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第5話 微かな違和感と予感

 朝早くから厩舎で馬に飼い付けをしていると、アレクが顔を覗かせてきた。


 「今日はここにいたんだ」

 「うん、この時間は毎日ここにいるの」


 彼の敬語じゃない話し方も今は定着し、憧れの”親友”という関係になれるのも時間の問題かもしれないと思うと、アレクと話している時間がなんだか楽しくなってくる。

 両親も彼にはすっかり心を開いていて、アレクが来るのが当たり前のようにもてなしていた。


 「重いでしょ。僕も手伝うよ」

 「ありがとう」


 最初の方こそ声も大きくてぎこちなかったけれど、今は自然と会話する事が出来るようになったし、色んな事を一緒に手伝ってくれる仲間だ。

 伯爵邸の仕事もあるのに手伝ってもらっちゃってなんだか申し訳ない気持ちも持ちつつ、顔を見せてくれるのは嬉しい。

 飼い付け用の大きい木桶を一緒に持ってくれたのだけれど、毎朝私は持つのがやっとなのにアレクは軽々と持ち上げていて、さすがに腕力の違いがあるのだなと感心する。


 背も高いので当たり前か……と思いつつ、2人で持っているので距離が近くて落ち着かない。


 相変わらずぼさぼさ頭は変わらず、その髪型でよく目が見えているなと思えるほどなのに、当の本人は全く無頓着で整える気配はない。

 飼い付けが落ち着いたので木桶を下ろすと、少し好奇心もあり、彼の前髪について聞いてみる事にした。


 「ねえ、アレクはその前髪を切る気はないの?」

 「え?あ、いや、これはこれでいいんだ。僕は人と視線を合わせるのが苦手だから」


 それは私と合わせるのも苦手という事?と喉から出そうになる言葉を飲み込む。

 まだ一、二カ月やそこらでは苦手意識を払拭するにはいたっていないという事なのね……親友から遠い気がして、思いの外残念に思う自分がいる。


 でもちょっとくらいなら、と淡い期待もかけて、アレクに聞いてみる事にした。


 「少しだけ、前髪を上げてほしいなーなんて。ダメ?」

 「え!いや、その………………ぃぃょ……」


 私に聞こえるか聞こえないかで返事をしたアレクの小さな声をしっかりと私の耳は拾い、心の中で歓喜する。


 「やった!よろしくお願いします!」

 「う、うん……じゃあ、いくよ?」


 アレクの言葉に力強く頷くと、彼の手によってゆっくりと前髪が開かれていく。

 私は近づいて下から覗き込んでみると、サファイアのような美しい青の瞳が顔を出し、思わず見惚れてしまう。


 「綺麗……」

 「も、もうおしまい!」

 「え、あ、ちょっと!早い~~」


 照れなのか何なのか、あっという間に前髪が下りてしまい、美しい瞳は隠されてしまったのだった。

 こんなにキレイな目なのにどうして隠すのだろう?


 正直美形だ。驚くほどに美形で、内心はバクバクしている。


 髪で隠す必要などないのでは?いや、でも顔を出してアレクに人気が出るのも…………そこまで考えてフッと我に返る。


 人気が出るのは良い事なのでは?

