「この階段を上れば執務室の窓際に出ると思う」
私の言葉に無言でお父様はついてくる。
もう私が誰なのか、きっと分かっているわよね……だからついてきてくれているのもあるのだろうと思う。
お父様はアストリーシャを守り切れなかった事を悔いているから。
そういう話を幼い頃に聞いた事があった。
私があまりにも彼女に憧れて、お父様に女帝の話をせがみ、聞かせてもらっていた時に。
もちろん娘が心配で一緒に行動しているというのもあるのだろうけど。
階段の最後まで上り、頭と肩で床を持ち上げていく……でも重くて持ち上げるのに一苦労だった。
「私の出番だな」
「ありがとう」
お父様も一緒に持ち上げてくれると、軽く開いていくので、やっぱりお父様がいてくれてよかったな思った。
しかし半分くらい持ち上げた瞬間、執務室では男性の話し声が聞こえてきたのだった。
(お父様、少し閉じて)
(どうする?)
(ちょっと話を聞いてみましょう。執務室に居るのが誰か分かるかもしれない)
(分かった)
私たちは小声で話しながら、室内にいる人物の話に聞き耳を立てた。
この地下からの出口は執務チェアの後ろに位置していて、恐らく入口付近にいる男性達からは執務机で見えない。
ちょっとくらい開けてもバレないと思う。
執務室にいる人物はおよそ2人かな……明らかに叔父上の声ではないわね。
時間的に彼は今、アレクと話しているはずだから。
じゃあここにいるのは誰?
皇帝の執務室に居ても許される人物…………公爵か伯爵クラスじゃないと、見つかればただでは済まされないはず。
そんな事を考えていると、会話がどんどんヒートアップしていくのを感じ、緊張感が増していった。
「陛下は正気か?帝国を他国に売る気なのではあるまいな」
「今アルサーシス王国の王子が来て、話し込んでいるらしい。彼の国は豊かで我が国とは比べ物にならない。アルサーシス王国から見れば今の我が国など交渉する価値すらないのに、王子がわざわざやってきて陛下と話すなど……何が目的なのか」
「アストリーシャ様が守ってきた帝国がどんどん崩れていく。これ以上は我慢ならぬ」
「待て。単独で動いたとて、返り討ちに遭うだけだ!何か不正を掴む事が出来れば帝位から引きずり下ろしてやるものを」
二人の話を聞いている限りだと、叔父上に対して我慢の限界がきているのがヒシヒシと伝わってくる。
彼らはかつて私の部下だったのは間違いない。
この声の主が誰か、私は知っているわ。これは――――
「聞き覚えのある声だ……もしや…………」
ほとんど私の思いと同時にお父様が呟き、ギギィィッと音を立てながら扉を開いていった。
「「誰だ?!」」
当然執務室にいた人物たちはその音に気付き、私たちの方へと駆けつけてくる。
執務机の端から顔を覗かせた人物、それはアイゼン公爵とハルファウス侯爵だった。
二人は皇帝派の人間で、アイゼン公はレイノルドが婚約したという話を持ってきた人物……レイノルドがいなくなった後も私を支えてくれた諸侯だった。
あれから18年の年月が過ぎ、二人とも皺が増えて老けたけれど、帝国への忠誠心は全く変わっていないようだ。
お父様もアイゼン公もハルファウス卿も……皆、私が勝手に手放してしまったというのに、未だに帝国を大切に想ってくれているのが嬉しくて胸が熱くなる。
扉からゆっくりと立ち上がると、お父様が2人へ挨拶を始めた。
「お久しぶりです、アイゼン公爵閣下、ハルファウス侯爵閣下」
「そなたは……マクガナルア子爵か?!」
アイゼン公が驚き戸惑いの混じった声で聞き返してくる。
「はい、理由あってこんなところから登場になってしまいましたが」
「久しぶりではないか!騎士団の隊長を引退してから領地に引っ込んだと聞く。元気そうで何よりだが、なぜここから?それにこの扉は……」
ハルファウス侯爵が聞きにくそうにお父様が登場した扉を指さし、疑問を投げかけてくる。
お父様は私と視線を交え、意を決して2人に事情を話し始めた。
お父様の話を聞きながら、二人の顔色がどんどん悪くなっていき、頭を抱え込んでしまう。
「なんてことだ……そのような話、我々には一切きておらぬぞ!」
アイゼン公が吐き出すように怒りを露わにした。
「私にもだ。陛下は国を私物化なさるおつもりらしいな。このような事がまかり通ってなるものか……!」
ハルファウス侯爵も叔父上に対して憤りを隠さない。
叔父上は国の諸侯に全く話す事なくギルドへ勅令を出し、このような大事な事を次々と決めて、帝国をどうするつもりなのだろうか……かつてのような栄華をもう一度取り戻したいのか、それとも他国に売り渡すつもりなのだろうか。
もしくは――――
「亡命」
「「?!」」
私がひと言呟くと、皆が一様に驚き、こちらを凝視してくる。
「もうこの国には価値がないと見切りをつけ、亡命先を探しておられるのではないでしょうか?」
「君は……」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はここにおりますマクガナルア子爵の娘、リオーネと申します。以後お見知りおきを」
