目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第41話 モンスター管理課、非常事態につき

「くそ、頭いてぇ」


 カルロスさんがデスクに突っ伏すようにして、低く唸った。


 その声には重みがあった。長年現場で鍛えられてきた彼が弱音を吐くのは、よほどのことだ。


「僕もですよ」


 僕もつられてこめかみに指を添えた。グッと押し込むようにして揉みほぐすが、鈍い痛みは居座り続けていた。


 ここ最近、季節の変わり目がやたらと激しい。暑かったかと思えば急に冷え込む日がある。天候の変化に身体がついていかないのか、頭痛がひどくなってきた。


 僕たちだけじゃない。エミリーさんも、同じく体調を崩していた。彼女に至っては症状が重く、すでに三日間も休んでいる。普段なら多少の無理もしてくれる人なのに、これはよほどのことだ。


「こんな状況じゃ、仕事にならないな。よし、今日の仕事はここまでだ!」


 カルロスさんは、どこか自棄になったように言い放ち、椅子の背にもたれかかった。


「ちょっと待ってください。まだ、一時間しか経ってませんよ?」


 反射的に突っ込んだものの、僕の声に力はない。仕事を切り上げたい気持ちは僕も同じだった。でも、現実問題として、給料は働いた分しか出ない。


 今月は家具の修理費や食料の買い込みで出費が嵩んだばかり。財布はすでに軽く、これ以上の余裕はない。頭が痛くても働くしかないのだ。


「そうは言ってもやることないぞ? モンスターたちは元気だし、上層部から無茶振りも来てない」


 カルロスさんは立ち上がると、大きく伸びをした。骨の鳴る音が静かな執務室に響く。


 その時だった。重たい扉がゆっくりと開き、一人の男が姿を見せた。


「あれ、珍しいですね」


 思わず口から言葉が漏れた。現れたのは、モンスター管理課のトップ――ライルさんだった。スーツの上に軽く羽織ったローブが、朝の光を受けて揺れている。


 ライルさんが執務室に足を運ぶのは、月に数回程度。基本的には現場の判断に任せるスタンスで、余計な口出しはしない。だからこそ、その登場には何かあると察せざるを得ない。


