隣国アルサーシス王国。
森林豊かな国で、独自の養蜂集落もあり、養蜂祭りなども行われるくらい国として力を入れている。
資源が豊富な事に加えて養蜂業まで盛んな事もあり、アストリーシャが生きている時、彼の国との国交を深めようとしていた事を思い出す。
目の前の男性を見る限り、今も国は安定していて豊かなのだろう。
王族として、派手ではないけれど、しっかりと財を持っている者の服装をしている。
私の中のアストリーシャとしての記憶が頭をめぐり、先ほどまで混乱していた思考が冷静になっていく。
このように煌びやかな服装をして、廃れた帝国の貧乏貴族のもとへ何をしに来たのやら……用件次第では滅多くそに言葉攻めして追い出してやりたい気持ちに駆られる。
だいたい私はこんな身分の高そうな人と知り合った記憶はないのに、なぜ向こうは私の事を知っているのだろう。
「リ、リオーネ、殿下とお知り合いなの?」
お母様が大層動揺した様子で私に問いかけてきたので、私は小さく首を振る。
そして改めて殿下にカーテシーをしながら挨拶をする事にした。
「初めてお目にかかります、アレクサンダー王子殿下。ようこそ我が邸へ。しかしこのような場所は殿下が来るような場所ではないように思いますが、何かございましたか?」
挨拶などの一通りの教養はアストリーシャは完璧だったので、王子殿下相手と言えども怯む事はない。
むしろ「なんでこんなところに来たの?」と言わんばかりに嫌味を込めて返してやった。
「いえいえ、ここは大切な場所なのですよ、リオーネ」
「は、はあ……」
殿下は私の手を両手で包みながら、極上の笑みでそう言ってくる。
この人、頭は大丈夫なのだろうか。
まるで会った事のない人間にここは大切な場所ですと言われても、何も感慨を感じないし思考が大丈夫なのかと心配になってくる。
むしろ不気味なので手を離してほしいのに、殿下は全く離してくれそうにない。
しかも凄い力……私が手を離そうと抵抗をしていると、殿下は苦笑し、自身の髪をぐちゃぐちゃにし始める。
「な、何を……!」
「これで分かる?」
何を……え…………このぼさぼさ頭……目にかかる前髪。
毎日見ているので忘れるはずがなかった。
「もしかして、アレク?!!」
「やっと気づいてくれた」
この王族だと名乗った男性がアレクだなんて全く信じられない。
「アレク、なのか?」
お父様も全く信じられない様子で、顔を覗き込みながら開いた口が塞がらない様子だった。
そして近くに立っていた部下の方が声をかけてきたので、私たち家族は皆、部下の方に視線を移す。
「このような形で訪問する事になり、大変申し訳ございません。私は先日ティンバール伯爵と名乗った者です。本来は伯爵の領土を得ているのは殿下でして、私は殿下の側近となります」
「えぇ……?」
なんだかよく分からない展開に頭は混乱するばかりで、変な返事をしてしまう。
よく見れば確かに部下の方はティンバール伯爵の顔をしていた……どういう事?
「ごめんね、混乱するよね」
聞けば聞くほど声もアレクだ……疑いようのない事実に、ただただ立ち尽くしてしまう。
「つまり、あなたはずっと王子様で、侍従の身分になりすまして私と出会っていた、という事?」
私が何とか頭を整理して事実を聞いてみると、アレクは困った表情をしながらコクンと頷いたのだった。
騙されていたという事よりも、私は気になった事をアレクに聞いてみる。
「どうしてこんな回りくどい事をしたの?」
私の質問にアレクは目を見開く。
そして次の瞬間、泣いてしまうのではないかというくらい顔をクシャっとさせ、頬は赤く染まり、笑顔を保つのがやっとという表情をしたのだった。
何…………泣きたいのはこちらのはずなのに、アレクの方が泣きそうだなんて。
「少し、リオーネと2人で話しをさせてください」
アレクは両親に頭を下げ、部下の方も頭を下げる姿に両親は恐縮し、オロオロしてしまう。
「私どもに王族の方が頭を下げないでください……!」
「いえ、騙すような事をしてしまったので。ラムゼン、お2人にはお前から説明してくれ」
「承知いたしました」
部下にそう告げる姿は紛れもなく王族そのもので、アレクが本当に王子なのだと実感させられていく。
そもそも王族ならば、このように正体を隠して私に近付く必要などない。
むしろ身分を明かせばこちらが拒否する事など出来ない事くらい分かっていたはず……どうしてこんな事をしたのか、アレクの真意が分からなかったので、ひとまず私も彼と2人で話しがしたくて客間へと移動したのだった。
~・~・~・~・~
私が客間へと案内し、アレクが先に部屋へ……続いて私も入り、扉をゆっくりと閉めた。
静かな室内にパタンッと扉が閉まる音が響く。
気まずい雰囲気にアレクの方を振り向けずにいたけれど、意を決して振り向くと、彼は私のすぐそばに跪いていたのだった。
「アレク?何……」
「陛下」
――――ガタンッ!!――――
私はアレクに陛下と呼ばれ、一瞬眩暈がしてドアに倒れ掛かりそうになる。
しかし近くにあったサイドテーブル手をつき、辛うじて体を支えたのだった。
「陛下!」
また陛下って……私がアストリーシャだった事を知っている?
