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ポキト村

「ねえ、もう日が落ちてきたよ」


 ステマが言うと、シゲは足を止めた。すぐそこには、小さな村が見えている。その入口には、『ポキト村』と書かれた、ぼろぼろの看板が立っていた。ステマは祈るような気持ちでシゲの横顔を見つめる。


ステマとシゲは、順調に歩き続け、『静寂の森』のすぐ近くまで来ていた。ステマは、ここまで長く歩いたのは初めてだった。運動が苦手なわけではないけれど、旅が初めてのステマにとって、日が昇ってから沈むまで歩き続けるというのは、骨が折れることだ。


「この村で宿を探すか」


視線の先にある村を指さすシゲに、ステマはほっとする。


そしてそんな自分を、少し情けなく思った。


 村に一歩足を踏み入れると、のどかな光景がステマたちを迎え入れた。


 沈む寸前の夕日に照らされた畑には麦の穂が揺れていて、ぽつぽつと建っている家からは、夕食の温かい香りが漂っている。


 いかにも、家庭的な空気がそこにはあった。そのお陰か、ステマの心は少し軽くなる。気が付かないうちに緊張していたようだ。


「旅の人?」


 後ろから声をかけられて、ステマとシゲは同時に振り返る。


 そこには肩に青い小鳥を乗せた、やや小柄な少年が立っていた。どうやらこの村の人らしい。彼は、いぶかしむようにステマたちを見ている。怪しまれているのかもしれない。


「はい。今夜、泊るところを探しているところです」


 シゲは、少年に笑いかける。でも少年は、にこりともしない。しかめっ面をしたまま、腕を組んでいる。


 これは、完全に怪しんでいる。


「どう思う?」


 少年は、シゲの顔をじっと見つめてから小鳥に話しかけた。


 ピピ!


 小鳥は少年の言葉に反応するように、笛のような鳴き声を響かせる。


「そうか……わかった」


 少年はまた、小鳥に向かって言葉を発している。ステマは、シゲの腕を突く。


 ――この人、鳥と話してる。


 口だけ動かしてそう言うと、シゲは小さく首を振った。気にしてはいけないと言いたいのだろう。


「ねえ」


 いきなり少年に話しかけられて、ステマとシゲは身体をびくつかせた。こそこそと話していたステマたちの態度が気に障ったのかもしれない。


「ごめんなさい!」


 ステマは、咄嗟に謝る。でも、少年は怪訝な顔をして首を傾げた。


「何で謝ってるの?」

「え、いやぁ、その……」


 予想外の反応に、ステマは言葉を詰まらせる。その間にも、少年の眉間の皺は深くなっていて、ステマは余計に何も言えなくなった。小柄だというのに、少年からは謎の威圧感を覚える。


……というより、単純に顔が怖い。


ピー!


