どうやら昨日の心配は杞憂だったみたいで、アレクは今日も元気に我が家に来てくれていた。
エントランスホールでお父様とお母様と談笑する姿を見つけ、私も駆け寄って話に入る。
もうすっかり家族の一員のようになっているから、突然来なくなるというのは寂しいと思っていたので、ホッと胸をなでおろした。
寂しいだなんてアストリーシャの時は考えた事もなかったな……とにかく毎日暗殺されないように、侵略されないように、侮られないように、周りに気を張り、気の許せる人間もレイノルドくらいしかいなかったように思う。
今考えると、そう思い込んでいたのは私だけだったのね。
お父様はずっとアストリーシャに忠誠を誓っていて、彼女が亡くなり、主がいなくなったのですぐに帝国騎士団の隊長を辞し、田舎に引きこもった。
新たな皇帝に仕える選択肢もあったはずなのに。
幼い頃の私はよくアストリーシャが生きている時の話を聞かされていたのを思い出す……どれも優しい表情で、悪の女帝と言われていたのに慕っていたんだなぁと感じていた。
あれほど尽くしてくれていたのに、前世の私は何も気付いていなかったとは。
全てを投げ捨て、愛する者の剣でこの世を去る選択をした事に対する罪悪感が頭をもたげた。
「リオーネ?何かあった?」
「あ、いえ、何もないわ!今日はパンを買いに行かなくてはいけないんだった」
私がまた前世の記憶に引っ張られそうになっていると、アレクが引き戻すかのように顔を覗き込んでくる。
咄嗟に誤魔化すように話題を変えたけれど、顔が近くて落ち着かない。
私は彼から目線を逸らし、お母様に話を振った。
「帝都だから馬車に乗っていくわね。行ってきます」
「ええ、気を付けて」
挨拶をして出かけようとすると、アレクも隣に並んで歩いてくるので顔を見上げる。
「アレク、伯爵邸に戻るの?」
「? リオーネと一緒に行くんだよ?」
「え?!」
私が素っ頓狂な声を出し両親の方を振り返ると、笑顔で「行ってらっしゃい」と言うだけだった。
「まさか私が来るまでその話をしてたんじゃ……」
「うん、リオーネを一人で行かせるのが心配だって言うから、私が一緒にいきますねって自分から言ったんだ。近頃の帝都は何かと物騒だし」
「もうっ……ありがとう」
何となく悔しいやら恥ずかしいやらで顔を見ずにお礼を述べる。
隣りから笑い声が聞こえてくるので彼の方へ顔を向けると、優しい笑みを浮かべてこちらを見ているアレクがいた。
「ふふっ、どういたしまして」
ただのお礼を述べただけなのに、どうしてそんなに嬉しそうな表情をするのだろう。
よく分からないけれど、直視すると落ち着かない気持ちになるので、すぐに視線を戻した。
厩舎でのアレクとのやり取りから、なぜだかこういう落ち着かない気持ちの時が多い気がする。
とにかく気持ちを切り替えておつかいに行かなくては、と自分に活を入れ、2人で馬車に乗り込んだのだった。
~・~・~・~・~
子爵家の馬車は正直美しいものとは言えず、侍従とは言え、伯爵家に仕えるアレクを乗せるには少し気が引けてしまう。
でも当の本人はなんだかとても楽しそう。
「楽しそうね」
私がつい思っている事を口にすると、アレクはきょとんとした表情をした後、すぐに笑顔を向けてくる。
「楽しいよ、とっても」
「どうして?」
「どうしてって、リオーネとお出かけ出来るからに決まってるじゃないか」
大きな犬のように人懐こい事を言ってくるアレク。
恥ずかしい言葉を恥ずかしげもなく言ってくるなんて……その空気に耐えられなくなりそうな自分と、何となく喜んでいる自分がいる。
これが普通の女性としての人生なのかな。
過去を思い出してから、未だに言葉遣いは女帝の時の名残があるけれど、だんだんとリオーネとしての人生を歩んでいる感じがしてくる。
それが嬉しくて、私もつられて顔が緩んでいった。
「ふふっ、そうね。アレクとお出かけは初めてだものね」
馬車の中では終始和やかな雰囲気のまま、子爵邸から2時間ほどで帝都に到着し、馬車はゆっくりと停車したのだった。
「僕の手に摑まって」
「ありがとう」
アレクが馬車から降りる時に手を差し伸べてくるので、突然の女性扱いに戸惑いながらも自分の手を乗せた。