「二人とも、重要な話がある」


 ライルさんは部屋の中央まで歩み出ると、窓辺に立った。背後から差し込む朝日が彼の輪郭を際立たせ、まるで後光を背負ったような佇まいになる。


 いつも冷静沈着な彼だが、今日はどこか張り詰めた空気を纏っていた。


「カルロスは『モンスターは元気だ』と言っていたが、それは頭痛を除けば、だ。実のところ、彼らも同じように頭痛に苦しんでいる」


 一拍置いて、ライルさんはゆっくりと続けた。


「もちろん、時間が経てば症状は収まる。しかし、今はその『今』が問題だ。冒険者たちはそれを利用して、ダンジョン攻略を急激に進めている」


 その言葉に、カルロスさんの表情が険しくなる。僕も胸の内にざわりと不安が広がった。


 確かに、最近になって討伐数や進捗の報告が増えている気がしていた。だが、モンスターたちが頭痛に苦しんでいるとは思わなかった。


「幸い、頭痛に悩まされていない冒険者はごく一部だ。だが、彼らがこのまま進めば、バランスが崩れるのも時間の問題だ」


 ライルさんの声は落ち着いていたが、その奥にある危機感は痛いほど伝わってきた。


「そこで、二人には彼らの進撃を止めてもらいたい」


 目を細めながら、ライルさんは僕たちを見据えた。


「どんな手を使っても構わん」


 その言葉は、平時では絶対に聞けないものだった。


「それは、他の課と連携してもいいということですか?」


 カルロスさんが慎重に尋ねる。


「もちろんだ。ただし、他の部門はアイテムの配置や環境整備が主な業務だ。戦力としての期待は薄い。私からは以上だ」


 言い終えると、ライルさんは静かに踵を返した。その背中は普段よりも重たく、どこか疲れを感じさせた。


 扉に手をかけたその時、彼はふと立ち止まり、こちらを振り返る。


「君には期待してるよ、シモン」


 名前を呼ばれた瞬間、鼓動がひとつ大きく跳ねた。


 その言葉には、ただの激励以上の何かが込められているようだった。





「で、どうする? 他の部署と連携しても、冒険者を止められそうにないぞ」


 ライルさんが出ていった直後、カルロスさんは肘をついたまま真剣な顔で僕を見た。普段の軽口はどこにもなく、眉間にはしわが刻まれている。


「レアアイテムを期間限定で設置するのはどうですか? 彼らの行動を変えるんです」


 僕は提案しながらも、心の中で疑問を抱いていた。すでにこの手は使われていたような気がしてならない。


 案の定、カルロスさんは首を横に振った。


「いや、それはダメだ。レアアイテムの倍増キャンペーンをこの前やったばかりだ。短期間で繰り返せば、ありがたみが薄れちまう。価値ってのは、希少性で保たれるもんだからな」


 その通りだった。普段なら気づいていたはずだが、頭痛のせいで思考が鈍っている自覚がある。アイデアの鮮度も、いつもより落ちている気がした。


「……ダンジョンに罠を増やすのはどうですか?」


 言葉を選びながら、慎重に出す。カルロスさんの反応が読めなかったが――


「ナイスアイデアだ。冒険者の足止めにはうってつけだな!」


 彼の声に久々の明るさが戻った。すぐに手元の紙にペンを走らせ、配置図らしきメモを取り始める。


「トラップの配置はうまくやれば、心理的にも足止め効果がある。奴ら、どこに何があるか分からないと急ぎ足じゃ進めないからな」


 その口ぶりからは、現場で培ってきた経験がにじみ出ていた。やっぱり、この人は頼りになる。


 しかし、問題はまだ残っている。トラップだけで全体のバランスは取れない。


「あとは、モンスターの不調をどうするかだな……」


 カルロスさんは、手元の空き瓶――頭痛薬のラベルが剥がれかけた小瓶――に目を落とした。


「頭痛薬を飲ませるのも手だが、エミリーがいない以上、下手に薬を与えたら逆に悪化しかねない。特に魔物は体格も違えば、体内構造もバラバラだ。人間の薬がそのまま通用すると思ったら、大間違いだ」


 その言葉に、僕は何気なく思い出したことをつぶやいた。


「モンスターの中でも、ケルベロスやヤマタノオロチのように頭が多いものほど、症状は重いんですよね」


「ああ、連中はダメだな。三つも四つも頭があれば、そのぶん痛みも三倍、四倍だ。配置できる状態じゃねえ」


 ならば、逆に考えるべきだ。


 頭が多いと症状が重い。じゃあ、頭がないなら――?


「カルロスさん、リビングアーマーですよ!」


 思わず立ち上がって声をあげた。


「は?」


 一瞬ぽかんとしたカルロスさんだったが、すぐに理解したのか、目を見開いた。


「おお……なるほど、そうか! あいつは魔力や呪いで動くから、脳みそもなけりゃ頭もない。つまり、頭痛とは無縁ってわけだ!」


 カルロスさんは感心したようにうなずき、すぐにメモに「リビングアーマー」と大きく書き込んだ。


「それだ、それでいこう! でも、一体だけじゃ心許ないな。もう一種くらい欲しいところだ」


「それなら……スフィンクスはどうでしょうか?」


「スフィンクス? おいおい、奴にはちゃんと頭があるぞ。さすがに選択ミスじゃねえか?」


 カルロスさんの指摘はもっともだ。けれど、僕には狙いがあった。


「たしかに頭はあります。でも、スフィンクスは謎かけで冒険者を翻弄するモンスターです。つまり、体調が多少悪くても座って謎を出すだけですから、戦闘力に頼らなくていい」


