「さあ、今日は無礼講だぞ!」
カルロスさんはホッとした顔つきで、ビールジョッキを高々と掲げた。その顔には、連日続いた無茶振りの疲労が滲んでいる。だが今は、ようやく訪れた束の間の平穏に身を委ねていた。
「まったく、上層部からの無茶振りもひどかったわね」
エミリーさんが、肩からすべてを下ろすようにぼそりとつぶやく。その口調には、怒りよりも呆れが勝っていた。机に置かれた書類の山も、今日はすっかり片づいている。久しぶりの「平和」だ。
けれど、この平穏がいつまで続くかは誰にも分からない。だからこそ、今だけは笑っていよう──皆の気持ちは、きっと同じだった。
「それで、なんでモンスターたちも一緒なんですか?」
僕はふと気になって、素朴な疑問を口にした。パーティ会場には、なぜかスライムやヴァンパイア、さらにはスケルトンまで顔を並べている。
「そりゃ、人数が多い方が楽しいだろ? こいつらは飲めないけど、日頃の労いも兼ねてさ」
カルロスさんの思いやりとも豪快さともとれる、らしい発想だ。
スライムは机の上の料理をじっと見つめ、ぷるぷると揺れている。ヴァンパイアはすでに手元のトマトジュースにロックオンしていて、グラスを掴む瞬間を今か今かと待っている。スケルトンは──まあ、食べられない。けれど、こうして参加してくれるだけで十分だ。楽しんでくれれば、それでいい。
「さあ、さっさと飲もうぜ。じゃあ、乾杯!」
カルロスさんの元気な掛け声に、皆のグラスが一斉に掲げられた。ジョッキがぶつかる音が小気味よく響き、宴会の幕が上がる。
カルロスさんはグビグビと勢いよくビールを飲み干すと、嬉しそうに「プハー、うまい」と一言。目尻に浮かぶ笑いジワが、どこか少年のようだった。
「ちょっと、早く飲みたいからって……」
エミリーさんは少し呆れていたが、怒りの気配はなかった。むしろ、肩の力が抜けてリラックスしている様子だ。
「シモンもくつろげ。今くらい、仕事のこと忘れちまえ!」
「じゃあ、遠慮なく」
僕も笑って返し、料理に手を伸ばす。山盛りの唐揚げ、アヒージョ、ダンジョン特産のキノコ炒め──どれも美味しそうで、食欲が刺激される。
ふと横を見ると、スライムがこちらを見つめている。丸い体が、まるで「ちょうだい」と言っているように揺れていた。
「これかい?」
皿に乗ったサラダを差し出してみるが、スライムはぷるぷると横に揺れて拒否の意思を示す。
「じゃあ、これか?」
カルロスさんがいたずらっぽくビールジョッキを差し出す。その瞬間──スライムが突如飛びかかり、ジョッキを丸ごと包み込んだ。
シュルッ、と音がして、ジョッキの中身は一瞬で吸い取られていた。
「おいおい、俺のビールどうしてくれんだよ……」
カルロスさんは呆気に取られながらも、どこか笑っていた。まさかの展開に、僕たちも思わず笑いそうになる。
「カルロスが悪いのよ。あれ、そのスライムおかしくないかしら……?」
エミリーさんの指摘でスライムを見ると──黄色くなっていた。
えっ、黄色!?
「こりゃ、ビール飲んだから色がついたのか?」
カルロスさんは酔いが回っているのか、深刻そうな様子はなく、むしろ面白がっている。
「ちょっと、私のスライムに何してくれるのよ! ねえ、大丈夫?」
エミリーさんがしゃがみ込み、スライムの目線に合わせて話しかけた──その瞬間だった。
スライムがぶしゅっと泡を吹き出した!
「キャッ、どうなってるの?」
泡に足を取られたエミリーさんが、見事に尻もちをつく。
「もしかしたらですけど……ビールを飲んだことで、泡での攻撃ができるようになったのでは?」
自分でも言っていて馬鹿らしいと思ったが、他に説明のしようがなかった。
「お、いいじゃないか。スライムの攻撃にバリュエーションが増えたぞ!」
カルロスさんの目が、急に真剣味を帯びる。さっきまでの宴会ムードが、どこか業務モードに切り替わっていた。
──おい、仕事のことは忘れるって言ってた本人が一番やる気出してるじゃないか。
「さて、こいつをどう配置するかだが……」
カルロスさんが話し始めたところで、スライムが彼にぴたっと張り付き、体をがっちり拘束した。
ジョッキが床に落ち、ガシャンと割れる。
「おいおい、勘弁してくれよ!」
「あなたがビールを飲ませたから、悪がらみするようになったんでしょ。自業自得よ」
エミリーさんはため息混じりに言い放ち、近くのスケルトンたちはそっと距離を取っていた。まるで「自分も巻き込まれたくない」と言わんばかりに。
「動かないでください。今、なんとかしますから」
僕は慌てて水を注いだグラスをスライムのもとへ持っていき、そっと飲ませる。
やがてスライムの体から黄色がゆっくりと薄れていき、もとの無色に戻った。カルロスさんからもぴたりと離れ、静かに場に戻っていく。
「シモン、よくやった。よし、スライム。もう一度、泡で攻撃だ!」
命令に応じて、スライムは口を開ける──が、泡はもう出ない。ただ口をぽかんと開けて、間の抜けた表情をしている。
「え、もうできないのか!?」
「カルロス、酔いがさめたんだから当たり前でしょ。これで一件落着ね」
エミリーさんは、スライムの頭──というか体全体を、優しくなでてやった。その顔はどこか母親のように柔らかかった。
──きっと、これでよかったんだ。
もし本当に泡攻撃が定着してしまったら、お酒臭い泡に冒険者たちは幻滅するだろうから。