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第40話 眠るか、気絶するか、それが問題だ

「皆さん、このポスターを見てください」


 ある日の昼休み。ジャスミンさんが突然やって来た。いつものように金貨の入った麻袋を持っていないということは、今日は報酬の受け渡しではない。つまり、別件だ。


「ポスターがどうした? なんか催し物でもやるのか?」


 カルロスさんは椅子にもたれて、眠たげにジャスミンさんを見やる。昼食のあとのこの時間帯は、いちばん気が緩むタイミングだ。


 僕もあくびをひとつ堪えて、ジャスミンさんの手元の紙に目をやった。


「えーと……『セイレーンvsマンドラゴラ 世紀の対決を見逃すな!』。なにこれ、演劇でも始まるんですか?」


 意味が飲み込めず、首をかしげる。


「これはですね、ある冒険者が考えた企画なんです。セイレーンはその歌声で眠りを誘い、マンドラゴラは悲鳴で気絶させる……。なら、どちらが勝つのかを見てみたい、と」


 なるほど。言われてみれば、面白そうではある。だがそれは、見世物として面白いだけだ。モンスターたちにとっては、たまったものじゃない。


「私の可愛い子たちを、遊び道具にするなんて……絶対許さない!」


 横にいたエミリーさんが、バンッと机を叩いた。普段はおっとりしている彼女の怒りは、それだけで部屋の温度を数度下げる。


 確かに、相手は頭が切れる冒険者なのかもしれない。でも、その頭脳をもっとマシなことに使えばいいのに。


「問題は、どうやってこの企画を止めるかですね」


 僕は腕を組みながらつぶやいた。配置からモンスターを外すのは最終手段だ。そんなことをしたら、相手の勝ちを認めるようなものだ。


「なあ、今セイレーンの配置はどこだ?」


 唐突にカルロスさんが口を開いた。


「え? 今は海のダンジョンだけど」


 エミリーさんが答えるが、その表情は怪訝そうだ。


「よし、セイレーンを移動させよう。洞窟の中の湖へ。あとは――俺に任せとけ」


 カルロスさんは、不敵な笑みを浮かべていた。明らかに何か企んでいる顔だ。


「ジャスミンは冒険者をうまく煽れ。どうしても二匹を戦わせたいように仕向けてくれ。エミリーとシモンは洞窟に向かってくれ。ポイントは後で指定する。いいか、これは“作戦”だ」


 そのときのカルロスさんの笑みは、まるでダンジョンの主のようだった。





 指定された洞窟の入口で、エミリーさんと二人で耳栓を装着する。セイレーンとマンドラゴラの両方に対応できるよう、分厚いやつだ。


「しかし、これだけじゃ防げるかわかりませんね」


 小声で言うが、エミリーさんは無反応。まあ当然だ。耳栓をしていれば聞こえるわけがない。


 仕方なく身振りで伝えようとしたところで、エミリーさんが僕の袖をつまんで引いた。指さす先には、見慣れない男が一人。鉢植えを抱えている。


 ──来たか。おそらく、例の冒険者だ。


 彼は足音を殺すようにゆっくりと歩き、湖のほとりに近づくと、マンドラゴラをそっと鉢から引き抜く。口が大きく開くのが見えた。叫んでいるのは間違いない。


 少し離れた場所、湖の中心ではセイレーンが揺らぐ水面の上で歌っている。


 ──始まったな。


 セイレーンの歌声が強くなればなるほど、マンドラゴラの悲鳴も激しさを増す。二匹の声が反響し、洞窟の壁に響いているのがわかる。鼓膜越しにも、空気の震えが伝わってきた。


 そして、そのときだった。


 ──グラリ。


 空間が、揺れた。


「まさか……」


 僕がそう思った瞬間、天井から岩が崩れ落ちた。轟音とともに落ちた岩は、冒険者の頭上を直撃。彼は抵抗する間もなく、地面に倒れ込んだ。


「これが、狙いだったんだな……」


 洞窟という閉鎖空間で、二つの音が共鳴し合えば、周囲の構造が耐えきれなくなる。地震を誘発するような形で、落盤が起きたのだ。


 そうか。あらかじめ安全な待機場所が指定されていたのも、すべてはこの展開を見越してのことだったのか。


 エミリーさんは素早くマンドラゴラを拾い上げ、鉢に戻した。これで悲鳴は止まったはずだ。


 彼女はそのまま耳栓を外し、湖の中のセイレーンに声をかけた。遠くからでも、その言葉はしっかり伝わったのだろう。セイレーンはすぐに歌を止める。


「私の可愛い子たちを遊び道具にするから、こうなるのよ」


 エミリーさんの声は、やけに冷たかった。


 僕は倒れている冒険者を指さす。


「この人、どうします? ギルドまで運びます?」


 エミリーさんは、首を横に振った。


「いいえ、一日ここに放置しましょう。目覚めたとしても、またセイレーンの歌声で眠りにつくでしょう。その繰り返しで、反省してもらいます」


 それは、ある意味拷問のようだった。


 でも、モンスターを軽んじた報いだとすれば──それも妥当かもしれない。


「一日夢の中か」


 僕はつぶやいた。カルロスさんの悪魔のような作戦に戦慄しつつも、心のどこかで、ちょっとだけスカッとしていた。

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