「よし、みんな揃ったな。朝のミーティングの時間だ」
カルロスさんが威勢よく言い放つが、少なくとも僕の記憶の中で“朝のミーティング”が行われたことは一度もない。これは……そうか、アーノルドくんが配属されたからか。先輩らしく振る舞いたい、という気持ちが透けて見えて、少し微笑ましい。
「ギルドからの資料を渡すぞ」
カルロスさんが配った報告書の表紙には、見慣れぬタイトルが大きく記されていた。
《キョンシー問題について》
「キョンシーって、遠い地方のモンスターですよね。確か、腕を前に突き出して、ぴょんぴょん跳ねるんでしたっけ」
昔、モンスター図鑑で見た記憶が甦る。紙面のイラストが頭に浮かぶようだった。
「ええ、シモンの認識通りよ」と、エミリーさんが頷く。
「でも、何が問題なわけ?」
カルロスさんは大げさに咳払いをひとつしてから、資料の一部を指さした。
「奴らの動きを封じるための『お札』が売れてないらしい」
「え、つまりキョンシーが問題ってより、お札の売上が問題ってことですか?」
アーノルドくんは、きょとんとしている。
「それもまた我らの業務の一環ってわけだな」
まったく、モンスター管理課というのは不思議な仕事だ。戦うでも、討伐するでもなく、モンスターと人間のバランスを調整するのが仕事。その中には、アイテムの経済状況すら含まれている。
「アーノルドくん、キョンシーについて詳しいかい?」
「シモンさんほどじゃないですけど……。額にお札を貼ると、動けなくなるはずです」
「うん、上出来だ」
そう言いながら、僕は内心で舌を巻いていた。新米だった頃の僕より、よほどしっかりしている。これは先が楽しみだ。
カルロスさんが話を再開する。
「今、あいつらを森に配置してるんだ。木の陰から不意打ちできるようにな。で、ある冒険者が思いついたらしい。『跳ねるモンスターなんだから、森の中にロープを張れば転ばせられるんじゃ?』ってな」
冒険者としては見事な発想だが、僕たちにとっては悩みの種だ。彼らの工夫のせいで、お札がまったく売れない。
「えーと……。それなら、ロープの値段を上げてはどうでしょうか?」
アーノルドくんが慎重に提案する。まっすぐで素直な考えだ。
「それじゃ、ダメなんだ」
僕はやんわりと否定する。
「ロープを値上げしたら、負けを認めたことになる」
「なるほど、沽券に関わるというわけですか……。よく考えたら、日常生活にも影響しますね」
「その通り。僕たちの仕事は、繊細なバランスの上に成り立っているんだ」
今回の一件、どうにかして冒険者の鼻をへし折りたい。そして、できれば笑える形でやりたい。これは意地でもあり、誇りでもある。
「ちょっと時間をください。対策を立てますから」
僕は教育場に足を運ぶことにした。何かヒントがあるかもしれない――そんな直感があった。
「キョンシーの配置を変えますか?」
教育場でしばらく眺めたのち、アーノルドくんがぽつりと提案する。的確な視点だが……。
「ナイスアイデア――と言いたいところだけど、それもまた負けを認めたことになる」
「シモンさん、この仕事に誇りを持っているんですね」
「え?」
「だって、相手に有利な条件で戦おうとしてるじゃないですか」
彼の言葉に、少しドキリとした。そうか……僕も、成長してるのかもしれない。
でも、だからといって妙案がすぐ出てくるわけではない。
ぼんやりと跳ね回るキョンシーを見つめていると、ふいにその動きが、ある運動に重なって見えた。
「反復横跳びだ」
「へ? 反復横跳び?」
「そう。体育の授業とかでやったよね。地面に引かれた線をぴょんぴょん越えるやつ。それを応用するんだ。低く張ったロープを跨ぐよう、キョンシーに跳ばせるんだよ」
「でも、それって……冒険者の思い通りの展開じゃないですか?」
「うん。そこがミソ。あえて、そう見せかける。でも、仕掛けはその先にある」
僕は口元に笑みを浮かべた。
「冒険者たちは、『跳んでるキョンシー』に苛立って、近づいてくる。そして、キョンシーの足元には……」
「落とし穴!」
「正解。こうすれば、お札を使った方がコスパがいいと気づかせられる」
「さすがです、シモン先輩!」
アーノルドくんが目を輝かせる。
「褒めても何も出ないよ。さあ、カルロスさんたちに報告に行こう」
照れ隠しに口をつぐみながら、僕は歩き出す。
ふと、後ろから声がかかった。
「僕も、シモンさんのようになれるのかなぁ」
その言葉に、思わず立ち止まり、振り返った。
「大丈夫、心配ないよ。君なら、きっとなれる。焦らず、ひとつずつでいいんだ」
そのとき、彼の笑顔が少しだけ大人びて見えた。きっと、彼は成長していくのだろう。そして、僕も――
上司として、先輩として、彼に負けないように進まなくてはならない。
モンスターと共に歩むこの奇妙な職場で、今日もまた、確かに一歩が刻まれたのだった。