 親友ならば喜ぶべき事で、嫌がる必要などないのに。

 よく分からない自分の思考を振り払うように、アレクの目を見た感想を率直に述べる事にした。


 「とても綺麗な目をしているのに、隠す必要はないんじゃない?前髪上げたら凄く人気出るわよ。私がセットしてあげようか?」

 「いやいや、そんな事ないよ!僕が人気とか……ありえない」


 自身の手で口を隠しながら人差し指で顎をポリポリかいているアレク。

 照れているんだろうか。

 ちょっと可愛いなと思いつつ、この仕草はどこかで見た事があるような気がする。


 そうだ、レイノルドも照れた時にこういった仕草をしていたはず。


 せっかく生まれ変わったのにまだ前世の好きだった男と重ねてしまうなんて、アレクにも失礼極まりないわ……まったく私は何を考えているのだろう。

 自己嫌悪に陥っているところに、一瞬で全ての憂いを洗い流していくような言葉が降りそそいでくる。


 「僕はリオーネ以外と仲良くなる気はないし、今のままでいいんだよ」

 「そっか」

 「うん」


 えーと、こういう時はなんと言えばいいのだろう。

 アストリーシャであった時にも経験した事のない状況に、言葉に詰まってしまう。


 そんな微妙な空気が漂う厩舎に、突然お母様の声が響き渡った。


 「二人とも、そんなところにいたのね」

 「お、お母様!」

 「奥様!」


 「あら?お邪魔だったかしら?」


 「「違います!!」」


 二人で声を揃えて返事をしていしまい、顔を見合わせる。

 思わずふき出し、アレクもお母様もつられるように笑い、厩舎は笑い声で溢れた。


 「お母様、何かご用があったのでは?」

 「そうなのよ!お隣のティンバール伯爵家のご当主がご挨拶に来ているの。アレクも戻った方がいいわ」


 「え!分かりました、すぐに行きます!」


 ティンバール伯爵が?今の様子だとアレクは伯爵が来るのを知らなかったようだし、移住してくるにも時間がかかるから、伯爵が来るのはもう少し先だと聞いていたのに。

 急遽予定が変更になる何かが起きたのかな?


 「着替えて身支度を整えたら私も行くわ」


 お母様にそう言って、ティンバール伯爵へ挨拶をする為に、身支度へと向かったのだった。



 ~・~・~・~・~



 「遅くなり申し訳ございません、ティンバール伯爵。お初にお目にかかります、リオーネと申します」


 厩舎にいた事もあって臭いとか諸々汚れを落とす為に少し湯浴みをしなくてはならず、身支度に1時間ほどかかってしまい、慌てて来た私の挨拶を伯爵は快く受け入れてくれた。


 「いいのですよ、こちらこそ突然来てしまって申し訳なく思っております。我が家の侍従がこちらで大層お世話になっていると聞いたものですから、挨拶をしなくてはと思いましてね」


 伯爵は温和な方で終始ニコニコ笑いながら話してくれた。

 伯爵の隣りにはアレクが座り、向かいのソファには両親と私が腰をかける。


 整った顔立ちにスマートな所作、いかにも貴族男性といった見た目……年齢は20代後半だろうか?でもなぜだろう、伯爵から領主としての威厳を感じないのは。


 アストリーシャとして数々の諸侯と相対してきた経験も相まって、余計にそう感じてしまう……実はそう見せておいて、裏では物凄く冷酷な顔を持っているとか?

 そういう人物もいるのは知っているので、あまり打ち解け過ぎないように気をつけなくては。


 「ところでアレクはご迷惑をかけてはいませんか?」

 「まったく迷惑な事などありません。むしろ色々と手伝ってくれるので、我が家としては助かるばかりで」


 私はアレクがしてくれた事を細かく説明していく。

 農作業もどれほど助けられたか、アレクが来てくれて毎日楽しい事など……彼がいわれのない事で伯爵から怒られたりなんかしたら可哀想だから。


 伯爵は私の話を聞いてさらにニコニコし始め、アレクの方を見ながら「頑張ってるじゃないか」と言葉をかけた。

 それに対しアレクは大きく頷き、ひとまず彼が上司から怒られる事はないなとホッと胸を撫でおろす。


 「では我々はそろそろお暇をしようと思います」


 そう言って伯爵が立ち上がると、アレクも立ち上がり、私たちも見送りの為に一緒にエントランスホールへと向かう。

 上司が移住して来た事によって、アレクが我が家に自由に来られなくなるのは嫌だな……そんな気持ちが漠然と湧き上がり、去り際のアレクの裾を掴み、こっそり耳打ちした。


 (アレク、またいつでも来てね)

 (うん。ありがとう、リオーネ)


 また明日も来てくれるといいな――――笑顔で去る後ろ姿を見ながら、そんな事をぼんやりと思う。

 あちらは伯爵家だしマナーハウスはアレクの邸ではないから、こちらから気安くは行きにくいし……そんな事を考えていた私は、この時アレクの素性に対して何の疑いも持ってはいなかったのだった。


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