「ああ、娘がいると聞いていたが、随分利発そうなご令嬢ではないか」
「光栄に存じます」
懐かしいな。
かつて私の帝国を支えてくれていた人達と、またこうして会話を交わす日が来るなんて――――二度とここに戻ってくる事はないと思っていたのに。
彼らに会う事ももうないと思っていた。
一度手放してしまったけれど、このまま帝国の滅亡を指をくわえて見ている事など、私には出来そうもない。
「皆様、私の聞き違いでなければ、皆様が陛下の不正をお探しのように聞こえたのですが」
「…………聞かれてしまったのだな。今の皇帝は先代皇帝の叔父にあたるお方なのだが、同じ血を引いているのかと思うくらい我が強く、国のため、民の為に動く事はまずない。帝国はこのままでは滅亡を待つのみだ」
ハルファウス侯爵の嘆き節が止まらない。
それもこれも叔父上の政治手腕は破滅的に酷いものだし、今に始まった事じゃないものね。
私が亡くなってから18年という長い年月、現皇帝を支え、帝国の為に尽くしてきた諸侯にとっては、今回の叔父上の行動は不可解だし屈辱的だと思う。
「これ以上陛下の好き勝手させてなるものか……!」
アイゼン公が魂の叫びのような慟哭が吐き出され、私の中でも覚悟が決まっていった。
帝国を叔父上の手から、彼らの手に戻す。
それが一番正しい形だと思うから。
「では不正を明らかにしてしまいましょう。アルサーシス王国の王子、アレクサンダー殿下からは皇帝の隠し部屋に不正が隠されていると仰せつかっております」
「隠し部屋?!やはりそんなものが存在していたのか……しかしその事実が分かったとて、我々には隠し部屋がどこにあるのかも分からぬ」
私の言葉に食いついてきたアイゼン公だったけれど、どこを探せばいいか分からず、また落ち込んでしまう。
すぐに一喜一憂するところは、あの頃のまま。
「ふ、ふふふっ」
昔を思い出して、思わず笑いだす私にアイゼン公は憮然とした表情になってしまう。
「ゴホンッ、リオーネ嬢。何かおかしな事がありましたかな?」
笑顔を見せつつも顔が引きつっているアイゼン公に笑いが止まらない。
本当に昔のまま。
私の中でアストリーシャの記憶が色濃くなっていく。
もうお父様は気が付いているだろうし、アレクは私が誰か知っているから、隠す必要もないかなと、かつての話し方に戻してみる事にしたのだった。
「ふふっ、相変わらず、忙しいな。アイゼン」
「「?!」」
「隠し部屋の在りかは代々皇帝のみに引き継がれていく。今は現皇帝と私しか分からぬ」
「な、な…………」
アイゼン公やハルファウス卿は、目玉が飛び出そうなほど見開き固まっているけれど、私はお構いなしに話を続けていった。
早くしなくては叔父上が戻って来てしまう。
「私も父上から引き継ぎ、使わせてもらっていた……私が亡くなり、叔父上がどうやって隠し部屋の在りかを知ったのかは分からぬが」
つらつらと話しながら本棚の奥を探していると、昔と同じ位置に大きなレバーを確認する事が出来た。
良かった。
これで隠し部屋へ案内出来る。
ホッとする私に対して、アイゼン公やハルファウス卿が戸惑う気持ちをぶつけるかのようにまくし立ててきた。
「な、な、なぜそれを君が……!それにその話し方………………」
「陛下しか知らない情報をなぜマクガナルア子爵の娘が知っている?!」
2人とも酷く動揺してしまって上手く話せない様子だった。
お父様の方を見ると、驚きながらも苦笑していて、やはり全て悟っていたのだなと感じたのだった。
「子爵は隠し部屋の在りかを知らないぞ。皇帝しか知らない情報をなぜ知っているかは……頭を働かせて考えろとしか言いようがないな。ふふっ」
「その言葉…………」
『頭を働かせて考えろ』
かつての部下に私がよく使っていた言葉だった。
特にアイゼン公には一番使っていたかもしれない。
この言葉を言うとアイゼン公は泣き付き、答えをねだってきて私がうっとうしそうにする、というのが一連の流れだ。
ハルファウス侯爵も気付き、二人とも目を丸くする。
「どうした?今日は”答えを教えてください~”とは言ってこぬのか?」
「………………っ…………っ!」
2人は今にも泣きそうな表情を見せ、小動物のように震えている。
そこへお父様が私の前へやってきて膝をつき、私を見上げ、「陛下、よくお戻りになられました」と言葉をかけてきた。
その瞳には親子の情ではなく、かつての上司への畏敬の念が込められ、私の方が泣きたくなってくるのを堪えるのに必死だった。
「待たせたな。マクガナルア子爵……そなたの娘として甦ってしまい、申し訳ない限りだが」
「「陛下!!」」
続けざまにアイゼン公とハルファウス侯爵が膝をつき、スカートの裾を握りながら嗚咽を漏らし始めた。
私は彼らが落ち着くまで背中をさすりながら、あの頃と比べて随分小さくなった背中を感慨深げに眺めていたのだった。