「じゃあ、お母様。行ってきます」
「邸を頼む」
私とお父様が挨拶をすると、お母様は笑顔で見送ってくれた。
本当は心配でたまらないのだろうと思うけど、そんな様子を微塵も出さない姿を見ながら、さすがお母様は帝国騎士団隊長の妻なのだなと実感してしまう。
胆が据わっているし、カッコいい。
お母様の心配が杞憂で終わるように、必ず無事に戻って来ないと……胸に小さな決意をする。
「リオーネ、行こうか」
「はい!」
私はお父様と馬車に乗り込み、一旦ティンバール伯爵邸へと向かう。
「本当に殿下の侍女として行くのか?」
「うん。だって私が親方衆の中に一人入っていると帝国側に狙われやすいし、侍女の身分ならあまり気にされないかなと思って」
「う――ん」
まぁきっとどんな状況でも、自分の娘を連れて行くのは心配よね。
前世がアストリーシャだったからなんて言えないし。
そんな事を考えていると、すぐに馬車はティンバール伯爵邸に着き、ゆっくりと停車した。
そして馬車の扉をアレクが開いてくれて、手を差し伸べてくれる。
「ようこそ、リオーネ。待っていたよ」
「アレク、ありがとう」
てっきり御者が開いてくれるのかと思ったのに、アレクが手ずから開いてくれるとは思わず、ちょっぴり嬉しくて笑顔で応える。
馬車の中のお父様は少し呆れたような表情だけれど、殿下のそばなら大丈夫かと思ったのか、「先に行ってるよ」とだけ告げて馬車は帝国城へと動き出したのだった。
「じゃあリオーネは侍女服に着替えて、髪もセットしないとね」
「そうね。よろしくお願いします」
王子殿下の侍女に相応しい服装で行かなくては、と気合いを入れ、伯爵邸でセットしてもらったのだった。
~・~・~・~・~
「ねえ、本当にこんな装いでいいの?」
「王族の侍女なんだからそれくらいの服装をしてくれないと」
「でもこれって……」
アレクが用意してくれたのは、侍女の服装とはとても思えないような貴族女性のドレスに近いものだった。
確かにエプロンはついてるけどフリルもふんだんに施されていて、華美な装飾ではないものの、正直私が今まで着た中でも一番高価な服装かもしれない。
子爵家とは言え、ほとんど平民のような暮らしなのでドレスなどは着る機会はないし、自分に似合うとも思っていない。
だからなのか違和感しか感じないわ……前世では当たり前のように着ていたのに。
「ふふっ、とても似合っているよ」
「面白がっているわね」
「そんな事はないよ。嬉しいだけで」
絶対面白がってる。
それにこの服装でなぜ落ち着かないかというと、一緒に歩いていたら、まるで婚約者のように思われてしまいかねないからだ。
そしてアレクが私が感じていた事をそのまま指摘してくる。
「傍から見たら婚約者に見えるかもね」
「まさかそれが目的じゃ……!」
彼の発言に、これは確信犯なのでは……と思ってしまう。
確かにアレクへの気持ちを自覚してはいるけれど、身分違いも甚だしいので、この気持ちが実る事はないと思っている。
それでもそばにいたいから、侍女でも友人でもなんでもいいと思っているのに。
「まぁまぁ、今回はちゃんと侍女として連れて行くから安心して。とにかくそろそろ出発しないと。皆を待たせてしまう」
「そうね。お父様も先に行っているし、早く行かなくては」
こんなところでのんびり会話をしている場合ではなかった事を思い出し、ラムゼンも一緒に3人で馬車に乗り、帝国城へと向かったのだった。
馬車も王族に相応しい馬車を用意していて、何から何まで豪華だから緊張してしまう。
もうこうなったらアストリーシャになりきって、こんな事も慣れていると言わんばかりの態度でいなくては、と腹を括る事にした。
王族の侍女だものね。
「その調子だよ」
隣りに座るアレクは、全てを見透かすかのように微笑みながらそう告げてくる。
「勝手なんだから……」
「ふふっ」
馬車ではニコニコしながらも、私の不安を落ち着かせるかのようにずっと手を握ってくれていたので、心は穏やかなまま2時間ほどで帝国城に到着したのだった。
~・~・~・~・~
かつての帝国城の壮麗さはなくなってしまったものの、他を圧倒する造りは健在で、この城の前に立つとやはり身が引き締まる。
そしてどんどん前世の記憶が波のように湧き上がってきて、私を飲み込んでいくようだった。
自分が今何者なのか、一瞬分からなくなっていく。
この城で生まれ育ち、この城で命を落とした――――あまりに沢山の思い出が詰まった場所にまた来る事になるとは。
片田舎の貧乏子爵令嬢に生まれ、社交界とは無縁の生活を送っていたので、この城を拝む事などまずないと思っていたのに。
何もかも懐かしく、重苦しい。
私はアストリーシャではなく、リオーネ。
自分にそう言い聞かせるのが精一杯だった。
そんな私の様子を察したアレクは、握っていた手をさらに力強く握り締めてくる。
「ありがとう」
「うん」
