「何の声?」
「恐らく外からじゃないかな」
私の言葉にアレクが答え、ピューレさんの方を見ると呆れたような表情をしている。
「また始まったようだね。最近はパンを焼きに来た客とパン職人との衝突が多いんだ。客同士で喧嘩している時もあって……」
ピューレさんの様子を見ると、今に始まった事ではない感じだ。
貧しい人々からかまど使用料なんてものを徴収し始めたら、当然不満や鬱憤が溜まるだろうし、それを国から来ているパン職人にぶつけるのも当たり前の話……このような事が分からない叔父上ではないはずなのに。
それともそれほど帝国自体が厳しい状況だという事だろうか。
どちらにしても傍観する事は出来ないと思った私は、考えるよりも先に体が動いてしまっていた。
「ちょっと外を見てきます!」
「リオーネ?!」
「リオーネちゃん!危険だよ!」
皆の制止を聞かずに店を飛び出すと、パン焼き窯のところで一触即発の男性2人が目に入ってくる。
今回のはパン職人ではなく、一般の帝都民同士の衝突のようだ。
「俺の方が先に来ていたのに、堂々と横入りするんじゃねぇ!!」
「お前がどっかへ行ってたからだろ?!」
周りの人間はオロオロする者や、無関心の者など、止めに入りそうな者はいない様子だった。
しかし家族連れで来ている者もいて、すぐ後ろに並んでいた女の子が泣き始めてしまう。
「うるせぇな!ガキを連れてきやがって!!」
気が立っている男はその女の子をターゲットに変えたのか、彼女に向かってつかみ掛かろうとしていたので、またしても体が勝手に動いてしまう。
「やめなさい!!」
「リオーネ!!!」
私が咄嗟に女の子を庇うべく男と子供の間に入ると、男の動きは一瞬止まったのだった。
そしてその私を庇うようにアレクが前に立つ。
私の後ろで女の子がカタカタと震えているのが伝わってくる――――前世の私ならどうすればいいのか分からなかっただろうけど、今の私ならお母様がしてくれていたので、どうすればいいかが分かる。
彼女の方へ向き、優しくふわりと抱きしめた。
「大丈夫、もう大丈夫だから」
「うん……」
女の子は落ち着きを取り戻したのか泣き止み、いつの間にか震えも止まっていたので、彼女を庇うように男の前に立ち、睨み付けた。
「このような幼子に手をあげようなどと……恥を知りなさい!!」
「な、なんだと?!」
だんだんとアストリーシャであった自分が顔を出し始める……アレクに見られたら変に思われてしまいそうだけれど、怒りが収まらない。
民の暮らしを脅かすような男がいるから、どんどん物騒になっていくのよ。
目の前の男へ圧をかけるように睨みつけると、男が私につかみ掛かろうとしきたので、受けて立とうと思っていた。
それなのに――――
「リオーネに触る事は許さない」
アレクがそう言った瞬間、男の腕を掴み、地面に一回転させて叩き付けたのだった。
――――ドシィィィィイイインッッ!!――――
「ぐあぁっ!!」
辺りは砂埃が舞い、叩きつけられた男はしばらくピクピクとしているだけで、声を発する事が出来ずにいる。
凄い……片手1つで自分より体格のいい男をあっさりと回転させ、回転の勢いで地面への衝撃を強めたのだ。
アレクは何か武術でもやっていたの?
私は驚きのあまり言葉を失っていたところに、アレクがこちらに振り向き、気まずそうな苦笑を浮かべてくる。
「いやぁ、こんなに回るとは思ってなくて……」
「え……ふふっ、あはは!アレク、自分の力加減が分かっていないの?」
「最近トレーニングを始めたんだけど、その成果かな」
「ふふふっ」
相変わらずとぼけた言い方で、いつも通りのアレクに安心したのか笑いが止まらなくなる。
最初に男と喧嘩になりそうだったもう一人の男は、地面で痛がっている男の様子を見て走り去って行ってしまった。
そしてようやく地面から起き上がった男はピューレさんの怒りの顔を見た途端、とにかく周りの人達に謝り倒し、店で手当てをするべく去って行ったのだった。
「あのような男でも手当をしてくれるとは……ピューレさんは優し過ぎやしない?」
アレクの言葉にとても同意だけれど、きっとピューレさんは長年にわたって帝国の民を支えてきたから、きっとあれが当たり前なのだと思う。
「ピューレさんはあのままでいいのよ、きっと。そんな彼女に支えられている人が沢山いるから」
私も彼女のように懐が深ければ、何か変わっていたのだろうか……と一瞬思ってみたけれど、過去を悔やんでいても何も始まらない。
ひとまず目の前にいる子供を守る事が出来てよかった。
私のスカートが何かに引っ張られているのを感じて後ろに振り向くと、助けた女の子が顔を上げてこちらを見つめている。
「おねぇちゃん、ありがとう」
「お礼を言えてえらいね。そんなあなたにこれを」
私はピューレさんがくれたおまけのパンを一個、彼女に手渡した。
すると女の子は花がほころぶかのように可愛らしい笑顔になり、「ありがとう!」と元気に言ってくれたのだった。
彼女の頭を撫でると、さらに嬉しそうな顔を見せてくれる。
そして女の子の家族にもお礼を言われ、彼らに別れを告げ、帰りの途に着いたのだった。
そして帰り道、なぜだかアレクの機嫌が悪そうで、会話が続かない。
「アレク、さっきはありがとう。とても助かったわ」
「いいえ」
「………………」
どうして黙ってしまうのだろう。昔から人の気持ちを推し量るのが苦手な私は、こういう時に本当に困り果ててしまう。
「アレク、ごめんね」
「なぜ謝るの?」
「…………なんとなく」
私の言葉に心底呆れたような表情をされてしまい、だんだんと腹立たしくなってきてしまう。
「だって、アレクが機嫌が悪そうだから、私が何かしてしまったのかなって」
「………………はぁ」
せっかく謝っているのに溜息までつかれて、歩いていた足が止まってしまう。
もしかして嫌われてしまったのでは?
前世でもレイノルドが最後に、私といるのが苦痛だったと言っていた……私は知らず知らずのうちに人を不快にさせてしまうのかもしれない。
「ごめん、不機嫌とかそういう事ではないんだ。とにかく今後、危険な男の前に飛び出して行かないでほしい」
「どうして?」
アレクの言っている意味がイマイチ分からず、言葉の真意を聞いてみる。
自分の中ではアストリーシャの知識と剣術や武術などがあったので、正直負ける気がしなかった。
するとアレクが私の両肩を手でガッチリと掴み、真剣な表情で理由を伝えてきたのだった。
「どうしてって……君が傷つけられたりしたら、耐えられないよ。あの時の僕の気持ちは君には分からないだろうし、分からなくていいけど、二度としないでほしい」
「…………はい」
あまりに真剣な眼差しに一瞬息をするのを忘れ、間抜けな返事しか出来ない自分がますます恥ずかしい。
確かにアレクは私の事情など知らないし、あんな風に飛び出して行って、かなり心配をかけてしまったのかもしれない。
アレクが私を大事に想ってくれているのだけはヒシヒシと感じたので、それ以上何も言い返す事もなく、2人でまた歩き出した。
馬車へと戻る道すがら、なぜだかずっと彼が私の手を握って離さないので、私はますます顔を上げられなくなってしまう。
前世では悪の女帝と言われていたのに、心臓が口から飛び出そうになっていたとは誰にも言えないな……と思いながら帝都を後にしたのだった。