ギルドとダンジョン運営が裏で繋がっているなんて口が裂けても言えないし、用事がないと足も遠のく。
「では、ユニコーンはこちらで預かります」
ジャスミンさんは、ユニコーンのたてがみをやさしく撫でながらそう言った。
その仕草があまりに自然で、思わずドキッとしてしまう。
「一か月間、お願いしますね」
「よし、これでユニコーンに自信が戻るのも時間の問題だな」
ギルドから戻ると、カルロスさんは満足げに頷いた。
「ユニコーンの代わりに配置するモンスターを考える必要がありますね」
僕がそう言うと、エミリーさんが即座に口を開いた。
「心配ご無用。ペガサスを配置すればいいわ」
どうやらすでに手配を済ませていたらしく、書類の束を片手にどこか誇らしげだ。
「よし、問題なし。じゃあ配置、頼んだぞ」
それから数日後、再びジャスミンさんがやって来た。だが、その表情は明らかに困っていた。
「ユニコーンが、また自信を失ってしまいまして……」
「え? 白馬ならモテるって話じゃなかったのか?」
カルロスさんが驚いて目を見開く。
「最初は人気者だったんですよ。でも……角が少しずつ生え出してきたら、女の子たちが気味悪がって」
ジャスミンさんは言いにくそうに視線をそらした。
頭のてっぺんに小さく突き出た、角の芽。それがチョコンと乗っている姿を想像してしまい、僕は言葉を失った。
「もしかして、ユニコーンは――」
「ええ。不気味がられて、ショックを受けています」
ジャスミンさんは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「これ、逆効果じゃないですか?」という彼女の指摘に、カルロスさんも項垂れる。
「我ながら名案だと思ったんだが……」
「一つ提案があります。『角が生え代わり中のユニコーンを見ると、幸せになれる』という噂を流しましょう」
思わず辺りを見回す。幸いエミリーさんは席を外していた。
この場にいたら、全力で止められていただろう。あるいは本当に雷を落としてきたかもしれない。
ジャスミンさんがそこまで計算していたのかは分からない。でも、少なくとも彼女は本気だ。
「……よし、その作戦でいこう。ただし、エミリーには内緒な」
カルロスさんは半分冗談のように言ったが、誰も笑わなかった。
誰もが、“今度こそ成功してほしい”という思いを込めていた。
数日後、ギルドから報告書が届いた。そこには「ユニコーン人気が急上昇中。自信回復の兆しあり」と書かれていた。
読みながら顔がほころびそうになるが、すぐに背後からドスの効いた声が飛んできた。
「ちょっと、いつの間にそんな話になっていたのよ!」
振り返ると、案の定エミリーさんが腕を組んで立っていた。
「まあ、落ち着けって。あいつの自信が戻れば結果オーライだろ?」
カルロスさんがごまかすように笑うが、エミリーさんは渋い顔のままだ。
「そうだけど……。なんか、嫌な予感がするのよね」
それが冗談とも思えないのは、エミリーさんの勘がこれまでほぼ外れたことがなかったからだ。
「気のせいですよ、きっと」
そう言った僕自身が、一番不安だったのかもしれない。
そして一か月が経とうとしていたある日。
再びギルドからジャスミンさんがやって来た。彼女の言葉は、僕たちの予想を遥かに超えていた。
「ユニコーンを引き渡すことはできません」
「は? ちょっと待て。それってどういう……」
カルロスさんの声が、珍しくうろたえていた。
「町の人たちが、ずっと見張っているんです。角が抜ける瞬間を一目見ようと。四六時中」
「ってことは……例の噂、信じちゃってるのか?」
「はい。『幸運になれる』って話が独り歩きして。最近は“抜けた毛を拾ったら恋が叶う”なんて話まで……」
ユニコーンを元気づけるはずの作戦が、いつの間にか都市伝説化していた。
事態は、完全に僕たちの手を離れていた。
しかし、エミリーさんは、ふっと肩の力を抜いて微笑んでいた。
僕もカルロスさんも、その表情に驚いて固まる。
「いいんですか、エミリーさん。ユニコーンが戻ってこなくても」
「もちろん、本音を言えばね……ダンジョンに戻ってきてくれたら嬉しいわよ。だけど――」
エミリーさんは窓の外を見た。町の広場では、女の子たちが白馬に群がり、きらきらした目で角の伸び具合を眺めている。
「彼、今すごく幸せそうなの。あんなに堂々と胸を張って歩くユニコーン、初めて見たもの」
やわらかく笑うエミリーさんの表情を見て、カルロスさんも苦笑した。
「なんだかんだで、これが一番いいのかもな。ユニコーンにとっても、町の連中にとっても」
「ええ。ダンジョンは危険も多いし、傷つくこともある。でも、外の世界にも役割があるのよね。きっと、あの子にぴったりの」
静かな沈黙が流れた。
思えば、僕たちは「配置」や「戦力」としてしかモンスターを見ていなかった気がする。
だけど、ユニコーンは今、誰よりも生き生きとしている。それなら、それが正解なのだ。
「……ってわけで、ユニコーンの代わりに配置できるモンスターをまた探さなきゃね」
エミリーさんはぱっと気を取り直し、書類の山に向き直る。
「結局、俺たちの仕事はいつも通りか……」
カルロスさんがぼやくと、僕は笑って答えた。
「でも、今日も一匹、モンスターが幸せになったってことで――悪くない一日ですよね」
誰も返事はしなかったけれど、その場にいた全員が、静かにうなずいた気がした。