 突然小鳥が、少年の髪を嘴で引っ張る。少年は、はっとしたような表情をして、ステマに問いかけた。


「もしかして、俺の顔、怖い?」


 そう言う顔が怖過ぎて、ステマは「そんなことないです」という言葉がぱっと出ない。少年は悲し気な顔をして言う。


「俺、難しい顔をするのが癖になっちゃってるんだ。この村に旅人が来ることが珍しいから、つい、じっと見ちゃったけど、全く怒ってないから」


 少年は慌てて弁解している。その様子を見ているうちに、ステマの心の中で、少年が怖いという印象が薄れていった。


「もしよかったら、家に泊まってってよ。宿、探してるんだろ?」


 それどころか、こんなことまで言ってくれる少年は優しい人に違いない。


 ステマの少年に対する感情は、この時にはもう、がらりと変わっていた。


「俺の名前はアキだ」


 家に向かう道中、少年はそう名乗った。ステマとシゲも自己紹介を済ませると、少年――アキは肩の上の小鳥に目を向ける。


「こいつはシエル。俺の相棒」


 シエルは挨拶をするかのように羽を広げる。その羽は、美しい空色だ。ステマは思わず、その色に見とれてしまった。


「綺麗だろ」


 アキは嬉しそうに言う。普段から、こういう顔をしていればいいのに、とステマは彼の横顔を見ながら思った。


「着いたぞ」


 話しているうちに、家に辿り着いたようだ。アキは、小さな家の前に立ち止まった。


「お兄ちゃん、お帰り!」


 アキが家のドアを開けた瞬間、小さな女の子が飛び出してきた。丸くて大きな目が可愛らしい。


「この人たち、だぁれ?」


 女の子が小さな指をステマとシゲに向ける。アキは「こらっ」とそれを窘める。


「コウ、人を指差すのはダメだ」

「ごめんなさぁい」


 二人は兄妹だろう。仲も良さそうだ。二人のやり取りを見ていると微笑ましい気持ちになる。


「お客さんか」


 家の中から、中年の男性が顔を覗かせる。雰囲気がどことなくアキと似ているから、彼の父親だろう。


「うん。今夜泊るところを探してるんだって」

「そうか。今日の晩御飯はにぎやかになりそうだな。……さぁ、どうぞ。上がって」


 アキの父は、ドアを開いてステマたちを招き入れてくれる。


「お母さんが作るご飯、おいしいんだよ!」


 コウと呼ばれていた妹が、弾けるような笑顔で言った。


「お邪魔します」


 家の中に入ると、アキの母が夕食の準備をしていた。彼女がかき混ぜている鍋には、たっぷりとシチューが入っている。部屋中に漂う、シチューの優しい香りをかいだことで、ステマの腹の虫が嬉しい悲鳴を上げた。


 リンもお腹が空いているのか、鼻をひくひく動かしている。


「猫ちゃんは、何が好きなのかな? 私、猫ちゃんにご飯あげたい!」


 コウがリンを撫でながら言う。


「食べ物なら、何でもよく食べるよ」


 ステマは答える。リンは、本当に何でも食べる。肉や魚はもちろん、野菜を与えてみた時も美味しそうに食べていた。旅の間は、干した肉やチーズなどをあげていたが、リンは満足した様子だった。何でも食べる分、ステマはリンの好みがよくわからない。


 ステマは、とりあえず荷物の中から干し肉を取り出してコウに渡そうとした。でもコウは、それを受取ろうとはしない。


「どうしたの?」

「これって、大事な食料だよね? 取っておいた方がいいよ」


 どうやら、ステマたちの食糧事情を気にかけてくれているらしい。小さいのに、そこまで気が回るなんてすごいと感心しつつも、ステマは言う。


「ありがとう。でも、泊めてもらううえに、リンのご飯までもらっちゃったら悪いわ」


 それでも、コウは「取っておかなきゃダメ!」と譲らない。


「遠慮しなくていいのよ。この子も、あなたたちが来てくれて楽しそうだし」


 アキの母がそう言ってくれたから、ステマはありがたく好意を受けることにする。


(良い人たちに会えてよかった)


 ステマは、談笑しているアキたちを見て思った。


 コウは、しばらくリンの好みについて考えていたけれど、突然「あ!」と声を上げてアキを見た。


「そうだ、お兄ちゃん。リンちゃんに何が好きか訊いてみてよ!」

「おお、そうだな」


 アキは軽く答えると、リンに近付いた。そして、しゃがみ込んでリンに視線を合わせている。


「お兄ちゃんはね、魔法で動物や植物とも話せるんだよ! シエルとも、いつも話してるの」


 コウが得意げに言う。


(あぁ、それで……)


 ステマは、さっきシエルと話していたアキの姿を思い出して納得する。てっきり、アキのことを鳥と会話できるつもりになってしまっている、ちょっとアレな人なのかと思ってしまっていた。


 それにしても、珍しい魔法だ。動植物と話せる魔法を使う人は、今まで見たことがない。


「珍しい魔法を使うんですね」


 シゲもステマと同じことを考えていたらしい。そう言って、アキのことをそわそわと見つめている。


「別に珍しくはないさ。俺の主力魔法は〝翻訳〟魔法だ」


 アキの言葉に、ステマとシゲは顔を見合わせた。


 主力魔法とは、その人が一番得意とする魔法のことだ。主力魔法は、大体十歳頃までには確定していく。例外はあるものの、大抵の人は主力魔法は一つに絞られていくものだ。


 ステマの場合は光魔法がこれに当たる。暗闇で光球を作りだしたり、雷を操ったりと、“光”に関する魔法が得意だ。シゲは氷魔法が主力魔法で、氷を作りだしたり、操ったりすることに長けている。


 そして、アキの主力魔法である翻訳魔法は、言葉が通じない相手と話すことができるようになるという魔法だ。主に、外国の人と話すのに役立つ。外国語が一切わからなくても、言葉で不自由することがないから、旅をする人間にとっては便利な魔法だ。


 翻訳魔法が主力魔法という人は、結構たくさんいる。身に着けておくと何かと便利なため、習得しようとする人が多いのだ。でも、アキのように翻訳魔法を動物に使う人を、ステマはこれまで見たことがない。