「なるほど……謎かけなら頭痛でも対応できるってことか。頭は痛くても、喋るくらいはできるもんな。しかも、問題に正解されなければ動かなくて済む」


「はい。『動かずに冒険者を止める』という意味では、優秀だと思います」


「よし、それも採用だ。リビングアーマーとスフィンクス、頭痛組の救世主だな」


 カルロスさんは満足げに腕を組んだ。


「あとは……『トラップ設置課』との調整だな。シモン、頼んだぞ」


「もちろんです。前みたいに喧嘩にはならないようにします」


 あの時は、お互い意地を張って余計に事をこじらせてしまった。今回はうまく立ち回らなければ。





 翌日、僕はトラップ設置課の事務所を訪ねた。


「はあ? トラップの数が足りない? おいおい、うちは十分に設置してるぞ」


 こちらの挨拶が終わるより早く、向こうの責任者が声を荒げた。年配の男で、眉間には常にしわが寄っている。トラップに人生を捧げてきた、とでも言いたげな面構えだった。


「ダンジョン攻略が進んでいるのは、そっちのモンスター不調が原因だ。こっちに協力を求めるのはお門違いだな」


 まるで待ってましたと言わんばかりの勢いで責任を押し返される。こっちだって、好きで頭痛になってるわけじゃない。けれど、言い返せば余計に溝が深まるだけだ。


「その通りです。でも、同じダンジョン運営部内で言い争いをしても意味がありません。僕たちは、一心同体のはずです」


 言いながら、自分の声がわずかに震えているのに気づいた。交渉の場で感情をぶつけたら負けだ。冷静に、論理で切り返すしかない。


 しかし、相手は腕を組み、鼻を鳴らしているだけだった。このままでは埒が明かない。


「あれ、シモンさんじゃないですか?」


 不意に聞き覚えのある声が背後から届いた。振り向くと、若い青年がこちらに手を振っていた。整った顔立ちと、控えめな笑顔が記憶を刺激する。


「ラルクくん……!」


 少し前、インターンシップでうちの課に来ていた青年だ。まさか、彼がこの部署に就職していたとは。


「そうか、ここで働くことにしたんだ」


「ええ。やっぱり、ダンジョン運営に携わりたいと思って」


 固い握手を交わし、懐かしさに少しだけ気持ちが緩む。でも、すぐに本題に戻らなければ。


「話は聞いていました。トラップの数が足りていないとか。でも、うちのボスが言う通り、設置数は限界に達しています」


 ラルクくんの声は穏やかだが、内容ははっきりしている。つまり、これ以上の追加は無理ということだ。


「やっぱり、そうか……」


 天井を仰ぐ。無理を通すにも限界がある。もし冒険者の進撃を止めるために新しい手が必要だとしたら、それは……トラップを使わない方法。


 ふと、ある考えが頭に浮かんだ。


「分かりました。では、トラップの設置は不要です」


 言った瞬間、部屋が静まり返った。責任者もラルクくんも目を見開いている。


「え、いいんですか? 一つもなくて」


 ラルクくんが思わず声を漏らす。


「うちの負担が減るなら、問題ない。どう対応するか見ものだな」


 責任者がニヤリと笑った。その目にはまだ軽蔑の色が残っていたが、挑発としてはちょうどいい。


「安心してください。こっちには策がありますから」


 口元だけは自信ありげに笑ってみせた。ハッタリでも、こういうときは効く。


 その足で、僕は次の目的地――ギルドへと向かった。





 ギルドの受付には、ジャスミンさんがいた。今日も変わらぬ笑顔で迎えてくれる。


「やはり、ギルドにも助けを求めに来ましたか」


 彼女はわざとらしく驚いた表情を作っている。おそらく、来ることを予期していたに違いない。


「それで、私は何をすればいいのでしょうか?」


「結論から言います。『トラップを見つけたら、モンスター討伐の倍の報酬を出す』というミッションを追加してください」


 その瞬間、彼女の目が丸くなる。


「え、そんなことしたら、ギルド破産しますよ!?」


 僕は、トラップ設置課でのやりとりを端的に説明する。すべては、冒険者の意識を「モンスター討伐」から「トラップ探し」に変えるため。トラップがなくても「ある」と思わせられれば、彼らは足を止める。心理的な足止めだ。


