ヴェッポさんは、お父様が農業ギルドの親方に就任し、私が親方衆の会合についていく度に優しく迎えてくれた。
お父様が色々と話し合っている時は暇で、一緒に遊んでもらった事もある。
私にとってはお兄さんのような存在でもあるので、今の嫌な予感が気のせいであればいいと願っている自分がいる。
彼は商人ギルドの一員で、ドッゴールさんは商人ギルドの親方だった。
商人ギルドは数々のギルドの中でも一番規模が大きい。
帝国への貢献度を考えれば当たり前の事だった。
親方衆の会合も商人ギルドのメンバーが中心になって話が進められていくし、その辺の不満がないわけではないけれど……きな臭い事が行われているのなら、突き止めなければ。
私たちが気配を消すように後を追っていると、ヴェッポさんは小さな路地裏へと姿を消したのだった。
「ここに入っていったわ」
「リオーネはここで待っていて。この狭さでは一緒に入っては逃げきれない」
アレクにそう言われて本当は一緒に行きたくてたまらなかったけれど、その気持ちをグッと飲み込む。
確かに一緒に入っていけば、私が邪魔になってしまうわ……そのくらい路地が狭くて、人が一人通るのがやっとだった。
「……分かった。何かあればすぐ逃げてね」
「うん。ありがとう」
アレクがふわっと笑ってお礼を言い、私の額にちゅっとキスをする。
体の全ての熱が顔に集まってきた感覚に襲われ、彼の不意打ちに言葉が出ずに口をパクパクする私は、笑顔の彼をただ見送るしか出来なかったのだった。
何事もないといいのだけど……これは今回に限らず、アレクが去っていくのを見ると毎回、もう会えないのではという恐怖心が襲ってくる。
きっと前世の影響よね。
レイノルドに会えなくなった時のショックが大きすぎて、今世でもそんな事を思ってしまうんだわ。
大丈夫よ、今世でも彼は強いし頭も切れる。
むしろ私が一緒に行かない方が自由に動く事が出来て、いいのかもしれない。
……それもなんだか悔しいけど。
もし悪者がここから出てきたら足でも引っかけて羽交い締めにでもしてやろうかな――――なんてアストリーシャのような思考が頭をかすめていった時、アレクが勢いよく戻ってきて、私は手を引かれてしまう。
「ちょ、ちょっとアレク!」
「しっ!こっちへ……!」
アレクに促されるまま、建物の陰に隠れると、先ほどの路地からヴェッポさんらしき人物と他に数人が出てきて、ボソボソと話しているものの何とか声が聞こえてきたので聞き耳を立てたのだった。
「今回の勅令はギルドの主権を帝国に戻す為のものだ」
「見返りは?」
「商人ギルドが様々なギルドの頂点に立ち、都政運営を独占させてくれるとおっしゃっていた」
なんてこと…………それは他のギルドにしてみれば屈辱的だわ。
ギルドのトップには皇帝陛下、その下に商人ギルド、私たちのような小さなギルドはその下に付き従うしかなくなってしまう。
もう細々とやっていく事も出来ないかもしれない。
「必ず、そのように」
ヴェッポさんの表情は見えないけれど、口元はニヤリと笑っていて、背中が粟立っていく。
皇帝と商人ギルドの間でこんな取引が裏で行われているなんて、思ってもみなかった。
でもアストリーシャだった時は裏切りと謀略だらけだったし、こんな事は日常茶飯事だった事を思い出す。
レイノルドの千里眼でそういった者達を炙り出し、徹底的に潰していったのよね。
スローライフを目指すあまり、そういったものから遠ざかり過ぎて平和ボケしてしまっていたのかもしれないと、自分に活をいれる。
何より私のスローライフを邪魔する者を野放しには出来ない……!