帝国城の門前に降り立ち、立ち尽くしていた私を気遣うアレクに落ち着きを取り戻した私は、彼の手を離して上を向く。
「皆のもとへ行きましょう」
アレクとラムゼンが頷き、一緒に帝国城の中へと歩を進めて行ったのだった。
衛兵が案内してくれて、お父様や親方衆と合流すると、謁見の間の入口の前でその時を待つ。
「リオーネちゃん、今日は貴族女性としての装い、綺麗だね」
「あ、ありがとうございます。アレクサンダー殿下の侍女という設定なの」
顔が引きつってないかな……ヴェッポさんに話しかけられると思ってなかったから、声が上ずってしまう。
「侍女……には見えないけど、凄く綺麗だ。お嫁さんにしたいくらい」
「え……」
「私の侍女を揶揄わないでいただきたい」
「揶揄ってないですって~~本気だから」
アレクとヴェッポさんの前に何やら火花が見えるような……今のところ商人ギルドも仲間という事で、ヴェッポさんやドッゴールさんがこの場に来ているけど、帝都での裏切りの現場を見てしまってからは、あまり会話はしたくないなと思ってしまう。
アレクとヴェッポさんの様子を見兼ねて、お父様が間に入って話題を変えたのだった。
「それにしてもよく陛下への謁見許可がおりましたね」
「そこは私の父の力を借りました。帝国としても我が国の申し出を無下には出来ませんので。一応帝国にとっても美味しい話を持ってきたというのもあります」
アレクの話に親方衆が「おおっ」と色めき立つ。
さすがね……皇帝陛下の勅令がギルドに下されてからの数日間、アレクはこの日の為に色々と動いてくれていたんだ。
私には何もしていないように見せていたのに。
そんなところもレイノルドの姿が重なってしまう。
私も出来る事をやらなくては、と意気込んでいると、目の前の重厚な扉がゆっくりと開かれていく。
「アレクサンダー・フォン・アルサーシス殿下、ならびにギルド親方衆が参りました!」
衛兵の声に従い、私たちは赤いカーペットを一直線に皇帝陛下の前へ進み出る。
叔父上……私が皇帝だった時はまだ美しい男性だったのに、今はすっかり皺が刻まれて誰が見てもお年寄りの風貌になっていた。
彼は少し女装癖があり、男性というよりも女性に近い性を持っている。
父上とは違い、女性のように肌の手入れなどにも気を付けていて、ドレスを着ると貴族女性と見間違えてしまう人もいるほど美しかった。
私は女装云々よりもいつも優しく穏やかな叔父上が大好きで……特に父上が母上を殺害して歪んでしまってからというもの、家族の温かみを教えてくれたのは叔父上だったかもしれない。
さすがに皇帝になってからは女装はしていないのね。
その叔父上がこんな勅令を出したり、パン職人を派遣し始めたり、民からの税を隠し持っていたり……そんな事をする人だとは思ってもいなかった。
何とか彼の悪事を暴く事が出来ないかしら。
そんな事を考えていると、叔父上が懐かしい声で言葉を発する。
「ようこそ、アルサーシス王国のアレクサンダー王子殿下。ギルドの親方衆もよく来てくれた。余はそなた達を歓迎する」
「ありがたいお言葉、痛み入ります。帝国の太陽であらせられるイデオン皇帝陛下におかれましては、このような機会を設けていただき、感謝いたします」
「アレクサンダー殿下、そなたとは積もる話もあるゆえ、この後応接間に移動してもらう」
「は……」
叔父上がアレクに伝えると、衛兵が彼のもとへやって来て「こちらへ」と案内して行く。
ちょっと待って、アレクを連れて行かれては直談判しようにも我々の話を聞き入れてもらえないのでは?
ラムゼンも戸惑いながらアレクに付き従い、私も王子付きの侍女なので彼のもとへ向かおうとした。
その時、謁見の間に皇帝陛下の声が響き渡る。
「あとの者はご苦労であった。もう用はない、下がってよいぞ」
「な……!」「なんですと?!」
「我々と話をしてくれるのではなかったのですか?!!」
親方衆やお父様が声を上げた。
次の瞬間、叔父上は私が見た事もない醜悪な笑みを浮かべたので、背中が粟立ち、嫌な予感が全身を駆け巡っていく。
咄嗟にお父様のところへ駆け寄ると、叔父上は誰もが凍り付くような笑みを浮かべ、玉座の横のレバーを引いた。
あのレバーは何――――?
「せっかく余が下がれと申したのに……さらばだ」
――――ガコォォォンッッ!!――――
大きな音と共に私たちの足場の床は両開きに開かれ、下は真っ暗闇が見えるばかり。
「アレク……」
「リオーネ……!!!!」
手を伸ばしたけれど、その手が届く事はなく、私たちは闇へと落ちていくしかなかった。
「「ワァァァァァ――……」」
皆の叫び声が響き渡る中、床はすぐに閉じられていしまい、私たちは光りすらも奪われた地下に打ち付けられてしまう。
アレク、ごめんね。
私が無理を言って付いてきたのに、こんな事になって。
なんとか意識を手放す事なく体を起こすも、あたりは真っ暗闇で、目が慣れてくるまでしばらく大人しくしているしかなかったのだった。