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新たな目的地


 『静寂の森』から帰ってきて二日ほど、ステマとシゲはアキの家で過ごした。


 サンは家族と、会えなかった時間を埋めるように話している。コウも、もうすっかりサンがいることに慣れたようで、甘えたような素振りを見せていた。サンは、そんな妹が可愛くて仕方ないらしく、ずっとべったりだ。


「俺はもう十分過ぎるくらい、素晴らしいものを持っていたんだな」


 サンが呟く。


 アキは、そんな兄と妹を、少し離れたところから見つめていた。


 一方、ステマとシゲは次の目的地を決めるべく話をしていた。


「次の目的地は『鏡の湖』でいいかな」


 ステマは、テーブルに地図を広げながら言う。


「いいと思う。『闇の丘』から行くと、だいぶ遠回りになるし。後は……」


 シゲはリンを見る。リンは『静寂の森』で、ステマたちを魔石のところまで導いてくれた。きっと、リンはステマが知らないことを知っている。だから、リンの意見も確認しておきたかった。


(とは言え、猫だしなぁ……)


 ステマは溜息を吐く。どうしたって、意志の疎通が難しい。アキもリンとだけは、なぜか話せないようなので、通訳を頼むわけにはいかない。『静寂の森』に行く前のように、また話してくれたらいいのにとは思うが、あれ以来、リンが人の言葉を話すことはなかった。まぁ、あれは寝ぼけたステマが見た夢だった可能性も捨てきれないが。


 ニャア。


 ステマが何度目かの溜息を吐いた時、リンがステマに近付いてきた。そして、テーブルに飛び乗ると、地図の上に前足を置いた。


「あ!」


 ステマは、シゲを見る。目が合うと、シゲは頷く。彼女もステマが言いたいことをわかっているようだ。


「『鏡の湖』で決定だね」


 ステマは言う。


 リンの地図の上の前足は、『鏡の湖』の場所に置かれていた。


「次の行先、決まったのか」


 アキが地図を眺めながら言う。


「次の場所も危険なのか?」

「わからない」


 ステマがそう答えると、アキは怖い顔をする。でも今は、彼が心配してくれているのだということがわかる。


「大丈夫だよ。私たち、一つ目の魔石、ちゃんと見つけられたんだから」


 ステマは、ポケットの中の魔石をそっと触る。ひんやりとした手触りが自信をくれる。


「不安になってばかりじゃいられないしね」


 シゲも伸びをしながら言った。


「それもそうだな」


 アキはぎこちなく微笑む。何やら、思い悩んでいるようだった。


(どうしたんだろう)


 ステマは、アキの様子が気になりつつも、次第に次の目的地のことで頭がいっぱいになっていった。


 結局、ステマとシゲは、次の日にアキの家を出発することに決めた。十分休ませてもらったし、長居をしてしまうと、彼らと離れがたくなってしまう気がしたからだ。


「明日、出発しようと思います。本当にお世話になりました」


 ステマがそう言うと、コウは落ち込んでしまった。


「もう行っちゃうの?」


 潤んだ瞳に見つめられて、ステマは思わずコウを抱きしめてしまう。


「うん。私たち、やらなきゃいけないことがあるの」


 ステマは、コウの頭を撫でる。


「それなら……二人の旅を応援しないとね」


 アキの母は、そう言ってたくさんのご馳走を作ってくれた。根菜をカラッと揚げたもの、鶏肉のソテー、玉ねぎのスープ。それに、果物まである。ステマとシゲは、唾を飲み込む。こんなに豪華な食事は久しぶりだった。


「すごい……」


 ステマは、思わず心の声が漏れる。


「二人は私たちの恩人だもの。これくらい当然よ」


 アキの母に勧められ、ステマたちは食卓に着く。


 ステマは、スープを一口飲む。ほっとする味が、口の中に広がる。


「ねえ、静寂の森で、どんなことが大変だった?」


 コウが興味深々と言った様子で訊いてくる。


「うーん」


 シゲは、しばらく考えていたが、にっこりコウに微笑みかけて言った。


「魔物の大群に囲まれた時かな。でもね、アキが颯爽と助けに来てくれてね」

「私たちだけだったら、きっと先に進めなかったよ」


 ステマも言うと、コウはぱぁっと顔を輝かせる。


「お兄ちゃん、活躍したんだね。すごい!」


 しかし、妹から尊敬の眼差しを向けられても、当の本人はどこか上の空だった。


「お兄ちゃん?」

「何でもない」


 そう言いつつ、アキは一人難しい顔をしている。何もないわけがない。ステマは、「どうしたの? さっきから何かおかしくない?」と問いかけてみた。


「いや……」


 アキの表情からは迷いが感じられる。言いたいことがあるけれど、言って良いのかがわからない。そんな様子だ。


 しかし、それも長くは続かなかった。アキは胸に溜まっていた空気を吐き出すと、顔を上げた。そして、緊張した面持ちで言う。


「――俺も、残りの魔石を探しに行きたい」


 アキの発言の後、皆の会話が途切れる。しんとした空気の中、アキの母が小さく「は……?」と呟くのだけが聞こえた。


「アキが行く必要、ないでしょう?」


 母の言い方には、どこか棘がある。でもアキは「必要ないけど、行きたいんだ」と譲らない。


「あれからずっと、考えてたんだ。俺も、国のために何かするべきなんじゃないかって」

「そんなこと考えなくて良いのよ」


 アキの母は、すかさず言い聞かせる。


「でも、ステマとシゲはたった二人で、ゼドに立ち向かおうとしてる。国の未来を本気で考えてる人じゃないと、そんなことはできないはずだ。その姿を見て、俺、この国の民としてこのままで良いのかなって疑問に思ったんだ」