「俺は、動物や植物が好きなんだ。だから、人間以外にも翻訳魔法が使えるのか、試してみた」


 そしたら何と、会話が成り立ったらしい。


「おーい、お前の好きな食べ物は何なんだ?」


 アキは優しくリンに尋ねる。


 ニャア。


 リンは、アキの問いに答えるように、一声鳴く。リンはまるで、アキの言葉をわかっているようだった。ステマの胸に期待が広がっていく。


「あれ?」


 しかし、アキは首を傾げた。


「おかしいな……。俺の言葉が伝わってる感覚はあるのに」

「リンちゃんの言葉、わからないの?」


 コウが驚いたように言う。アキは、何やら考え込んでいる様子でリンを撫でている。ゴロゴロという呑気な音が、リンの喉から鳴った。


「もしかしてこの猫、何か特別な能力あったりしない?」

「ないと思いますけどねぇ……」


 アキにそう言いつつも、ステマは内心、リンには本当に何か力があるのかもしれないと思っていた。リンを見た時のリベロの顔が、どうしても脳裏にちらつく。


「まあ、誰にでも失敗はあるさ」

「そうよ。さぁ、ご飯にしましょう」


 アキの両親は、口々に言って、シチューを器に盛付けていく。


「こんなこと初めてだ」


 湯気が立ち上る器を前にしても、まだアキは釈然としない様子で呟いていた。


「いただきます」


 シチューを口にしたステマは、思わず笑みを漏らした。温かい。夕方の風に吹かれて冷えていた身体が、中心からほぐされていく気がする。


 口の中でほくほくとしている芋を飲み込む。やっと、人心地着いた気分だ。


「美味しいです」


 シゲが幸せそうな顔をして言うと、アキの母は「嬉しいわぁ」と目を細めた。リンは結局、ミルク粥を作ってもらって、ちびちびと食べている。しっぽがくるくる回っているところを見ると、気に入ったようだ。


 夕食の時間は和やかに流れていく。ステマはしばしの間、旅のことを忘れていた。


「それにしても、どうしてこんな辺鄙へんぴなところに来たんだ?」


 アキがステマたちに問いかける。


「ちょっと、この先に行きたい場所があって」


 ステマは詳しい事はぼかして答えた。リベロの話だと、魔石の在り処を知っているのは、リベロとステマ、そしてシゲの三人だけだ。ゼドを封印できるほどの力を持ったものとなると、魔石の情報はできるだけ隠しておいた方が良いような気がした。


「何をしに行くんだい」

「探し物を見つけに」


 アキは続けて質問をしてくる。シゲが答えると、「宝探し?」とコウが目を輝かせた。


「宝探しではないけど、すっごいものを探しに行くんだよ」


 ステマが言うと、コウは「いいなぁ」と無邪気にはしゃいでいる。アキの両親もそれを微笑みながら見ていたが、アキだけは険しい顔をしていた。


「――『無限の魔力』を探しに行くとか?」


 アキがそう言った瞬間、食卓から笑いが消えた。


アキも、アキの両親もシチューを食べる手が止まっている。コウだけが、何も気にしていないようにシチューを食べ続けていた。そのカチャカチャという、食器の音だけが部屋に響いている。


 それは、何だか異様な空気だった。先ほどまでの、和やかな雰囲気はどこかにいってしまっている。


「お母さん、お代わり食べたい」


 コウだけは、さっきまでと変わらず明るい声で話している。それでも、急に重くなった空気が元に戻る気配はない。


 一体、何なのだろう。


 ステマはこの雰囲気に居心地の悪さを感じる。アキは、徐にスプーンを置き、低い声で言う。


「君たち、『静寂の森』に行くの?」

「え?」


 どうしてそれを知っているのだろう。ステマは目を丸くした。


「ごめん。さっき、君のカバンが開いてて、中身が少し見えちゃったんだ。その時、地図の一部も見えて……『静寂の森』のところに印が付いてるのが気になった」


 ステマは、はっとする。そういえば、さっき干し肉を取り出した時に、カバンの口を閉めた記憶がない。


「気にしないようにしてたんだ。地図の印のことも、忘れるつもりだった。君たちがどこに行こうと、俺たちには関係ない。そう言い聞かせた。……でも、やっぱり無理だ。見過ごせない」


 無限の魔力とは何か。


 ステマは尋ねようとしたが、アキの母はその時間を与えてはくれなかった。


「どうして、そんなに魔力がほしいの? どうして、力のために危険を冒すの? 小さな幸せを大切にできないの? あの子もそうだった……。ねぇ、どうして?」


 そう言って、彼女は泣きだしてしまう。


「私たちは、その『無限の魔力』には――」

「とにかく……! 『静寂の森』には入るな。君たちの手に負える場所じゃない」


 アキはシゲの言葉を遮る。問答無用という感じだった。


「明日、馬を借りてこよう。君たちを家に送ってあげるから」


 アキの父も、ステマたちの話を聞くつもりはないらしい。


「さあ、この話はこれで終わりだ」


 アキの父は、別の話をし始めたけれど、どこか無理をしている様子だった。そのせいで、夕食の席はぎくしゃくしてしまっている。


「ねえ、皆どうしたの? 何の話してたの?」


 コウが困惑した様子で言う。


「コウ。その話は終わりだ」


 アキにぴしゃりと言われて、悲しそうにしているコウの視線が、ステマの方を向いていた。


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