あまりにもスマートで淀みない動きに、前世でレイノルドが同じように手を引いてくれた時の事を思い出す。
レイノルドは常にそばにいて慣れていたから……アレクも侍従なんだし、このくらいは普通よね。
「パン屋はもう少し先?」
「そうね、ちょっと歩かなくてはならないの」
行きつけのパン屋さんは帝都のど真ん中にあるので、馬車から少し歩かなくてはならない。
そこは国中からパンを買いにくるほど繁盛しているお店で、パン焼き窯もあり、焼く為だけに来る人も少なくはない。
我が家も畑仕事で安定した収入を得られるようになるまで、自分達で生地を作り、そこで焼く為に来ていた事もあった。
それにしても――――
「最近は物騒って言っていたけど、本当なのね」
「うん。あまり離れないで」
アレクは歩道の外側を歩いてくれて、私を建物側にサッと引き寄せた。
こんなところもレイノルドと重なってしまうなんて……自分は重症なのではと頭を抱える。
辺りを見回していると、綺麗な建物が並んでいるところもあるけれど、少し中通りに視線を移すと道端に座り込んで飲んだくれている人や、言い合いをしている人もチラホラ見かける。
ここまで廃れてきているとは、正直ショックが大きい。
私が生きていた頃はどこもかしこも賑わっていて、このような光景など見た事がなかったから。
でもレイノルドがいなくなってからは寂れる一方だった……あの頃から正常な判断を失っていたので、このような未来が来る事は必然だったのかもしれない。
今の皇帝はイデオン叔父上だ。
父の弟であり、アストリーシャの叔父……私が亡くなった後、唯一の皇族だから帝位を引き継ぎ、ダグマニノフを退けたのね。
どの道私ではあのままダグマニノフに侵略され、あの国の手に落ちてしまっていただろうから、叔父上には感謝しなくては。
ちょっと変わった人ではあるけれど、無能ではないと思っていたのに、帝都の様子を見る限り政治的な手腕は今一つのように思う。
アレクに守ってもらわなくてもアストリーシャの剣技を思い出していたので、ゴロツキくらいは自分で撃退出来てしまいそうだ。
そんな事を考えていると、帝都の中心の広場に着き、大きなパン屋の看板が見え、良い匂いもしてくる。
「あそこね!今日も沢山の人が来ているわ」
「お腹が空いてくる匂いだね~」
「アレクったら」
私たちはお互いに笑い合い、パン屋へと向かう。
パン焼き窯にはやはり行列が出来ていて、店内も大賑わいだ。
帝都は廃れてしまったとは言え、人々の暮らしに欠かせないパン屋はどこであろうと繁盛するものなのね。
「こんにちは、ピューレさん!ライ麦パンください」
「リオーネちゃん、よく来たね!」
パン屋の店主は女性で、名をピューレと言い、幼い頃から父と一緒に通っていた事もあってもう顔なじみだった。
ここのパン屋は帝国から支援も受けて繁盛しているのに、店主は横柄な態度をする事もなく、とても良心的なのでお店が賑わうのもよく分かる。
(パン一個、まけとくよ)
(やった!)
こっそり耳打ちしながらサービスしてくれるので、本当に助かる。
こういったお店をもっと後押ししていけばいいのに。
「そう言えば外のパン焼き窯のところに従業員ぽい知らない人がいたけど、あの人は?」
「ああ、あれはね……」
私の質問にピューレさんが丁寧に答えてくれた。
窯のところにいるのはパン職人で、帝国から遣わされた人間らしく、彼にお金を払う事でパンを焼く事が出来るという仕組みになったという話だった。
「ウチとしては特に謝礼を払う必要もないし、もともとパンを焼くのはタダだったんだけど……かまど使用料を払わなくてはならなくなったお客さん達からは、かなり反発があるんだ」
「でしょうね。かまど使用料はパン職人に少し渡して帝国がほとんどいただくといった感じになるのかしら」
「多分ね。国の運営が厳しくなってきたら、今度は貧しい人たちから巻き上げようってんだから……この国はどうなっちまうんだい。先代皇帝陛下が生きていてくれたら…………」
ピューレさんからとても耳が痛い話が出てきて俯くしかない私の耳に、外から人々の争う声が聞こえてきたのだった。