「なるほど、それなら大丈夫そうですね。レアアイテムのキャンペーンはやりましたが、別の方向で冒険者の行動を操るなんて、さすがです」


 ジャスミンさんの目が一瞬だけ本気のものになる。こうして評価してくれると、なんだか背筋が伸びる。


「さて、早速ミッション追加ですね」


 そう言って、彼女は慣れた手つきでギルドの掲示板に向かっていった。


 よし、これで下準備はすべて整った。


 あとは、モンスターたちの配置と、作戦の最終調整だけだ。





「ほう、そういうことか。シモン、やるじゃないか。あとはリビングアーマーたちの配置だな。こればかりは、エミリーの復帰を待つしか――」


 カルロスさんがそう言いかけたとき、執務室の扉がバンッと勢いよく開いた。


「誰を待つって?」


 軽やかな声とともに姿を現したのは、エミリーさんだった。


「おいおい、大丈夫なのか?」


 カルロスさんが目を丸くする。


「ええ、もちろん。まだ少し頭が痛いけどね。それは、二人も一緒でしょ?」


「まあな」と、カルロスさんが苦笑する。


 僕も小さくうなずいた。季節の変わり目の偏頭痛はまだ続いているが、何よりエミリーさんが戻ってきてくれたのは心強い。


 彼女がいるだけで、現場の士気はまったく違ってくる。


「さあ、冒険者の進撃を止めるわよ」


 その言葉に、カルロスさんが肩をすくめた。


「そのセリフ、俺が言いたかったんだが……」


 普段通りのやりとり。思わず口元がゆるんだ。


 僕たちは再び一丸となって、リビングアーマーとスフィンクスの配置を完了させた。どちらも状態は良好。リビングアーマーは金属が軋むたびに低い唸りを上げ、スフィンクスはじっと前を見据えながら、謎かけの練習をしている。


 そして冒険者たちはというと――


「これ、罠じゃね?」「ああ、明らかにありそうだけど……まさか見つければ報酬倍とはな」


 罠の“存在しない”罠に翻弄され、警戒を強めて慎重な探索を強いられている。もともと大胆な行動力がウリの彼らだが、「報酬倍」の誘惑と「目に見えない危機」によって完全にペースを崩されていた。


 まさに、こっちの思惑通り。


「すべてが終わったら、ボスに報告だな。その役目は、シモンに任せた」


 カルロスさんが言った。


「え、僕ですか?」


「当然だ。今回のMVPはシモン、お前だ。俺が手柄を横取りするわけにはいかないからな」


 少し照れくさいが、嬉しかった。やれるだけのことはやった。あとは、ライルさんに報告するだけだ。





 執務室に入ると、ライルさんはすでに僕の訪問を察していたようで、書類に目を通しながら小さくうなずいた。


「なるほど、事態は収束したわけだな。さすがだ、シモン。給料アップだ」


 思わず、声に出しそうになった。月末の支払いに悩んでいたこのタイミングで、その言葉は救い以外のなにものでもなかった。


「だが、それだけでは終わらない」


「と、言いますと……?」


 ライルさんは静かに、机の引き出しを開けた。中から取り出されたのは一枚の用紙だった。写真付きの人事記録。写っていたのは、見覚えのない若者の顔だった。


「実はな、近いうちにモンスター管理課に新人がやってくる」


「え、この前のインターンシップは、その……」


 言いよどんでしまう。あれは正直、成功とは言えなかった。誰よりも僕自身が痛感している。


「ああ、うまくいかなかった。だが、君と同じくインターンシップなしでうちに来るという変わり者がいてね」


 この職場はクセのある人物ばかりだが、その中でもさらに異端のようだ。


「でも、この話はカルロスさんたちには言ってないんですよね?」


「ああ、その通りだ。この一件は、君に一番に知らせるべきだと思った。なぜなら――君の部下になるからだ」


 ライルさんの言葉に、僕は思わず息を飲んだ。部屋の空気が一瞬で変わる。


「え、僕の部下ですか!?」


 驚きすぎて、声が裏返りそうになるのを必死に抑える。


 ライルさんは無言のまま、重々しくうなずいた。


「最初はカルロスに任せるつもりだった。だが、今回の問題解決にあたって様々な手を使うのを見て、君の成長を実感した。次のステップに進むべき時がきた。さあ、カルロスたちに報告してきなさい」


 正直、いろんな感情が胸を駆け巡っていた。嬉しさ、責任、そして緊張。


 でも、やってやろうじゃないか。


 僕は背筋を伸ばし、執務室のドアを開けた。


 長かった偏頭痛の季節も、どうやら終わりが近いようだ。


 そして、新しい風が、モンスター管理課に吹こうとしていた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?