「アレク、これはギルドの皆に対する裏切り、という事よね?」
「…………そうなるね」
「分かったわ。帰りましょう、作戦を立てないと」
アレクの手を引きながら馬車へと向かう。
私の様子を心配したのか、アレクがおずおずと名前を呼んできた。
「リオーネ、大丈夫?」
「何が?」
「だってヴェッポさんだったんだよ?」
「うん……だからこそ許せない。どんな理由があるかは分からないけど、皆の頑張りを踏みにじろうとする輩は徹底的に潰すわ」
私はヴェッポさんがそんな事を企てているなんて悲しいという気持ち以上に、怒りの方が強く、皆で積み上げてきたものを好き勝手されるなんて許せない気持ちでいっぱいだった。
決意を込めてアレクの手をぎゅっと握ると、彼も力強く握り返してくる。
「リオーネの仰せのままに」
私の顔を覗き込み、そう言って笑ってくれたのだった。
やっぱり私は前世と同じく、あなたがそばにいてくれたら何でも出来るような気持ちになれる。
アストリーシャではないと反発しつつ、あなたがどんな姿でも、どんな関係でもいいからそばにいてほしいと願ってしまうんだ。
ギルドの問題が解決したら、きちんと自分の気持ちを伝えなくては。
小さな決意を胸に颯爽と馬車に乗り込み、今後について話し合う事にした。
「アレクは路地で千里眼を使ったの?」
「うん。顔がよく見えなかったけど、あの人がヴェッポさんで間違いない。そして私が追って行った先にはドッゴールさんもいた。あとのメンバーは前の会合にはいなかったけど、皆商人ギルドのメンバーだと思われる」
「そう。商人ギルドはもともと大きくてギルドの中心ではあったけど、こんな事は許されないわ。あの皇帝の勅令は……」
「恐らくドッゴールさんやヴェッポさんは知っていたのだろう。むしろあの日を狙って勅令を出してもらったのかもしれない」
あの会合より前から、そんな話が着々と進んでいたのね。
優しかったヴェッポさんの面影が崩れていく。
悲しみに浸っている場合ではないわ……どうするべきか考えなければ。
「そうだとすれば、ドッゴールさんはアレクの事も皇帝に話しているわね。第三王子が帝国城に来るのも彼らのシナリオの内、か」
「ええ、帝国としてもアルサーシス王国との繋がりがほしいところなので、この機会を待っていたはず」
「アレク、突然で申し訳ないのだけど、千里眼を使ってほしいの」
私の言葉にアレクは一瞬表情が止まる。
アストリーシャの時、幾度となくレイノルドに使った言葉……『千里眼を使ってくれ』
それをリオーネとして生まれ変わってから、アレクに告げる日がくるとは思わなかった。
でもきっとアレクも分かっているはず。
「御意」
わざとなのかアレクもレイノルドの記憶に引っ張られているのかは分からないけれど、時々レイノルドの言葉が出てきてドキッとする。
「知りたいのは何?」
「皇帝の執務室」
「分かった」
短い会話だけれど、それが心地いい。
前世ではこんなやり取りを幾つもしていたな……お互いに信頼していたから余計な言葉は必要なかったのよね。
千里眼をしている時はアレクの瞳がサファイアのような美しい青から黄金になっている。
この変化もレイノルドの時と同じだった。
「執務室が視えたよ……今は誰もいない」
「ありがとう。じゃあ執務机の中を視てほしいの。今回の事を記した手紙などが入っているかもしれない。もしくは本棚の裏の隠し部屋か……」
「分かった」
再び調べてくれて、執務机の鍵付き引き出しの奥に手紙があるのを確認してくれた。
そして隠し部屋にはなんと、農民が納めた穀物や帝国民が納めている税金や宝石類などがぎっしりと置かれているという。
「いつから隠し部屋が国庫になったのやら……そうやって民から徴収したものを自身の財として隠し持っていたという事ね。それはいくら民から巻き上げても足りないわけだわ」
パン職人を派遣し始めたのもそういった理由かもしれない。
「帝国がどこまで維持できるか分からない現状を考え、自分用の財を蓄えているのだろうね」
「叔父上もそこまで堕ちたとはね。そしてあなたはその事を知っていたのよね?」
私は鋭い眼光でアレクを見つめる。
彼の事だから勝ち目のない戦いは挑まないはずだもの、自身の身分がバレても大丈夫そうにしていたから何かあるのかと思っていた。
「やっぱり、あなたには敵わないな」
顔をクシャっとさせて笑うと、私の頭を抱きしめてくる。
「ちょ、ちょっとアレク!誤魔化さないで……!」
「ごめん、嬉しくてつい。帝国は黙っていてもこのまま崩壊するだろうけど、リオーネたちの住む国だからそれは避けたくて、力を使って色々と調べていたら隠し部屋のも見つけたんだ」
どうして私に詰められて嬉しいのだろう。
アレクの気持ちは分からないけれど、とにかく叔父上の悪事も見つけたし、あの人を帝位から引きずり下ろさなくては帝国が崩壊するのは目に見えている。
「じゃあ盛大にそこを利用させてもらうわ。第三王子と付き人として、他の親方衆も引き連れて堂々と乗り込みましょう。ふふっ、面白くなってきた」
私の言葉に「まったく、あなたという人は」と呆れているアレク。
でもその表情は懐かしさも含まれていて、きっと昔に戻ったような気持ちになっているのだろう。
決行は二日後の朝に決め、親方衆への連絡はお父様に任せる事にして、ひとまず今日は大人しく邸へと帰っていったのだった。