アレクは倒れそうな私を支えようと、両肩をガッシリと掴んでいた。
「どうして……」
アレクの顔を見上げると、なぜだか上手く言葉が出て来ない。
私がアストリーシャの生まれ変わりだなんて誰にも公言していないし、そんな事を知る事は不可能だ。
もし話したとしても頭がおかしい人間に見られるだけなのだから、アレクにも言わなかったし、一生墓まで持っていくつもりだった。
それなのに目の前の男は私を”陛下”と確信を持って呼び、アストリーシャの生まれ変わりだと信じている様子だ。
そんな事が出来るのはこの世でただ一人だけ。
聖人の力を持っている者しかいない。
「アレク。あなたは、いえ、お前は、レイノルド……なのか?」
まるで昔に戻ったかのようにアストリーシャの口調で問いかけると、アレクの顔が先ほどのように泣いてしまうのでは思うほどクシャクシャになり、私を抱きしめた。
「はい。お迎えに上がるのが遅くなり、申し訳ございません」
アレクの声で、かつてレイノルドが私にした誓いの言葉を告げてくる。
昔、帝国城にある庭園の一角で、幼い私の騎士になった時に交わした約束――――
『あなたがどこにいても、何者になっても、私が必ずおそばにおります』
『2人の約束ね』
『いいえ、これは私だけの誓いです。アストリーシャ様は自由に生きてください』
私がまだ幼いから、そのような約束をしてくれたと思っていたけれど、私にはとても嬉しくて、レイノルドがいてくれればどこまでも羽ばたけると思っていた。
でも結局最後は…………
「私のそばにいるのが苦痛で逃げ出したお前が、迎えに来た、だと?」
私は抱き締められていた彼の腕を払いのけ、睨み付ける。
リオーネに生まれ変わり、リオーネとして生きてきたのに、レイノルドに会ってしまった途端、どんどんアストリーシャの記憶に引きずられ、口調までも彼女のようになっていってしまう。
「帰れ。今更お前と話す事などない。私はリオーネだ、お前とは知り合わなかった事にする」
「待って……!リオーネとしてでいいから話を!」
「黙って!!」
ズルい、レイノルドには会いたくないけれど、アレクの顔をされると拒否しにくくなってしまう。
でも今は混乱していて上手く話せそうにないし、自分の気持ちを整理する時間が必要だった。
「とにかく……今は一人で考えたいの。今日は帰って」
私がそう言いながらアレクの背中を押すと、彼も今日は無理だと思ったのか、大人しく部屋を出て行こうと扉を自分から開いた。
そして扉を閉める寸前に「また来るから」とだけ告げて去っていったのだった。
去っていく足音を聞きながら扉にもたれかかり、床にへたり込んでしまう。
アレクが、レイノルドが、何を考え、何が目的なのか分からず、ただ混乱する自分の思考や気持ちを落ち着かせるのに精一杯だった。
「どうして今さらレイノルドが……」
膝を抱えて顔を埋めると、何が悲しいのか涙がとめどなく流れてくる。
アストリーシャの時も涙を流す事など滅多になかったというのに……こんな形で前世の最愛に再会し、今世の好きな人は幻だったの?
それからしばらく何も手につかなくなった私は、思い切りアレクを避けるようになってしまうのだった。