アキの言葉を聞いた瞬間、ステマは頭を殴られたような錯角を覚えた。


(違う)


 ステマは、アキに心の中で言う。この旅は、自分のために始めたものだ。リベロから、解き放たれたくて、旅を引き継いだのだ。


(そんな、大層な志なんてない)


 ステマの胸に、苦いものが広がっていく。


「本気で言ってるのか?」


 アキの父は静かに、ただ一言問うた。


「本気だよ。だって、俺はこの国で暮らす人が好きだから」


 アキの目はとても澄んでいる。


 そんな彼の目を、ステマは真っ直ぐ見ることができなかった。


「やっぱり……アキは俺の弟だな」


 張り詰めた空気を壊したのは、サンだった。彼は徐に立ち上がると、部屋を出て行く。


 少しして戻って来た彼は、一本の剣を手にしていた。


「これをアキにやるよ」


 サンはアキに剣を手渡す。アキは、剣を鞘から取り出した。シュッという小気味良い音が微かに鳴る。剣は美しく鍛えられていた。真っ直ぐな刃は、部屋の明かりを反射して白く輝いている。きっと、腕の良い鍛冶職人が作ったものなのだろう。


「これは?」

「俺の幼馴染の鍛冶屋のリョウが作ったものだ。アキも会ったことがあるはずだけど……まだ小さかったから、覚えてないかな」


 サンはアキに言う。


この剣を作った職人――リョウとサンは、歳が同じということもあり、結構仲が良かったそうだ。


「リョウは熱心なソルディアス信者でね。彼は常々、ソルディアス王国の復活を望んでいた。彼は言った。『国を変えるには、国民の大半が本気にならなければいけない』と。だから、彼はせっせと街に行っては、ゼドの政治の異常性を訴えていた」


 しかし、それで国民の意識を変えようという方が難しかった。元々ゼドを信仰していた人々はきく耳を持たないし、信者ではない人々もゼドを恐れて、必死に本音を隠していた。


「でも彼は諦めなかった。だから、ゼドに消されてしまったんだ」


 ある日、リョウは街に行ったきり、帰ってこなかったそうだ。繰り返しゼドの批判を行っていたため、ゼドの周辺の人間に捕まったと考えられた。


「彼がいなくなって、しばらくした時、彼の家族が俺にこの剣をくれたんだ。剣には手紙も添えられていたよ」


 サンは、手紙の内容を空で読み上げた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 サンへ

 君がこの手紙を読んでいるということは、僕の身に何かがあったんだろう。

 まぁ、それは仕方ない。覚悟の上で、やっていたことの結果なら、僕は喜んで受け入れるさ。

 そこで、君に僕の剣をあげよう。これは、僕の最高傑作だ。これが君の役に立ったら嬉しいよ。


 この国はおかしい。

 国民が恐怖に怯え、自由がない。かつての美しいソルディアス王国を復活させるべきだ。

 僕は現代のソルディアス様となり、国を救いたかった。だけど、それはもうできない。

 サン。君が僕の代わりに、ソルディアス様になってくれないか? 頼む。君だけが頼りなんだ。

 僕が生まれ変わって、この国に戻って来た時、国民が笑顔で暮らしているような国になっていることを願っている。


                         リョウ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「この手紙を読んだ俺は、彼の意志を引き継ぎたいと思った。彼の死を無駄にはしたくなかったからね。だけど、俺にはソルディアス様になれるだけの力がなかった。国を救わなければと思えば思うほど、己の無力さ、凡庸さを思い知らされた。あの頃、俺はどうにかしていたんだと思う。そのうち、俺は国を救うということよりも、ただ強い力を持つことに執着するようになってしまった」


 それがあの結果だ、とサンは自嘲する。


「だけど、アキは一人じゃない。だろ?」


 サンの言葉に、アキは頷く。


「だったら大丈夫だ。真剣に国を変えたいと思って行動できる仲間と一緒なら」


 ――あなたのためでも、国のためでもない。私のためにやるの。


 サンの声を聞きながら、ステマはリベロに言ったことを思い出す。あの時、ステマは自分のことしか考えていなかった。もちろん、ゼドを封印するという目的は全力で果たすつもりだ。でも、その行動原理は「国のため」というものではない。これで良いのだろうかという不安がステマを襲う。


(私が背負いこんだものは、私だけのものじゃなかったんだ)


 それどころか、国民全員の未来が変わるものなのだ。今更ながら、ステマはそれを実感した。


「アキも一緒なら、心強い。仲間は多い方が良いからね」


 シゲは「ねっ」とステマに笑いかける。ステマは、咄嗟に明るい表情を作り、頷くしかない。


「父さん、母さん」


 アキは、心配そうな顔をしている両親に向き直る。


「俺は、ステマとシゲと、ゼドを封印しに行く」


 その手に握られた剣は、鋭い光を放っている。


「やっと、家族全員がそろったのに……」


 アキの母が顔を覆う。その肩に手を置きながら、アキに言う。


「行くからには、必ずやり遂げろ」

「わかってる」


 アキは、はっきりと応える。


「必ず、ゼドを封印して帰ってくるよ」


「これからもよろしく、アキ」


 シゲはアキと固く手を結ぶ。ステマも、彼が仲間になってくれることは、心底嬉しい。だけどそれ以上に、心苦しさを感じる。


「ステマもよろしく」


 自分に差し出された手を握り返している間も、ステマは思っていた。


 本当に、私はこの国を背負えるのだろうか、と。


 そんなステマの心を見透かすように、リンが美しい瞳で、彼女をじっと見つめていた。


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